にっぽんの旅 九州 長崎 対馬

[旅の日記]

対馬周遊の旅 

 長崎県の対馬に来ています。
対馬は5つの有人島と102の無人島からなり、ここ対馬島は南北82kmの細長い島に3万人が住んでいます。
朝鮮半島まで50kmの距離にあり大陸に近いことから、古くから大陸と日本との物品と文化の窓口としての役割を果たしてきました。
その対馬を丸1日かけて車で巡ってみます。

 南北方向にはそれなりに距離があり山が連なっていることから、車移動とはいえ時間が読めません。
まずは時間のかかる島の北の端に向かうことにします。
道路は整備されており、遅い車に行く手を阻まれない限り、快適にドライブすることができます。

 周りを見ていて気になったことがあります。
切り株の丸太に屋根をつけたような奇妙な形のものが、道から見える所に置かれているのです。
不思議に思っていたのですが、ようやくその謎が解けました。
今や貴重になったニホンミツバチですが、天敵がいないことから対馬ではニホンミツバチだけが生息しています。
日本で唯一ここだけで、和種の生態系が維持されているのです。
そのニホンミツバチの蜜を取るための巣箱が、至ることろに置かれているのでした。

 さらに車を進めていきます。
道路に見たことのない珍しい標識が出てきます。
よく見ると「ツシマヤマネコ 飛び出し注意」と書かれています。
そう、対馬に住む固有種であるツシマヤマネコを交通事故から守るための運動です。
肝心のツシマヤマネコには、この旅行中に出会う機会はなかったのですが。

 厳原から車で2時間ほど走った時でしょうか、目的地である「観光展望所」に着きます。
韓国風の門を潜った駐車場の先に、展望所はありました。
あいにくの曇り空でうっすらと陸地のような影は見えたものの、大陸をはっきりと認識するには至りません。
しかしわすか50km先が外国で、しかも日本の九州本土までの132kmよりもはるかに近い場所は他にありません。
紛れもなくここは「国境の町」なのです。

 駐車場にはもうひとつ標識が出ていました。
左が「韓国展望所」、右は「豊砲台跡」となっていましたので、同じくらいの距離で「豊砲台跡」にも辿り着くのかと思っていましたが、なんのなんの。
砲台跡は道こそ険しくないものの、上り下りを繰り返し半島の先まで続いています。
汗をかきながら辿り着いたのが、「豊砲台跡」です。
1934年に旧陸軍によって建造された砲台は、旧ソ連からの攻撃に備えたものです。
厚さ3mのコンクリートで囲まれた筒状のもので、戦艦長門と同じ40cmのカノン砲を装備していました。
砲台跡の上から、中を覗くことができます。

 砲台を見た後は網代に行って洗濯岩などを見ようとしていたのですが、借りたレンタカーのナビでは出てこず、またここに来るまでに思った以上に移動に時間がかかったことから、後の行程を考えて厳原に戻ることにします。
さきほど来たばかりの一本道なので、迷うこともありません。
その途中で対馬の中央に位置する「和多都美神社」に寄っていきます。
「和多都美神社」には順調に到着しました。
この神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀る海宮で、竜宮伝説が残されています。
海からの海水が入ってくる入り江の潮だまりには、3つの柱をもつ鳥居があります。
真上から見ると正3角形の形をした鳥居です。
それでは拝殿にお参りをしに行きましょう。
両側に登録が並ぶ参道を通った先に「和多都美神社」はあります。
しめ縄は金色に塗られ、尊い雰囲気が漂っています。
反対方向に目を向けると、海に向かって3体の鳥居が一直線に並んでいます。
そのうちの2本は海中にそびえ、潮の干満によりその様相を変える神秘的なものです。

 「和多都美神社」から山側に続く道を進んでいくと、そこには対馬海峡を臨む絶好のビューポイントがあります。
「烏帽子岳展望台」です。
かなり標高の高い場所にありますので道端からも海を眺めることができるのですが、せっかくですから展望台に登ってみることにします。
展望台の上からは、眼下に浅茅湾と無数の島々がおりなす景観を一望することができます。
風が心地よく、島のもつ複雑な入り江をしばらくは眺めることにします。


