にっぽんの旅 九州 熊本 矢部

[旅の日記]

矢部の石橋巡り 

 本日は熊本県を車で移動します。
そして今日のテーマは、石橋巡りです。

 熊本には、数多くの石橋があります。
「肥後の石工」として全国に名を馳せた特殊技術集団「種山石工」ですが、林七という人を知らずして、これらを語るわけにはいきません。
時は1634年の長崎です。
中国の技術をもって日本に初めて眼鏡橋が造られました。
それに遅れること150年、日本人には皆目見当もつかなかった石橋の建築技術を考える者が現れました。
落ちそうで落ちない不思議に取り付かれた林七は、オランダ人の通訳を通して、その原理を学んでいきます。
しかし、職務を越えたつき合いぶりが幕府の目にとまり、身の危険を感じた林七は逃亡を企てます。
藩の往来が出来ない当時、彼は長崎と肥後を往復する船に潜み、大きな採石場があった肥後の種山村で石工の技術を学んでいきます。
そこで日本の大工道具、一本曲尺で使う「規矩術」に出会います。
その技術は子や孫にまで伝えられ、全国に広がっていくことになるのです。

 さて、最初に訪れたのは、下益城郡中央町の「二俣橋」です。
直角に位置する2つの石橋から成る、珍しい眼鏡橋です。
互いが重なり合って見える姿が、みごとです。
林七の長男である嘉八の作品です。

 途中小さな石橋はありますが、次に訪れるのは砥石町の「霊台橋」です。
船津峡に架かる「霊台橋」は、かつては20余年で5回も架け替えられたほどの交通の難所です。
全長90メートルの巨大な石橋で、単一アーチの石橋としては日本最大級のものです。
橋の上を渡ると、石とは感じない普通の土道になっています。
こちらは、橋本勘五郎兄弟の作品です。

 そして、薬のテレビコマーシャルで有名になったのが、矢部町にある「通潤橋」です。
長さ76mの橋の中央から、50mの高さで水を放つ様子が、ひときわ印象的です。
「通潤橋」は、江戸時代に造られた日本最大の水を通す石橋です。
農業用水や生活用水を白糸台地に送るために、矢部手永の惣庄屋 布田保之助らによって造られました。
6km離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長は約30km、灌漑面積は170haにも及びます。
農閑期には、石管水路の内部にたまった泥や砂を除くために、橋中央の放水口を開き放水を行います。

 まずは下から眺め、次には橋の上に登ります。
橋の上は石を並べた道路のようで、石と石の間は土が敷かれ草も生えています。
と、その時水が放たれたのです。
大急ぎで下まで降りて、その雄大な姿を目に焼き付けたのでした。

   
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