にっぽんの旅 九州 佐賀 有田

[旅の日記]

有田焼の里を尋ねて 

 焼き物で世界に名をはせる有田を、今回は訪れてみます。
有田焼で有名な有田です。

 JR長崎本線の肥前山口駅で松浦鉄道に乗り換えます。
2両編成の列車が、単線の線路を走っていきます。
列車に揺られること30分余り、降り立った駅は「上有田駅」です。
瀬戸や常滑などの焼き物の本場のように、これだけ知られている有田焼ですから込み合ってる場所を予想していたのですが、「上有田駅」で降りたのはたったの2名。
想像していたものとのギャップに打ちのめされました。

 有田焼の本場だけあって、焼き物を扱っている店が目立ちます。
まずは駅北側にある「大公孫樹」に寄ってみます。
「大公孫樹」とは銀杏の木のことで、推定樹齢は1000年、高さ40m、根回り12mにも及ぶ巨木です。
葉が落ちたばかりで、もう少し時期が早ければ黄色に染まった銀杏を楽しむことができたことでしょう。

 その前には「泉山口屋番所」があります。
江戸時代に佐賀藩の役人がここ「口屋番所」に常駐し、陶石ややきものの持ち出しなどに対し厳しく取締っていました。
その証拠に、17世紀初頭に朝鮮人陶工 金ヶ江三兵衛がこの泉山で陶石を発見します。
いわば有田での磁器製造のルーツがここにあったのです。

 辺りには「トンバイ塀」を見ることができます。
「トンバイ塀」とは登り窯を築くために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具や陶片を赤土で塗り固め作った塀のことです。
磁器が貼り付けられた塀は、これでまたひとつの芸術です。
有田陶磁美術館まで続く「トンバイ塀」を味わうために、あえて裏通りばかりを歩いて行きます。

 「小路庵」は江副孫右衛門が住んでいた家です。
有田では町の中を縫うように走っている狭い通路を小路と呼び、この家の前の道の突き当りに柿の木があったことから「柿の木小路」と呼ばれていました。
1925年建設当時の様子を残した「小路庵」が、ここに保管されています。

 やがて目の前に現れるのが「有田陶磁美術館」です。
1874年に建てられた焼物倉庫を使った美術館で、「陶彫赤絵の狛犬」や「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」などが展示されています。
初期の有田焼は、素地が厚く染付のみの素朴なものでした。
色絵(上絵付け)が始まったのは1640年代で、初代酒井田柿右衛門が成功したとされています。
陶磁器用の絵の具で釉薬の上に彩色を施す技法で、それまでの単色の世界から多彩になり画期的な変化をもたらしたのです。
1650年代からは、オランダの東インド会社により買い付けられた有田焼は東南アジアやヨーロッパの国々に輸出され始めます。
当時のヨーロッパには中国や有田のような磁器を作る技術がなかったため、ヨーロッパの王侯貴族の間で高く評価されコレクションとして重宝がられました。
1670年代から1690年代にかけては「柿右衛門様式(かきえもんようしき)」が流行します。
乳白色の素地に、絵画のような構図で色絵を施すのが特徴です。
そのころようやく磁器の技術を習得したドイツのマイセン窯でも、「柿右衛門様式」が模倣されました。
17世紀の後半には、鍋島藩がそれまで有田にあった窯を伊万里の大川内山に移してしまいます。
磁器製造は藩でも機密事項で、技法が漏れないように山深くに隠してしまったのでした。

 先ほど訪れた泉山で採れる陶石の話や特徴的な「トンバイ塀」の話も聞くことができます。
建物や街並みを見て回るのが好きだと言うと、「有田異人館」に是非行っておくべきだと勧められました。
そこで早速「有田異人館」に向かってみることにしましょう。

 有田焼の窯元や販売店が並ぶ中、「有田異人館」がありました。
正式名称を「田代家西洋館」といい、有田の貿易商 田代紋左衛門の子である田代助作が外国人の接待や宿泊のために建築した擬洋風建築の建物です。
1876年の建築で、有田の繁栄が判る遺物です。
木造2階建の桟瓦葺の建物ですが、正面に円柱を並べて1階にポーチ、2階をベランダとして、外壁は漆喰塗りで窓にステンドグラスを用いたアーチ形の欄間に飾られています。
内部にはらせん階段を備えるなど、洋風の造りとなっています。
その反面和の伝統技術を採用し、居室は畳敷、壁や天井には和紙が貼られるなど日本の良さを取入れています。

 ここまで来たのですから、もうひとつ寄りたいところがあります。
それは「陶山神社」で、神社の境内に電車の線路が横切っている面白いところです。
陶磁器が至る所に使われており、鳥居はもちろんのこと狛犬や灯篭も有田焼で造られています。

 さらに「有田駅」に向かい、1駅分を歩いて行きます。
通りには「有田異人館」以外にも町が繁栄していたころの当時の和風建築、そして洋風を採り入れた建物が並んでいます。
立派な建物と思い入ってみると、単なる有田焼の店であったりします。

 「岩谷河内區」の碑が建っているところまでやって来ました。
ここが區山代官所のあった場所で、先ほど見てきた「泉山口屋番所」が有田内山の東の端に対して、ここは西の端にあたるところです。
これらの間の場所が「有田千軒」と呼ばれるほど、磁器で潤ったのです。

 ここから先は、「有田駅」まで黙々と歩きます。
やがて家の数も増え、いよいよ「有田駅」に近づいてきました。
ここでどうしても食べたいものがあります。
この地方の料理で「ごどうふ」と言います。
豆腐を作る際に豆乳ににがりを使って固めるのではなく、くずや澱粉を混ぜて加熱し凝固させることできめ細かくてねっとりします。
豆腐屋ならその場で食べることができるかと向かったのですが、予定の数量が売れたので店を閉めています。
小さなスーパーがあり「ごどうふ」が置いてあったのですが持って帰るわけにもいかず、かといって1丁の豆腐のために醤油を買うのもどうかと悩んでいた時です。
駅前の観光案内所に併設されている喫茶店に「ごどうふ」の文字が掲げられているのを見つけました。
中に入ると確かにメニューに「ごどうふ」が載っています。
そう「ごどうふ」は豆腐として食べるほかにも、黒蜜をかけて食べると立派なデザートにもなるのです。
黒蜜にきなこがかかったものは、きめ細かな豆腐がプリンやムースのような感触でいただくことができる美味しい食べ物でした。

 そして目的の「有田駅」は、JR佐世保線が通り松浦鉄道の終着駅です。
この辺り一番の賑やかさがあるかとかすかな期待してきたのですが、静かな田舎町の小さな駅です。
どうりで有田で宿が取れなかった訳がここに来て判ったのでした。

 
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