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[旅の日記]

原爆の爪痕残る長崎 

 JR長崎本線で長崎駅へやってきました。
今回は原爆に被災した長崎、そんな暗い過去を持つ長崎を訪れます。
長崎駅からは、長崎電気軌道の路面電車で「松山町」に向かいます。

 「松山町」の電停を降りると、道路の先には「平和公園」の入り口が見えてきます。
「平和公園」は18.6ヘクタールの広さをもち、ここが入り口といえどもまだまだ先に進まなくてはいけません。
真夏の炎天下で、汗がにじみ出てきます。
幸い公園の高さまでは、「平和の歩道」と名付けられたエスカレータで順に上っていくことができます。
エスカレータを降りると「平和の泉」と呼ばれる池が広がり、中には噴水があります。
その先は広場になっており、その一番遠いところには男性が右手を天に左手を左水平に差し出す有名な「平和祈念像」があります。

 広島の原爆投下に続き、長崎にも1945年8月9日に無情にも原子爆弾が投下されます。
当初は小倉に投下することを目標としていましたが、あいにく小倉陸軍造兵廠上空からは目視による投下目標の確認ができませんでした。
爆弾投下機のボックスカーは3回もの爆撃航程失敗のため、残燃料に余裕がなくなります。
そのうえ燃料系統に異常が発生したので、予備燃料に切り替えての飛行となりました。
日本軍からの対空攻撃は激しさを増し、第2目標であった長崎市への攻撃目標の変更を余儀なくされたのです。
ボックスカーが小倉を離れて約20分後には、長崎県上空へ侵入します。
ここでも雲が厚くかかっていたのですが、一瞬とはいえ雲の切れ目から長崎の町を確認し、投下に至ったのでした。
高度9000mから手動投下された原子爆弾は、1分後に市内中心地からは3kmも離れた地点で閃光を放ち、長崎は死の海と化したのです。
長崎市の人口24万人のうち7万4千人が一瞬にして死亡し、4割近い建物が焼失してしまったのです。
長崎が雲に覆われたままであれば原爆は太平洋に投下されていたのに、残念でなりません。

 そんな原爆の爆心地が、隣の「原爆公園」にあります。
公園内には「原爆落下中心碑」が建ち、ここが爆心地であったことを物語っています。
そしてこれから向かう「浦上天主堂」のレンガ造りの建物の一部が遺構として残されています。
そばには千羽鶴が飾られています。
原爆の痛ましい風景を目にしたのでした。

 それでは、原爆被害に合った「浦上天主堂」に歩いて行きましょう。
キリシタン大名がこの地を支配していたこともあり元々長崎にはキリシタンが多かったのですが、江戸幕府による異教禁制によって隠れキリシタンとして地下に潜ってしまいました。
鎖国解消に伴う長崎の開港で東山手や南山手に外国人居住区が作られ、1865年にはその一角に「大浦天主堂」が建てられます。
しかし明治政府も当初はキリスト教を禁制とし、キリシタンへの弾圧を行います。
そしてようやく、時代は禁制解消に動き出します。
それまで各地に散っていた信者が徐々に浦上に戻り、1879年に「浦上教会」の前身となる小聖堂を築いたのが1945年のことです。
その後は大浦天主堂から神父を呼び、1880年に浦上村の現在の地に移転してきました。

 しかし「浦上天主堂」も、原爆の被害に合います。
1945年の長崎への原爆投下によって破壊された教会の壁が、今も残されています。
1959年に再建され、今では信徒数が日本最大規模のカトリック教会です。

 次は「大学病院前」電停にある「山王神社」を訪れます。
神社に参るのではなく、鳥居を見に行きたかったのです。
「山王神社」の二の鳥居は、神社への石段を上り切ったところにあります。
またの名を「一本柱鳥居」というように、あの大きな鳥居が真ん中で折れその片方だけが建っています。
建っている鳥居の脇には、まるで数日前に取り壊したかの如く壊れた柱が道端に並べられています。
もちろんこれも原爆で破壊されたもののひとつです。
不安定な片方だけの鳥居ですが、不思議と倒れずに立っているのです。

 暑さに延びそうになり、喫茶店に入ります。
飲み物を探していると、メニューに「ミルクセーキ」が載っています。
これば久しぶりと、思わず頼んでしまいました。
よくよくメニューを見ていると、「ミルクセーキ」の並びにはイチゴやミルクのかき氷が書かれています。
ということは、「ミルクセーキ」はジュースじゃないの、氷なの?
そうこうしているうちに、当の「ミルクセーキ」がやってきました。
「ミルクセーキ」を凍らせ氷にしたものをかき氷機でかいたものが、長崎の「ミルクセーキ」なのです。

 喉を潤した後は、長崎駅へ帰ることにします。
実は長崎駅前にどうしても寄ってみたいところがあるのです。
それは「日本二十六聖人殉教地記念館」です。
豊臣秀吉が発するキリシタン禁止令によって、1597年に6人の外国人宣教師と20人の日本人信徒が処刑された丘に、記念館は建っています。
建物正面には殉教した26名のモチーフが飾られています。
二十六聖人の殉教以降も多くの信者が、火あぶりや水責めなどのむごい手段で処刑されてきました。
館内にはそのような迫害の歴史、そんなひどい目に合いながらもかたくなに信仰を続けてきた状況、それにザビエルによる日本でのキリスト教布教からの歴史が説明されています。
訪れる人はまばらですが、展示を見るにつれてひどく考えさせられたのでした。

 「日本二十六聖人殉教地記念館」から道を隔てたところには、「日本二十六聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会」があります。
スペインのバルセロナでガウディの建造物を見ているような気分になります。
そんな斬新な教会の姿です。

 さて長崎に来たからには、長崎のものを食べたいではありませんか。
かといってちゃんぽんや皿うどんは食べたことがあるので、何か珍しいものをと探します。
そんな中見つけたのが「トルコライス」です。
1つの皿にカツ、ピラフ、スパゲティとサラダが乗っています。
店の中には「皿が足りないからではないのです」と注意書きが書かれています。
確かに皿1枚で済む合理的な料理です。

 こうして今晩の食事は、久しぶりに安く済ますことができたのでした。
キリシタン禁止と原爆の二重の苦しみを味わい、それを克服してきた長崎を訪れた1日だったのでした。

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