にっぽんの旅 九州 沖縄 石垣島

[旅の日記]

八重山の中心 石垣島 

 日本最南端の八重山諸島、その中心の島となる石垣島に来ています。
本州からは飛行機の直行便もあり交通の便は良いものの、石垣島まで行こうとすると少し勇気がいります。
今回は清水の舞台から飛び降りた気分(ちょっと大げさですが)で、やってきました。

 石垣空港は地方空港の割には便もあり、空港内の店もそれなりにあります。
空港建物の前には、大きなシャコ貝が飾られています。
10月末で、朝夕は本州ではそろそろセーターが必要な時期なのに、石垣では半袖姿です。
本州はもとより沖縄本島に行くよりも、台湾の方が近いだけあります。
そんな亜熱帯の石垣島を、本日は旅します。

 朝から出てきたのですが、すでに昼前。
まずは昼食を取ることにしましょう。
町の中心まで移動する途中に、その店はあります。
石垣と言えば「石垣牛」でしょうと沖縄出身者に紹介され、民芸料理屋で焼き肉を出してくれるところにやってきました。
脂身の程よく付いた、花のような肉が食卓に並びます。
中央には石垣で道端にも生えていて食べることができる草(名前を忘れてしまいましたが)が、乗っています。
そんな黒毛和牛を、炭火で焼いて食べます。

 畜産王国の石垣島では牧畜盛んで、ここで飼育された牛が全国に渡っていきます。
島を車で走ると、サトウキビ畑か牛の放牧場しか目に入らないくらいです。
牛の取引場もあって、ここで売買が月1回行われています。

 牛のほかにも鶏やエビなど素材の良さと炭火の魔力で、どれも香ばしくて甘くいただくことができます。
口が脂っこくなると「海ブドウ」のサラダを口に入れ、それを肉とともに「石垣島地ビール」で流し込むのです。
最後は、サトウキビアイスクリームを注文します。
ほんのり茶色がかっているアイスクリームですが、もともと甘いものだけあって味の違いは判らなかったというのが正直な感想です。

 さて腹も満たし、最初に訪れたのは「宮良殿内(みやらどぅんち)」です。
ここは1819年に建てられた士族屋敷で、朱里の貴族の屋敷を真似て造ったために琉球王朝から取り壊しを求められました。
それに従わなかったために、今に残りこうして見ることができるのです。
石垣の象徴でもある赤瓦葺きの建物は実際に人が住んでおり、中には生活感を感じるような家財道具や扇風機が見えます。
縁側からは、サンゴを並べた枯山水の日本庭園を望むことができます。
こんな建物が、住宅街の家々の中に当たり前のように存在しているのです。

 そんな八重山の文化を学ぶために、「石垣 やいま村」へ向かいます。
ここは八重山の古民家を移設し、1ヶ所に集めたテーマパークです。
そんななかのひとつである牧志邸に、人が集まっています。
そこでは、「三線(さんしん)」と太鼓を使った舞踊が行われています。
「三線」とは中国福建省で生まれた「三弦」が沖縄に伝わり、独自の発展を遂げたものです。
表面には蛇の皮が張られており、見た目は三味線に似た楽器で良い音色を奏でています。
牧志邸は1923年に建てられた石垣市長 牧志宗得の旧邸宅で、門に当たる塀の入り口の両側には大きなシーサーが門番をしています。

 森田邸は1909年に築造された旧士族 森田家の邸宅です。
部屋数が多く広い裏座敷や突き出た玄関など、八重山の典型的な土族屋敷の形式を代表する家屋です。

 1907年に建築された大浜邸は、早稲田大学7代目総長や沖縄国際海洋博覧会協会長などを務めた大浜信泉の生家です。
その他にも、いくつかの八重山文化を継承する建物が保存されています。

 「やいま村」の敷地は広く、多くの動植物やマングローブの林が広がっています。
水牛やカンムリワシ、リスザルなどの珍しい動物が飼われています。
特にリスザル園には多くのサルが生息しており、広い檻の中に入るとリスザルが餌を求めて出てきます。
気を付けなければポケットに手を入れて、中のものを取られてしまうので注意が必要です。

 一方マングローブ林の中を歩いていると、水を湛えた木の根元の泥の中から小さなハゼやカニが顔を出しています。
地上にまで根が張り出したマングローブ林は、一種異様な雰囲気があります。
そんな林の中を、板が張られた遊歩道を歩いて回ります。
ひとしきり八重山の文化と自然に触れて、初日はホテルに入ります。

