にっぽんの旅 九州 長崎 壱岐

[旅の日記]

歴史と大自然の壱岐(北部編) 

 壱岐の旅、今日は車で最北端の勝本を目指します。
その前に島中心部に点在する古墳を巡ってみます。

 「月讀神社」は、巨木が鬱蒼と茂る森の中にあります。
御祭神は月讀命(つくよみのみこと)で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)によって、天照大御神の次に産まれたとされる神です。
暦や潮の干満など月にまつわる全ての行いと、安全や航海安全などの願いごとを聞き入れてくれると云われています。
日本書紀によると、京都の松尾大社内にある月讀神社は壱岐の県主(あがたぬし))の先祖である忍見宿禰(おしみのすくね)が分霊したものと記されており、全国の月讀神社の総本社とされています。
石段を登ったところに拝殿はあります。

 「へそ石」なる面白い名前のものがあります。
國片主神社の横にある「へそ石」は、壱岐の中心を表す石として人々の道標となってきました。
隣りには「顎かけ石」もあり、こちらも気になる石です。

 さらに西に進むと今度は「鬼の窟」なるものがあります。
6世紀後半から7世紀前半頃に築造された古墳の名称です。
前室、中室、玄室の三室からなる横穴式石室です。
鬼でなければこんな巨石を運ぶことができないことから、このような名前が付きました。
石室は奥まで覗くことができます。

 ここから少し西側の細い道を入っていったところに、「笹塚古墳」があります。
道は舗装されていますが、森の中に入っていくとその先は土と枯れ葉が積り山道のようになっています。
何の変哲もない円墳ですが、ここからは多くの副葬品が発掘されています。
金銅製亀形飾金具と呼ばれる亀の形をした飾り金具や、金銅製の馬具一式など、貴重なものばかりです。
別の旅行記で訪れたことのある「一支国博物館」にも展示されていました。
直径は66mにもなる県内最大級の円墳です。

 ここで県道382号線に出ます。
ここから少し北に進んだところに「掛木古墳」があります。
南北22.5m、東西18mでもっこりときれいな形をした円墳です。
築造当時は直径30mのおおきなものであったのではないかと想定されています。
前室、中室、玄室の三室構造で、中まで立ち入ることができます。
古墳の横には「風土記の丘」と呼ばれる古墳館が整備され、壱岐の古墳群散策の紹介がされています。
壱岐島には長崎県の半数に及ぶ古墳265基が残存し、朝鮮半島との外交上の拠点として交易、防衛の要としての役割を果たしてきたことが判ります。

 ここからは一気に北上し、勝本を目指します。
朝市が有名な勝本ですが、朝の古墳検索のため既に朝市の多くが店をたたんだところでした。
まだ5件程が通りの両側に店を広げており、海産物と農産物が並んでいます。

 そして朝市とは反対側の通りにも、足を運んでみます。
この辺りには勝本の昔の姿が残されています。
木造で漆喰を塗った壁の建物が並びます。
静かな港町の風景を見ることができます。

 ここに来たのは「辰ノ島」に向かう遊覧船に乗るためなのです。
まずは「勝本港」で本日の船の切符を購入します。
出港までまだ1時間ありますので、少し戻って「勝本城跡」を訪れてみます。
「勝本城跡」の手前で車を止め歩いていくと、大きな柱が展示されています。
どこかで見たような柱だと思っていると、案の定諏訪の御柱祭りのものでした。
諏訪と姉妹都市の関係にある勝本では、御柱の寄贈を受けここに展示しています。

 その先には、城の石垣が見えてきます。
1591年に豊臣秀吉は朝鮮出兵のための勝本城を急遽完成させることを命じます。
わずか4ヶ月の突貫工事でした。
今も残る大手門の石垣が当時を偲ばせます。

 当時の建物は影も形もなくなっていますが、代わりに城内には満開の桜があります。
主人のいなくなった城跡に、春の訪れを告げているかのようです。
そしてここからは「勝本港」を一望することができます。
ちょうど、予約した便の1本前の遊覧船が就航したところでした。
都会のような急いた様子もなく、港町は穏やかでゆっくりと時間が過ぎていきます。

