にっぽんの旅 九州 大分 大分

[旅の日記]

耶馬溪と青の洞門 

 本日は中津駅から「耶馬溪」を巡ってみます。
「耶馬溪」へは車を借りるかバスでの移動になります。

 中津駅を出たバスは、「山国川」を上流に上って行きます。
1600年に中津城に入封した細川忠興は、当時の山国川の本流であった大家川を締め切って中津城の外堀とし、派川の中津川を本流とします。
耶馬溪から流れる「山国川」は緩やかに流れる河川でですが、時として川幅が狭くなり流れが急になるところがあります。

 30分近く走ったところに現れたのは、「耶馬渓橋」です。
8連の美しい石造アーチ橋で、日本百名橋のひとつにも数えられています。
全長116mの橋は、石橋で日本一の長さです。
長崎県の石橋に多い水平な石積みであることから、「オランダ橋」とも呼ばれています。

 そしてその先には「青の洞門」があります。
断崖絶壁に張られた鎖を伝って行き来する難所だったこの地では、人や馬が足を滑らして命を落とすことが絶えませんでした。
そこで禅海和尚は安全に行き交うことができるように、トンネルを掘ります。
最初は見向きもしなかった村の人々も、彼の熱意に負けやがて加勢するようになります。
ノミと槌で掘り進み、手掘りの144mのトンネル部分を含む342mの道は、こうして1763年に開通したのでした。
トンネルの明かり採り窓からは光が差し、「山国川」の光景が眩しく思えます。
石工たちに支払われた工賃の回収のために行われたのが通行料の徴収で、ここは日本最初の有料道路でもあったところです。

 「青の洞門」の次は移動し、その先の「羅漢寺」に向かいます。
「羅漢寺」へは、山の麓からリフトに乗って出かけます。
スキーで使う一人乗りの椅子だけのリフトが、足として使われています。
「羅漢寺」は最初の駅で降ります。

 参道の山道を進み、岩の割れ間にお堂「千体地蔵」が見えます。
正面には無数のしゃもじが打ち付けられており、中には石像が祀られています。
山門を潜ると、その先には五百羅漢が祀られる「無漏窟」、そして本堂へと続きます。
「羅漢寺」は、法道仙人によって645年に開かれた寺院と言われていますが、定かではありません。
円龕昭覚が1337年にここを訪れ、十六羅漢を祀ります。
1359年には逆流建順と昭覚禅師が石像建造に励み、わずか1年で700余体の石像を造り上げます。
「羅漢寺」には、これら3700体以上の石仏が安置されているのです。
本殿も岩の間に埋め込まれるように建てられており、反対側には「耶馬溪」の緑豊かな山々を臨むことができます。

 さらに先に進みましょう。
「耶馬溪湖」はダムでせき止められた水を湛える人造の湖です。
噴水があり、吹き上げる方向は時間によって変わります。
四方八方に水が散り円形を描いていたがと思うと、今度は一本の高い水の柱に変わっています。
見ていても飽きない噴水です。
またかつては中津駅と守実温泉駅を結ぶ大分交通耶馬渓線がありましたが、その時に利用されていた鉄橋の跡も、道中には見ることができます。

 いよいよバスは奇岩が顔を覗かせる「深耶馬溪」へと向かっていきます。
到着したのは「耶馬溪町特産物販売所」のあるパーキングです。
ここから展望台まで歩きます。
蕎麦と椎茸にまつわる饅頭や佃煮が店で売られています。
辿り着いた展望台は、名前で予想する高所にあって周りを眺める展望台とはちょっと違います。
展望台は家の2階ほどの高さしかなく、周囲にそびえる奇岩の数々を下から見上げる形です。
「一目八景」と言い、ぐるりを見回せば8つの違った景色を見ることができる場所なのです。
山の木々の間からは岩肌が覗き、荒々しく美しい山の風景を目にすることができます。
下を流れる「山移川」に目を移せば、大きな岩がごろごろ転がった合間を、澄んだ水が流れています。
大自然の中にポツリとおいて行かれたような感じがします。
しばらくは周りの風景に酔いしれてみることにします。

 さて今日のお土産は、昼食で食べた椎茸の佃煮でしょう。
椎茸栽培が盛んなこの地域の特産品の椎茸を、辛子で和えたものです。
辛いながらもご飯のお供としては、ふっくら炊きあがった米との愛称はバッチリです。
こうして、再び中津の町へ向かったのでした。

     

   
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