 夜は琉球料理を楽しみます。
発酵させてチーズのような味のする「島豆腐」を少しずつかじりながら、喉が焼けそうなアルコール度の強い泡盛で流し込みます。
「島豆腐」はコクがあって、これまで味わったことのない絶品の美味です。
ただし酒に弱い人は、口にできないものかもしれませんが。
一方の魚は、島で採れる新鮮な刺身も食卓に並んでいますが、ここで目を引くのは郷土料理であるトビウオのから揚げです。
これも普段は口にすることができない食材です。
「ラフテー」はいわゆる豚肉の角煮で、皮付きのもも肉であるヒサガーを泡盛や醤油で甘辛く味付けしたものです。
力を入れなくてもスッと箸が入り、とろとろの肉に仕上がってします。
こうして、1日目は終わりを告げます。

     


 翌日は、朝から快晴です。
今日の1つ目は、西海岸の「川平湾」を目指します。
ここは石垣島でぜひ訪れてみたかった場所なのです。
駐車場から海へは、海岸を見下ろす形で坂を降りて行きます。
途中に小さなお堂があります。
奥には観音像が祀られており、次のような言い伝えがあります。

 ある日、「川平湾」にマーラン船が停泊していました。
舟でやってきた小僧は川平村へ上陸し、順風が吹くまで待つことにします。
しばらくして浜に戻ってみると、マーラン船は既に出帆しており、はるか沖を帆走する姿が確認されました。
驚いた小僧は、船が川平湾へ戻るよう一心に祈ります。
すると小僧の熱願は天に通じて、北風が吹き乱れ船は戻って来たのです。
無事乗船することができた小僧は、その後和尚となります。
和尚となり島に戻ってきたときに、自分の祈願したこの地に観音堂を建て祀ったということです。

 そんなお堂を横に見ながら、「川平湾」に降りて行きます。
浜にはグラスボートが並び、陸を先頭に船は浜に乗り上げています。
そして、コバルトブルーの海が広がります。
浜に降りると、澄んだ海水で海の底が見えていることに驚きます。
浜から大海原に目を向けると、水は足元の透明から鮮やかなコバルトブルーに変わり、はるか遠くで1直線に白波が立っています。
そう、白波の立っているところがサンゴ礁の切れ目のところで、そこまでが遠浅の海がずっと続いているのです。
一方の陸側には、すぐそばにサンゴ礁が隆起した崖が続きます。
浜にはヤドカリが、せっせと貝の家を重たそうに運んでいます。

 それではここでグラスボートに乗って、海の中を眺めてみましょう。
遠浅の海は船底がすぐ海底で、サンゴの間を黄色や青の魚が泳ぐ様子を見ることができます。
無数のシャコ貝がびっしりと敷き詰められ、群生している箇所があります。
すべてがこちらを向いて口を開いている様は、異様な光景です。
船の上から見るだけでも美しい石垣島ですが、ダイビングツアーに参加すればさぞかし素敵なことでしょう。
あっという間の30分のグラスボートでの湾内遊覧が終わっても、浜でゆっくり過ごすことで心癒されるのでした。

 その次に訪れたのが、石垣市街にほど近い「石垣島鍾乳洞」です。
まずは竜宮城のような門を通って、中に入ります。
門を潜ったところに、珍しいものが飼われています。
「ヤシガニ」で、陸上生活をする最大の甲殻類で、名前はカニと呼ばれますがヤドカリの仲間です。
種類によっては若い時に貝殻を身につけ、大きくなるとヤシの実を身にまとうものもいるようです。
絶滅寸前の「ヤシガニ」ですが、沖縄での生息が確認されています。

 さて階段を下りて、本題の「石垣島鍾乳洞」に入っていきましょう。
日本最南端の鍾乳洞で、20万年もの時をかけて自然が造り出した産物です。
全長3.2kmのうち、700m近くが現在公開されています。
上からも下からも石柱が伸びており、神秘的な空間です。

 この後は、公設市場に向かい海の幸いっぱいの食事と街中散策を楽しむ予定でした。
ところが、ここで緊急事態が発生します。
急遽自宅に帰らなければいけない急用が、入ってしまいました。
帰りの飛行機を急きょ手配し、空港までのタクシーを呼んでのドタバタの帰宅です。

 帰ってからのバタバタを考えると、空港で飛行機を待つ間の時間に少し早めの昼食を取ることにします。
毎日が豪華な食事ばかりでいままで食べることができなかった「八重山そば」を、皮肉にもここで口にすることができたのです。
豚骨の出汁に沖縄そばのような蕎麦粉を用いない麺から成り、ほんのり甘みのある食べやすいものです。
中央には醤油で煮染めた豚の赤身肉が乗っており、
一緒に頼んだ「アーサーの天ぷら」も、磯の香りがしてこちらも美味しい1品です。

 赤瓦の八重山の街並み、そしてどこまでも澄んだ海、どれをとっても満足のいく石垣島でした。
今回見逃したところをもう一度行ってみたい、石垣島の旅でした。

 
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