 そうこうしているうちに時間が来たので、再び「勝本港」に戻ります。
既に岸には遊覧船が接岸されています。
乗車券を購入した時は客も少なくなんとか出港できるようなことでしたが、ふたを開けてみるとバスでやってきたツアー客がいっぱいです。
やがて乗船が始まったのですが、ツアー客ですぐに座席が埋まってしまいました。
仕方なく2階席最後部の左右の座席を分ける荷台に腰かけたのですが、これが大正解でした。
左右どちらの眺めでも、お尻を左右に滑らせることで誰にも邪魔されることなく見ることができたのでした。

 遊覧船が向かうのは、東から「名鳥島」「若宮島」「辰の島」です。
船はそのうちの「辰の島」を1周します。
遊覧船が最初に向かったのは「辰ノ島海水浴場」です。
エメラルドグリーンの海と広がる砂浜です。
上陸するときの船着き場も、この手前にあります。

 エメラルドグリーンの海はまだ続きます。
「海の宮殿」は長年の歳月をかけて自然が創り出した洞窟です。
岩を侵食するほどの荒々しい波と穏やかそうな青い海が対照的です。

 「若宮島」と「辰の島」の間には、頂上が尖った島があります。
横から見ると鼻を下したマンモスのようなので、「マンモス岩」と呼ばれています。
右向きのマンモスを見た後は、今度は裏側に船が回り込み左向きのマンモスになります。
ただしこの辺りから外海の波を直接受け出し、恐ろしいほどに船が上下に大きく揺れます。

 「辰の島」の北側は、波で現れた絶壁の岩肌が並びます。
それを目の前で見ることができるように、船は岩の直前まで接近します。
ただでさえ波が高いのに、ブレーキのない船が岩肌に激突しないのかとハラハラしてしまいます。
どこから登ったのか、岩のくぼみに座り磯釣りをしている人がいます。
命知らずというのはこのことでしょうが、それにも勝る獲物が釣れるのでしょう。

 絶壁の端には「蛇ケ谷」と呼ばれるところがあります。
よく見ると波げ削られた曲がりくねった通路が奥まで続いています。
白波が上がるので、その奥深さを確認することができます。
鬼の足跡」も鬼が足を踏み入れた大穴でしたが、もう片足の大穴がこの「蛇ケ谷」だったのです。

 50分の遊覧を終えて、再び「勝本港」に戻ってきました。
港にはたくさんの裸電球を吊るしたイカ釣り船が停まっています。
釣りをして今朝帰ったばかりの船です。

 ここで昼食にします。
新鮮な魚介類も良いのですが昨日から散々食べてきましたので、今日は壱岐牛を食べます。
ちょうど壱岐牛の焼き肉がありましたので、それを注文します。
キャベツ、ピーマン、タマネギを和えただけのものですが、これがかえって肉の旨さを引き出してくれます。

 さて午後からは、島北側の神秘的な神社を回ります。
まずは、山全体が御神体とされ以前は入山制限までされていた「男嶽神社」です。
壱岐島が生れた時の神様である「天比登都柱(あめのひとつばしら)」や「月読命(つくよみのみこと)」の降臨の地であるとされています。
神社には「猿田彦命(さるたひこのみこと)」が祀られています。
駐車場の鳥居には三猿の石像がありますが、敷地内には御祭神にちなんだ200体を超える石猿が奉納されています。

 近くには「男嶽神社」と対を成す「女嶽神社」があります。
ところがナビでその近くまでは行けるのですが、そこから先が道が表示されません。
スマートホンの地図検索で注意深く見ると、道が細くガードレールもないトラッキング用の山道があります。
ここを進むしかないようです。
今朝訪れた「笹塚古墳」に次ぐ、道なき道です。
狭い1本道で対向車に合わずに辿り着いた先に、「女嶽神社」がありました。
先ほどの「男嶽神社」とここ「女嶽神社」の両方を参拝すると良縁に恵まれるそうです。

 その後は、島の東海岸伝いに車を走らせます。
夏の時期ならば、島の何ヶ所かに泳ぐことができる砂浜が広がっています。
そのひとつに、本日の最後として寄ってみます。
「清石浜海水浴場」は芦辺港の南東に位置し、500mの美しい砂浜が続きます。
広大な砂浜を独り占めした気分になります。

 海水浴場を眺めて、いよいよ本当に壱岐の旅の最後になりました。
レンタカーを返却する郷ノ浦に向かいながら、古墳の持つ神秘と美しい自然を思い出すのでした。

旅の写真館(1)