にっぽんの旅 九州 佐賀 唐津

[旅の日記]

唐津くんちと唐津城 

 本日は佐賀県の唐津に来ています。
「唐津くんち」でも有名なこの町を、本日は散策してみます。

 JR唐津線とJR筑肥線が乗り入れる唐津駅には高架の線路が敷かれ、唐津の町に似つかないような立派な駅舎になっています。
駅を出ると駅前には、曳山の赤獅子の像が建っています。
唐津焼の像で、頭、胴体、台車を別々に作り26日かけて焼き上げたものです。
高さ3.55mの焼物は、結構な迫力です。

 赤獅子に勇気をもらって、駅からまっすぐ北に歩いて行きます。
道が突き当たったところが唐津市役所です。
肥後堀の堀で囲まれた石垣の中に市役所はあります。
こちらも気になるのですが、今日はそこから右に折れて「旧唐津銀行」を見に行きます。
煉瓦造りの「旧唐津銀行」本店は、1912年に竣工しました。
東京駅や日本銀行本店、大阪市中央公会堂などを手掛けた辰野金吾の作品です。
中に足を踏み入れると、内部を金網で区切った銀行の窓口が並んでいます。
アーチ窓や御影石のバルコニーなど贅沢な造りは、石炭で栄えた町の財政を司る金融機関だったことを示しています。
1997年までは実際にここで銀行業務が行われていましたが、その年に佐賀銀行よりこの歴史的価値のある建物を唐津市に寄贈されています。

 ここで市役所方向に戻り、その北にある「唐津神社」に参ります。
真っ白な鳥居の先に神社の本殿はあります。
「唐津神社」は、神功皇后が新羅出兵の三韓征伐の際の無事帰朝したことに対する感謝に対して、松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったことに始まります。
その時の領主の神田宗次が、神夢により海浜に漂着してきた宝鏡入りの筺を神功皇后の捧げた鏡だと帝に捧げたところ、その褒美に「唐津大明神」の称号を賜ったといいます。
1186年に神田広が社殿を造立し、神田宗次の霊を合祀します。
寺沢氏が唐津城を築いて入城した時には、「唐津神社」を再建し、それ以後唐津藩主の祈願所と定められてきました。

 「唐津神社」の横には、「曳山展示場」があります。
ここには「唐津神社」の秋祭りである「唐津くんち」で使う曳山が展示されています。
他の地方のみこしやだんじりと違って曳山には個性のある形が施され、漆で処理され豪華な姿をしています。
祭りは3日間行われ、獅子や魚の形をした14町の巨大な曳山が唐津の旧市街を練り歩きます。
特に2日目には曳き込み・曳き出しが行われます。
これは砂浜に曳山が整列することですが、2トン以上の重さのある曳山は車輪が砂地にめり込むことをものともせず、砂の上を曳き回る勇壮さにあります。
そんな「唐津くんち」の曳山が、ここでは一堂に展示されています。

 その北側を歩いてくと「西ノ門館」があります。
ここでは曳山の修復を実際に行っている様子を見ることができます。
またこの地方に伝わる「唐津焼」の焼物が並べられています。

 それでは東に向かって進んで行きます。
「埋門ノ館」は、武家屋敷風の木造平屋建ての建物で、中は地域の集会場になっています。
畳が敷かれた和室の間の隣には能の舞台もあり、地域の方々の趣味や集いの場です。

 そこからさらに東に行くと、「時の太鼓」があります。
公園の片隅に時計台があり、1時間単位に時が告げられます。
今回はその時間まで待つことができず、北にある「旧高取邸」に急ぎます。

 「旧高取邸」は煙突を持つ石造りの洋館を境に、左右に和風建築が並んでいます。
ここは、杵島炭鉱などの炭鉱主として成功した高取伊好の邸宅です。
そして2300坪の広大な敷地をもつ海岸沿いに建てられた大邸宅なのです。
正面から向かって洋館の左手に住居、右手に接客用の部屋が並んでいます。
驚くことに右手の建物のなかには能の舞台が造られており、可動式の襖は敷居ごと移動できるようになっています。
能を行う時だけは舞台後方とその左右が広くなり、演者の行き来ができるように工夫がされています。
また襖や欄間は部屋ごとに違った加工がなされ、特に欄間に至っては彫りぬいた模様がこぼれた光によって、隣の部屋の壁にうっすらと映し出される芸術的な演出をしています。
あらゆる部屋に贅を尽くした建物です。

 ここで雨が強く降ってきました。
これから訪れる「唐津城」まで城の北側の海岸から入って行きます。
北側は「西の浜海水浴場」になっており、和風の「水野旅館」には唐津藩武家屋敷の門が残っています。
風情ある旅館です。

 その先に城に登る石段があるのですが、雨で石段の前の道が水没してしまっています。
石段の脇から身体をぶら下げながら、必死で登ったのでした。
幸い少し登ったところにエレベータがあります。
行きは乗ってもいいかという気持ちと、どんなものかの興味半分で、乗車券を購入します。
箱と扉は普通のエレベータのようにあるのですが、エレベータはななめに進んで行きます。
なるほど、乗り口が城の真下にない筈です。
おかげで満島山上の城の入り口近くまで、あっという間に着いたのでした。

 「唐津城」は、豊臣秀吉の家臣 寺沢志摩守広高が築いた城です。
豊臣方の広高は1595年にこの地に封ぜられます。
ところが1600年の関ヶ原の戦いでは東軍方についたために、その後は肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名となります。
1602年に築城を開始した「唐津城」は1608年に完成します。
ここ山上の本丸の他、二の丸に藩庁御殿、三の丸は侍屋敷が配された連郭式の平山城で、天守は一時建設されたことがあるものの記録に残っているのは天守台までです。
現在の天守閣は1966年に造られたものです。
そして城の東の浜辺には松林が広がり、日本三大松原の「虹の松原」として美しい眺めを供しています。

 城をあとに「城内橋」を越えて、「旧唐津銀行」の方向に戻ります。
松浦川の横に「三ノ丸辰巳櫓」が建っています。
ここは三の丸の東南隅に建てられた見張りや防御のための櫓です。
隣には木製の太鼓橋である「千鳥橋」が美しい姿を放っています。

 朝から降っている雨も一層激しいものになってきました。
この辺で駅に戻り、ゆっくりすることにします。

 
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