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[旅の日記]

上五島の教会群(南部編) 

 五島列島に来ています。
五島列島と言ってもたくさんの島から構成されており、今回来たのは中通島いわゆる上五島です。
佐世保から船で2時間余りの船旅でした。
高速船もあるのですが、今回はあえてのんびりとしたフェリーを使いました。

 中通島の有川港はターミナルビルは、天井から鯨がぶら下がっています。
外に出ても石で掘られた鯨のオブジェが建っています。
そう、ここはかつては捕鯨で栄えた港です。
ターミナルは船の着く時間帯だけが人の出入りがあるだけののんびりしたものです。

 それではターミナルビルにある「鯨賓館」という名の鯨の博物館に入ってみましょう。
目の前の売店で入館券を購入して、自動改札を通って中に入ります。
ここでは捕鯨の歴史とともに、隠れキリシタンと教会群の上五島の文化が紹介されています。
これから訪れる教会を決めるうえでも、しっかりと見極めなければなりません。
なにしろ教会をひとつひとつ巡ると何日あっても足りませんので、めぼしいところをここで絞ることにします。

 実は今回の旅行も最初は上五島はざっと観て下五島に行く予定だったのです。
ところが上五島から下五島に渡る船が休航になり、上五島でもう1泊することを余儀なくされたのです。
これが幸いで、上五島に見どころがこんなに多かったとは予想もしていませんでした。
ということで、本旅行記は上五島の南側を巡る旅です。

 と言っても日が暮れてきましたので、今晩は島の美味しいものを探します。
鯨もあるのですが、五島でぜひ食べてみたいものがあります。
それは「かっとっぽ」というハコフグのみそ焼きです。
内臓を取り味噌を詰めて焼いたものに、ネギとショウガを乗せて食べます。
ハコフグは内臓には毒がないものの、えらの付け根から出す全身のぬめりに毒があります。
表面をしっかり洗ったハコフグは、箱形の身体がちょうど良い器になります。
白身のフグに味噌が会い、酒のあてでもご飯のおかずのどちらにも合うものです。
お腹をいっぱいにし、明日の島巡りに備えます。

 翌日朝起きてまず向かったのは、有川港の傍にある「海童神社」です。
ここで目を引くのが、石鳥居の奥の湾曲した1対の鳥居です。
鯨の顎骨で造られたもので、有川らしいのものです。
かつて毎年6月17日になるとこの日に限って海で溺死するものが相次ぎました。
そこで高井良福右衛門が神子島に石祠を建て海童神を奉祀したとされています。
ただしこの文書の真偽には疑問があり、1752年6月17日に船乗りの水難防止を祈願した通りもの(行列)を始めたとも伝えられています。

 それ以外の中通島の見どころは点在しており路線バスも本数が限られていることから、レンタカーを借りて車での移動になります。
西の青方港まで進み、そこから国道384号線を南に下って行きます。
途中にあるのが「真手ノ浦教会」です。
国道から入った集落の中にある、地元の教会といった雰囲気です。
当初は「オラショ館」というものがあり、ここが真手ノ浦集落の最初の祈りの場でした。
ところが手狭になったため、1956年に現在地に新しい教会が建てました。
今見ている教会は2010年に建て替えられたものです。

 さらに先を進むと、そこには懐かしさ漂う木造の校舎があります。
小学校でしょうか。
思わず車を停めて、覗き込んでしまいました。
よく見ると横に立て看板がありそれによると校舎の後ろに見える山は、最澄ゆかりの「山王山」ということです。
804年に遣唐使船に乗り込み中国大陸に渡った最澄は、天台山で仏教を学びます。
帰国後、比叡山延暦寺を開き天台宗を広げていきます。
航海に無事帰れたことに対して、この山に山王神を勧請しました。
宋の時代の鏡などが見つかっています。

 「中ノ浦教会」は1925年に建てられた木造平屋の白壁の教会です。
特徴的な正面の尖塔は、後年に増築されたものです。
今はなくなってしまいましたが、久賀島にあった細石流教会とよく似た装飾です。
湾の畔に建っているこの教会を一番美しく見るには、対岸から見た幻想的な水面に移る教会です。

