にっぽんの旅 九州 大分 小鹿田皿山

[旅の日記]

焼き物の里 小鹿田皿山 

 今日は大分県日田に来ています。
ここから山に向かって、焼き物の里を訪れてみます。

 日田バスターミナルから小鹿田(おんだ)皿山行きのバスに乗ります。
やってきたバスは、少し小さめの路線バスです。
行先表示は電光掲示板でも布を巻き取ったものでもなく、昔ながらの看板です。
運転手が出際よく、乗降口外側にある行先表示の看板を付け替えます。
これからバスに揺られて、30分のところにある終点まで向かいます。

 バスは花月川に沿って、山の奥へ入っていきます。
田で囲まれた人が住む集落を巡ってきたバスも、この辺りに来ると風景が一転します。
切り出した木を並べた木材加工の工場が目につきます。
やがて川は市ノ瀬川と小野川に分かれます。
今回は小野川伝いに、さらに川上へと進んでいきます。
木々の間を潜り、バスは山道を上って行きます。

 そして着いたのが、終点の小鹿田皿山です。
この辺りは、小鹿田焼きの窯元が集う集落です。
川の向こうには、登り窯の煙突が見えています。
そんな風景を目の前にすると、否が応でも気分は高まってきます。
この集落で今では10件の窯元が焼き物を作り、玄関先を店にしてできた茶碗や器を展示販売しています。

 どこからともなくドカンドカンと響くような音が聞こえてきます。
それも1箇所ではなく、方々から聞こえてくるのです。
音のする方向に足を進めてみると、小屋の前に水が流れ何かを動かしています。
川の水を利用し、大きな大きなししおどしのようなものが上下に首を振っています。
溜まった水の重みで首をもたげて、一斉に水を放つ時に鳴る音でした。
そこで小屋の中を覗いてみます。
そこには唐臼の中に水の力を使って突かれた土があり、ゆくゆくはこれが小鹿田焼の陶土になります。
山から掘り起こした土がさらさらになるまで、10日余りを要すものです。

 壁に小鹿田焼の焼き物を埋め込んでいるお宅があります。
同じような壁は愛知県の常滑でも見たことがあります。
どちらも焼きものの産地で、そんな所でしかもったいなくてできないことです。

 登り窯は個人宅にもありますが、集落の中央には共同窯もあります。
見るからに大きく、多くの焼き物を一斉に作ることができます。
煉瓦を積んで作った登り窯です。
器を窯の中に並べ、下の入り口から薪をくべて陶器を焼いていきます。
傾斜があって奥になるほど高くなっており、その先端に煙突が経っています。

 それではその中の1件を訪ねてみましょう。
敷地内にはろくろで形を整えたばかりの茶碗が並べられ、天日干しの最中です。
小鹿田焼では、ろくろも昔ながらの人力のもので、足で蹴って回していきます。
焼きあがった茶碗にはへらでつけた削り文様がはっきりと浮かび上がり、これは「飛びカンナ」と呼ばれる小鹿田焼の特徴です。

 豊かな土と豊富な水があってこそ成せる業です。
川には常に水が注ぎ、通りにはアジサイが満開の時期を迎えています。
誰にも邪魔をされないのどかな山の中の集落の様子です。

 もう1件の窯元では、水槽には突いた土を水でこねて泥上になった陶土が入っています。
ここから水分を抜き1ヶ月かけて乾燥させ、さらに人の手を加えて練り上げて初めて焼き物の陶土となるのです。
数件の窯元を巡るだけで、小鹿田焼の製造工程を実際に目で見て知ることができます。

 それでは最後に「小鹿田焼登記会館」を訪れます。
集落の一番高いところにあって、集落全体を眺めることができます。
館内には小鹿田焼伝来の歴史や、作り方、そして焼きあがった作品が展示されています。
小鹿田焼は、江戸幕府直轄領いわゆる天領であった日田の代官によって、領内の生活雑器の需要を賄うために興されたものです。
1700年代初期のことです。
小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって、小鹿田焼はこの地に根付いていきます。
小石原焼の分流の窯として開かれていたもので、朝鮮技法を取り入れた小石原焼の影響を強く受けています。
先ほどみ見てきた「飛びカンナ」の手法が、ふんだん取り入れられています。

 さて帰りも来た時と同じバスで日田に戻ります。
小鹿田皿山では何組かの観光客にありましたが、皆車のようでバスでわざわざやって来るのは珍しいのかもしれません。
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