にっぽんの旅 九州 長崎 厳原

[旅の日記]

対馬の中心 厳原 

 長崎の離島、対馬を今回は訪れます。
長崎県とはいうものの福岡県の北に位置し、韓国とはわずか50kmの場所にあります。

 行きは福岡空港から空路で対馬に入ります。
プロペラ機で、座席の真横にプロペラと着陸装置(タイヤ)が見えます。
わずか40分で「対馬やまねこ空港」に到着します。
ここからはバスで厳原(いずはら)に出ます。

 厳原の中心地にあるのが「ふれあい処つしま」です。
対馬藩の家老古川家の長屋門を再現したもです。
中には観光案内書をはじめ、対馬の飲食店と土産物屋が入っています。
そして道を挟んだ反対側にも土産物屋がありますが、こちらは韓国などの外国人を対象にしてる日本のお土産が並んでいます。

 その先に大きな門が見えます。
気になるので、先にそちらの方に向かってみましょう。
ここは1528年に宗将盛が築いた「金石城跡」です。
宗氏の居城だった金石屋形を、朝鮮通信使を迎えるために改築したと云われています。
天守閣をもたない金石城でした。
今見ている門は大手櫓門で、1990年に再建されたものです。

 奥には「旧金石城庭園」があります。
戦後の1947年には、厳原中学校がこの地に設立されます。
1979年の学校が現在の桟原へ移転すると発掘調査が行われ、復元されたのちに2008年から一般公開が行われています。
対馬固有の石英斑岩から造った白い土が用いられています。

 旧金石城庭園を超えたところには、「万松院」があります。
1615年に宗家20代義成が父義智の冥福を祈って創建した寺で、それ以降宗家の菩提寺となりました。
今ある本堂は火災により焼失したことから、1879年に再建されたのものです。
安土桃山式の山門と仁王像は焼失から免れて、対馬最古の建物です。
寺の左手には石段が続いています。
百雁木と呼ばれる132段の石段です。
この石段を上った場所に宗家一族の墓所である御霊屋(おたまや)があり、歴代の宗家の墓が並んでいます。
大名級の弔いで、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。
墓所の手前にある大スギは樹齢1200年のもので、杉としては対馬一の樹齢を誇っています。

 さてこの辺りに「対馬朝鮮通信使歴史館」があるはずです。
その歴史館は、マンションの1階にありました。
江戸時代に幕府の要請により朝鮮国が日本に派遣した外交使節団を伝える歴史館です。
朝鮮国書と日本国書を交換するために、往来がありました。
徳川将軍は朝鮮国王と国書を交換し、互いに善隣友好の意思を確認してきました。
対馬に招かれた使節団は、そこから本土に渡り江戸そして日光まで巡行します。
その途中で使節団は、各地の大名に国賓としての手厚いで扱いを受けます。
歴史館にはその様子を描いた絵巻物が展示されています。
そして両国間の平和は、使節団を通して明治初頭までの260年に渡って続くことになるのでした。

「ふれあい処つしま]まで戻ってきました。
ここからは厳原の中心の通りである「下馬場筋通り」の東側を散策します。
「宗義智公之像」から続く「中村通り」という路地を進みます。
この辺りには武家屋敷が軒を並べています。
石が積まれた塀の中に、武家屋敷があります。

 そのひとつに「平井桃水館」があります。
朝鮮通信使のために釜山に創設されたものに倭館があります。
平井桃水は、中学時代の3年間をこの倭館で語学留学を行います。
日本初の海外特派員となった人物です。
そして、樋口一葉に憧れていたことでも有名です。
その桃水の誕生の地が、「平井桃水館」として展示と地域の交流の場として公開されています。

 再び下馬場筋通りに出ます。
そこには「厳原八幡宮神社」があります。
古くから対馬藩主をはじめ島民の崇敬を集めてきた神社です。
神功皇后が三韓征伐の帰りに清水山で祭祀を行い、異国の侵入からこの地を守るよう祈りを捧げたと伝えられています。
八幡信仰の中心である「石清水八幡宮」の起源とも云われています。
階段を上ったところにはこの「厳原八幡宮神社」があり、その隣には「宇努刀神社」「天神神社」が並んで祀られています。

 北に歩いていくと、そこには「長屋門」があります。
17世紀後半に建てられた家老の氏江屋敷の門です。
屋根には瓦、壁は漆喰を塗られた立派な門です。
門の奥の建物は、対馬振興局として利用されています。

 さらに北に歩いていくと、今度は「中門」があります。
通称「唐門」と呼ばれ、桟原城にあった高麗門です。
手入れも行き届いており、現在は厳原幼稚園の門として現役で働いています。

 もう少し北上してみましょう。
空港から厳原までを路線バスで移動した際に、この辺りで気になるものが見えたのです。
その正体は実際に目で見て判明しました。
こちらはさらに大きな門で、「旧藩校日新館」の門です。
元々は現在の裁判所の場所にあったものを、移築してきたものです。

 ここまで来ると、厳原の中心部は一通り見て回ることができました。
再び「ふれあい処つしま」まで戻り、夕食にありつくことにしましょう。
「ふれあい処つしま」辺りの「下馬場筋通り」の東側は、江戸時代の通路が残る場所です。
その中を通って、さらに東側の飲食街で食事のとれる所を探します。

 あいにくお目当てにしていた店は満席で入れず、適当に食事と酒のある店に入ります。
海で囲まれた対馬に来たからには、魚を食べないわけには行きません。
メニューで目に留まったのが、タイのあら炊きです。
時間がかかると言われましたが、それはビールを飲んで待っていればよいだけ、喉は既におさかなモードに切り替わっています。
そしてやってきたのは、期待通りの醤油と砂糖で飴色に煮詰まったタイのお頭です。
もちろんまずいわけがありません。
満足してその夜は過ぎていったのでした。

 ここで1泊して、翌日は移動です。
帰りはフェリーでゆっくりと移動することにします。
途中の「中矢来」は中世から残る船溜りです
イカ釣りのランプが並ぶ船は、漁から帰ったところなのでしょう。

 フェリーはこの地方の重要な脚です。
当然厳原港のフェリー乗り場も、立派なものがあります。
そして港には、これから搭乗するフェリーが既に停泊しています。
乗船券を買い、出発の時間を待ちます。
そしてついに就航です。
巨大な対馬を後にして、フェリーは力強く大海原に出て行ったのでした。

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