にっぽんの旅 九州 大分 大分

[旅の日記]

日本一の温泉県 大分 

 本日は、九州の大分を訪れてみましょう。
新しくなった駅ビルのてっぺんには、五重塔があります。
「夢かなうぶんぶん堂」と呼ばれる七福神が祀られたお堂です。

 それでは駅前から、「府内城」にまっすぐ伸びる道を進みましょう。
左手には「演技横町」の通りが見えます。
さらに進むと、右手に煉瓦造りの堂々とした建物があります。
ここは「大分銀行 赤レンガ館」で、ルネサンス様式の優雅な姿をしています。
東京駅丸の内口駅舎を設計した辰野金吾作の建築物で、1910年に二十三銀行本館として開業しました。
大分大空襲にも耐え抜き、戦前から残る数少ない作品となっています。

 大分駅から10分ぐらい歩いたことろにある国道197号線との交差点からは、右手に建物が途絶え木々が覗いている場所があります。
ここは「府内城」です。
臼杵より転封した豊臣秀吉家臣の福原直高は、1597年に堅固な城郭を求めて大分川河口付近のこの地に築城を開始します。
以前からこの地は船の荷役を扱う「荷落」という地名をもっていたことから「荷揚城」と称されました。
1599年に城は完成しますが、福原直高は再び臼杵に転封されます。
代わりに城主となったのは、府内代官であった早川長政です。
ところが関ヶ原の戦いで西軍についた早川長政は改易となり、今度は竹中重利が入城します。
1601年のことでした。
重利は荷揚城の大改修に着手し、今の「府内城」の姿はこの時に整備されました。
その後は1743年の大火で天守を含む多くの建物が焼失し、1872年には大分県庁が置かれた経緯もある大分の城「府内城」なのです。

 それでは、その「府内城」に入ってみましょう。
「大手門」は熊本地震で瓦が落ち、通行禁止になっています。
横手に回って、城内に入ります。
天守閣はなく、ひときわ高い天守台だけが残っています。
天守台からは、内堀に架かる「廊下橋」が見えます。
西の丸と山里丸を結ぶ「廊下橋」は、1996年に復元された天井と壁で囲まれた橋です。
山里丸があった場所に、今では「松栄神社」が建っています。

 ここからは「大手門」から南に延びる「遊歩公園」を歩きます。
「遊歩公園」は道の中央を公園にしたもので、公園内や道の両側には大分にまつわる偉人の銅像が並んでいます。
フランシスコ・ザビエルに混ざって、公園の中ほどには瀧廉太郎像もあります。
有名な「荒城の月」は、大分県竹田市の「岡城」を詠んだものとされています。

 さて夜は、大分の美味しいものを食べに行きます。
「大分銀行 赤レンガ館」と大分駅との間に、テーブルに惣菜が並ぶ小料理屋があります。
店に入りまず頼んだのは「りゅうきゅう」、アジなどの魚を醤油・酒・砂糖に漬けネギやワサビ・ゴマを乗せたものです。
漁師飯の「りゅうきゅう」が、大分の地元名物になっています。
そして「とり天」です。
「とり天」は一口大の鶏肉を醤油やおろしニンニク等で下味を付け、水で溶いた小麦粉で揚げて衣を付けたものです。
なるほど、大分駅前には鶏の像がありましたが、これだったのですね。

 こうして大分の夜は更けていったのでした。

 
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