 その先にある「若松大浦教会」は、他の教会とちょっと違います。
教会と呼ばれるところは民家のようなところです。
家の横に通路がありますので、そこを進んでみます。
民家の裏がこの教会の正面で、通路はそこに通じています。
家庭的な教会で、祭壇には地元の信者が製作した聖母像が祀られています。
ちょっとふっくらした聖母マリアは、いかにも素人が造ったものです。

 ここで若松島に渡りましょう。
「若松大橋」で若松島も中通島とつながっており、車で行くことができます。
若松島には2つの港があるのですが、そのひとつの土井ノ浦港に向かいます。
そこにあるのが「土井ノ浦教会」です。
1915年に旧大曽教会を買い受けて修復したのが、この教会の始まりです。
教会は港を見下ろす高台にあります。
中にはパイプ椅子が並んでいます。

 本当はこの先の福教島の「有福教会」と日島の「日島曲古墓群」まで行きたかったのですが、目的地までの距離はあるのに道は狭くなってきます。
他にも行きたいところがありますので、残念ですがここで引き返すことにします。

 再び「若松大橋」を渡って中通島に戻ってきました。
ここから南への脇道に逸れて、海岸線の曲がりくねった道を走ります。
実はこの先に「桐教会」があるのです。
当初は訪問することを予定していなかったのですが、昨晩の居酒屋でお薦めの教会を聞いたところ是非行くべきだと教えられたところです。
教会も素晴らしいのですが、何よりも目の前に広がる桐古里郷の湾の水がきれいなことに感激します。
潮の流れは速いのですが、底まで覗けそうな澄んだ緑が広がっています。
太陽の光が強い夏場は、さぞかし綺麗なことでしょう。

 素晴らしい眺めを観た後は、「福見教会」に向かいます。
地図では今いるところから東に少し移動すればよいように見えますが、道がなく先ほど走ってきた海岸沿いの道を「若松大橋」まで戻り大回りして行く必要があります。
いくつかの集落を通過ながら気長に車を走らせます。
やがて車は奈良尾までやって来ました。

 「福見教会」に行く途中に、真っ赤な屋根を持つ教会が見えます。
ここは「高井旅教会」です。
禁教令時代には外海の人々がここに移り住み、潜伏キリシタンとして信仰を守り続けてきました。
宗教の自由が保障された1939年に、集団洗礼によってカトリックへ復帰した人数は100名にも上ったと言われています。
「高井旅教会」は1961年聖堂が建立し、目の前には美しい砂浜が広がる高井旅海水浴場が近くにある場所です。

 「福見教会」はさらに先にあります。
外海の黒崎から多くのキリシタンが移住したのが、この場所です。
1882年に教会が建てられますが、2年後の大風で崩壊してしまいます。
しかし1913年に建立されたレンガ造平屋の新たな教会が、今あるものです。
教会は見えるのですがなかなかたどり着けず、集落の入り込んだ道を回っていきます。
苦労して行っただけあって、レンガ造りの建物は巨大で歴史を感じるものでした。

 ここは一路有川港まで北上します。
その途中に本日最後の教会はあります。
「旧鯛ノ浦教会」で、外海の出津から移住して来た子孫が集まる場所です。
1880年にブレル神父が上五島に来て、ここは司牧の拠点となりました。
教会は1903年に建てられたもので、戦争中は海軍に接収されていました。
戦後の復員で手狭になったことから、一度増築されて同時に正面に塔が付けられました。
塔には「旧浦上天主堂」の被爆レンガも使われています。
1979年には老朽化したことにより、旧教会を残したままその前に新たな教会が建てられました。
そして教会から北に少し走ったところには、「鷹の桑 キリシタン殉教碑」もあります。

 こうして上五島の南半分を見終えたのでした。
次回はいよいよ、残りの北半分に挑戦します。

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