 それにしても街のいたるところに韓国語がはびこっています。
道路案内も韓国語で、ここは日本じゃないのかと考える場面も多々あります。
観光客の多くが観光人なので、仕方がないことなのかもしれませんが。

 「烏帽子岳展望台」からの広々とした風景に満足して、次に訪れたのは「姫神山砲台跡」です。
近くまで車で行き、そこから先は徒歩となります。
ところが徒歩での道は畑のあぜ道を進み、その先は腰ほどの藪が広がる道なき道です。
少しは進んでみましたが、足場が悪くついには断念してしまいました。
ガイド付きのツアーがあるようですので、いつかは行ってみたいものです。

 そうこうしているうちに、今度は急にお腹が減ってきました。
早朝から車を走らせ、既に5時間が経っています。
ここは昼食にしましょう。
この近くに対馬名物の「ろくべえ」を出す店があるので、そこに行ってみます。
サツマイモから作る麺なのですが、訪れた年には品切れで代わりに食べたのが「対州そば」です。
日本そばの原点と言われるのがここ対馬のそばで、原種に近いそばが使われています。
なお文末に掲載している「ろくべえ」の写真は、後日味わった時のものです。


 さて昼からは島の南側を回ります。
まず最初に訪れたのが、島の西に位置する椎根の「石屋根倉庫」です。
本来は瓦を葺くところに厚い砂岩の板石を積み重ねた屋根があります。
堅固な石材が島内で容易に得られるこの地ならではの風景です。
面白いことに人家には使用せず、衣類や穀類が保管されている倉庫の屋根に使われていました。
石屋根は冬の強い季節風から荷物を守りました。
人家と小屋は別に建てられ、人家で起こした火災で倉庫のものが焼失するのを防ぐためだと云われています。

 ここから南の方向に次の目的地「豆酘崎(つつさき)」があります。
ところが南に通じる道がなく、もと来た所まで戻らなければなりません。
北側に較べて島の南側の面積は狭いのですが、振出しに戻るので時間がかかります。
文句を言いながらも、「豆酘崎」を目指します。

 途中で寄った「鮎戻し自然公園」では、綺麗な風景を見ることができます。
公園内は花崗岩で覆われた地形で、その中央を岩を侵食して流れる瀬川があります。
一枚岩の花崗岩に水がなめらかなに流れる様は、癒されます。

 しばらく車を進めると、港町の集落に入ってきました。
道幅が狭く両側に家が並びます。
「豆酘瀬」の集落です。
近くには「主藤(すとう)家住宅」があります。
土間の他に座敷(ほんざ)、台所、寝室(なんど)から成る三間取りで、これに一間通りの入側が表側に付きます。
土間は狭く、竈、流し、風呂などがあります。
木割が大きく長方形断面の柱を見付けが大きくなるように立てるのが、この地方の特徴です。

 さてお目当ての「豆酘崎」は、島の南西端になります。
荒々しい岩肌の絶壁の上に、「豆酘崎灯台」があります。
ここを航行する船の限界口になります。
眼下には東シナ海が広がっており、海の浅瀬にも灯台が見えます。
現在の「豆酘崎灯台」は1987年に旧陸軍要塞砲台跡に建設したもので、近くには砲台跡の一部も残されています。

 島の行きたかったところのほとんどを巡り終え、厳原に戻ります。
厳原の手前にある本日最後に行きたい場所に向かいます。
それは「対馬藩お船江跡」です。
久田浦に注ぐ久田川の河口に、1663年に造られた突堤と船渠です。
満潮時には大型の木造船が出入できる大きさがあり、逆に干潮時には干上がるようにできています。
当時の原形を保った石積みで、倉庫の後も残っています。
津軽藩の当時の盛況ぶりを垣間見る一面です。

 さあ今日は対馬の島を1周してきました。
1日の運転疲れを癒すために、人間のガソリンを補給しに厳原の居酒屋を探しに出掛けたのでした。

旅の写真館(1)