にっぽんの旅 四国 愛媛 松山

[旅の日記]

坊ちゃんと松山 

 愛媛県の県庁所在地、松山です。
本日は、道後温泉をもつこの松山の地を散策します。

 JR予讃線で松山駅に着いたのは、既に昼時です。
食事をするために、ここから路面電車の伊予鉄道大手町線に乗って街中に移動します。
しかし松山駅前電停ではすぐには乗らず、その1駅先の大手町駅前電停まで歩きます。
ここには専用軌道を走る伊予鉄道高浜線と路面電車の伊予鉄道大手町線が十文字に交叉しているのです。
いわゆる「ダイヤモンドクロス」と呼ばれる直角に交わる線路と架線は、日本でも数少ない場所で珍しいものです。

 それではここから改めて大街道まで、路面電車に揺られていきます。
目と鼻の先に見えている先の電停にも、左右に揺れながらゆっくりと進みます。
そのうえ車が線路を塞いでいると停車し、時間をかけて前進します。

 大街道電停からは、南に延びる商店街を歩きます。
この先に美味しいうどん屋があるからです。
松山は「鍋焼きうどん」で有名なところで、いくつかのうどん屋が店を構えています。
訪れたうどん屋は「鍋焼きうどん」と「稲荷ずし」だけのメニューを揃えた店です。
ところがこの日は「稲荷ずし」をやっておらず、文字通り「鍋焼きうどん」だけの単一メニューです。
注文してから待つこと5分ほど、アルマイト製の鍋に盛られたうどんが出てきます。
懐かしい器と素朴な盛り付けです。
こしまで良く煮込んだ柔らかいものですが、実は好きな茹で具合です。

 夏なのに火照るように身体が温まり、元来た商店街を引き返します。
来た時と同様に10分ぐらい歩けば、商店街の端にたどり着きます。
ただし今回は、何か周りの様子が先ほどと違います。
よく見るとそこは大街道ではなく、松山市駅だったのです。
つまり北の大街道に向かったはずが、似たような商店街が拡がる西に歩いてきたようです。

 それならば、伊予鉄道の松山市駅の近くにある「子規堂」に寄ってみます。
途中に伊予鉄道横河原線の踏切を越えます。
ちょうど遮断機が閉まり、電車が目の前を横切って行きます。
正岡子規を生み出した正岡家の菩提寺である「正宗寺」境内には、正岡子規が17歳まで暮らした家が残されています。
中には子規愛用の机があり、原稿や遺品が残されています。
「子規堂」の正面には、「坊っちゃん列車」が展示されています。
夏目漱石の小説「坊つちやん」の中で、「マッチ箱のような汽車」と称したのが、この列車です。

 改めて松山市駅電停から、路面電車 伊予鉄道花園線で大街道まで移動します。
線路には観光用に建造された現代版「坊っちゃん列車」が走っています。
大街道からは、「松山城」に向かうためにロープウェイのりばに向かいます。
通りの両側に並ぶ店を眺めながら、歩いて行きます。
ロープウェイのりばからは、ロープウェイに並行してリフトも出ています。
のりばの入口は共通で、1つの乗車券でどちらか好きな方を選ぶことができます。
行きはロープウェイに乗ってみます。

 「松山城」は、加藤嘉明が1602年に築いた城です。
嘉明は賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍のひとりに数えられる人物です。
標高132mの勝山の山頂にそびえる平山城で、高石垣を有し攻守の機能に優れた城です。
筒井門、太鼓門と順に入っていくのですが、姫路城同様に多くの門を潜って行かなければ天守にたどり着くことはできません。
嘉明は城の完成を見ずしての会津藩へ転封され、代わりに入ってきたのは蒲生氏郷の孫である蒲生忠知です。
その後は、加藤泰興、松平定行と松山藩の藩主が代わっていきます。
明治になると土佐藩が松山城を受領し、1871年の廃藩置県によりこの地を松山県に、そして1873年には愛媛県と名前を変えていきます。

 「松山城」の内部を歩き回り、夏の暑さにめげていたところに出会ったのが「伊予柑ソフト」です。
ソフトクリームに、伊予柑を細かく刻んだものがトッピングされています。
クリームの甘みに伊予柑の酸味が程よく混ざり、さっぱりとした清涼感のある味わいがあります。
果物を混ぜたクリームはたくさんありますが、果肉を直接載せているこのソフトクリームに気に入ったのでした。

 それでは「松山城」のそびえる勝山を下り、次に向かったのが「萬翠荘」です。
旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵が、1922年に建てた別邸です。
皇族が来県の際に立ち寄る社交の場として造られたものです。
フランス生活が長かった定謨は、その熱い思いを抱き純フランス風の建物の建築を建築家 木子七郎に設計を依頼します。
ネオルネッサンス様式のこの建物は、愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート建築なのです。
通常の西洋建築物は左右対称の造りをしていますが、ここは日本の左右非対称の美意識を取り入れています。
建物の中に入ると、正面には絨毯が敷かれた2階に続く広い階段があります。
踊り場壁面には、波と帆船が描かれたステンドグラスがはめられています。
2階の部屋からは、バルコニーの先に松山の街並みを見下ろすことができるのです。

 「萬翠荘」の敷地の入口に当たるところには「坂の上の雲ミュージアム」があります。
こちらは、ガラス張りの近代的な建物です。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の博物館で、明治維新以降の近代国家に向かって突き進んでいた日本を秋山好古・真之、正岡子規の生きざまから伝えています。

 さて今晩の食事は、宇和島風の「活鯛めし」です。
生卵に醤油味の出汁を混ぜ、そこに鯛の刺身を潜らせます。
ご飯をよそうと、その上に出汁が染んだ鯛の刺身を並べます。
鯛本来の甘さと卵の甘さが混ざり、旨くないはずがありません。
美味しい愛媛の味を楽しんだのでした。

 そして松山のもう一つの味の「松山タルト」は、この地の郷土菓子です。
あんこがカステラで巻かれています。
松平定行によって長崎から伝えられたとも言われています。
長崎で南蛮菓子に接した定行はその製法を松山に持ち帰り、明治以降に愛媛の銘菓として広まっていったのでした。

   
 
旅の写真館(1) (2) (3)