にっぽんの旅 九州 熊本 三角

[旅の日記]

石炭で栄えた三角港 

 熊本駅からわずか10km、意外と行ったことがなかった三角です。
世界遺産にも選ばれた三角を、今日は訪れてみます。

 宇土からJRあまくさみすみ線の終点が三角駅です。
SLが廃止になろうとしていた時に、いつまでもSLが走っていた記憶があります。
海沿いを列車は走ります。

 そうこうしているうちに、列車は三角駅に到着しました。
改札口を出て振り向くと、そこから見えるレトロな駅舎が素敵です。
一方駅の先には三角港が広がり、そこに面白い形をした建物があります。
遠目に見るとカタツムリです。
ここは「みすみフィッシャーマンズワーフ ラ・ガール」で、船の待合所になっています。
らせん状の通路が建物の内と外についており、そこを登ってみます。
頂上からは、有明海に迫る港の全景を見ることができます。

 さてここから目指す三角旧港に向かわなければなりません。
駅前からはバスが出ていますが、次のバスは1時間30分後です。
インターネットの路線検索を見ても、歩いて行くことを勧められます。
目的地には徒歩で30分ぐらいで着きそうですので、ここは歩くことにします。
天草への道路の分岐点を過ぎ、ひたすら歩いて行きます。

 最初に現れたのは「西港浮遊桟橋」です。
浮遊式の桟橋ですが、訪れた時には人も船も姿がありませんでした。
もちろん船も停泊していませんでした。

 その少し先が、世界遺産にも選ばれた「三角旧港(三角西港)」です。
福井の境港、仙台の野蒜築港と並ぶ日本の三大築港のひとつです。
イギリスから始まった産業革命に対し、日本国内でも追い付き追い越せで急激な近代化の波に呑まれていきます。
ここ「三角旧港」も1887年にオランダ人水理工師ローウェンホルスト・ムルドルの設計で造られ、三池炭鉱から産出された石炭を輸送するための港として発達しました。
ところがその後の三池港の築港に伴い、炭鉱から距離がありかつはしけからの人の手渡しによる船への石炭積込みで非効率であった「三角旧港」はその役目を終えます。
今でも残る栄華を極めた時の三角の遺産を観ていきます。

 「浦島屋」は、白壁の洋館です。
三角の築港と鉄道誘致に向けて、立派な宿泊施設が必要でした。
県知事の富岡敬明はホテル建築を提言し、小崎義明を含む実業界の面々との共同出資でこの建物を造ります。
グラバー邸やリンガー邸、オルト邸などを手掛けた小山秀之進の建築です。
ところが仲たがいが起こってしまい、当時の価格1万円で小崎義明が買い取り屋号を「浦島屋」として経営を始めたのです。
ところが日露戦争のあった1904年には、ホテルから傷病者の病院に変わりました。
日露戦争が終わり旅順、大連が日本の管理課になると、1905年に浦島屋を買い上げた国は解体輸送し大連で日本式旅館として再出発をします。
ここに残る建物は、設計図から当時の姿を再現したものです。
「浦島屋」が広く知られるのは、1893年に小泉八雲が長崎からの帰途で立ち寄り、紀行文「夏の日の夢」の舞台となったからではないでしょうか。

 その隣には「龍驤館」があります。
1872年の明治天皇の西国巡幸に際し、熊本入りした御召艦「龍驤」をはじめとする8隻が熊本行幸を終えました。
ところが風雨が強くなったので、これを避けるために三角湾に仮泊したことありました。
1918年に明治天皇即位50周年記念事業として建てらたのが、この建物です。
図書館としても使用されたことがあり、今は資料館になって石炭搬出港として栄えた三角の歴史が展示されています。

 「ムルドルハウス」は三角西港の設計者でオランダ人技師のローウェンホルスト・ムルデルの名にちなんでつけられた物産館です。
なかでは三角の工芸品や特産物が並んでいます。

 「旧三角海運倉庫」は、1887年に建てられた土蔵白壁つくりの荷揚げ倉庫です。
築港当初に建てられた倉庫としては唯一の遺構です。
海側に回ると海を臨むウッドテラスが並び、1985年に修復が行われて今ではレストランとして活用されています。

 その斜め向かいには、「旧高田回漕店」があります。
回漕店とは荷物や乗客をなどを扱う運送会社のことで、「旧高田回漕店」では4隻の汽船を所有していました。
1902年以前に建てられた回船問屋で、当時の面影を色濃く残す湾岸施設のひとつが残っています。

 それらの真ん中には石を積み上げて造った排水路が海の注ぎ、「中の橋」が通りをつないでいます。
ところが押し寄せる潮によって、海側から上流に向かって波が立ち徐々に水位が上がっています。
満潮前のおもしろい現象です。

 堀に沿ってバス通りを越えて進むと、石段を登った高台に「旧三角簡易裁判所」があります。
中が解放されていますので、入ってみましょう。
そこには裁判所の法廷や控室が保存されています。
また、日本の裁判制度としての5つの裁判所(家庭、簡易、高等、最高)の違いの説明などの法の勉強ができます。

 高台には幼稚園を挟んで、九州海技学院があります。
旧三角簡易裁判所」とは正反対の洋風の建物です。
ここは「旧宇土郡役所」があったところで、モダンであったかつての姿が残されています。
中に入ってみると表札にある通りの現役の学校で、講義が行われており皆真剣なまなざしをしています。
観光気分で入るのは場違いかと思い、そっと出てきたのでした。

 さて「三角旧港」へは列車で三角に来てそこから歩いてきたわけですが、帰りは都合の良い時間帯にバスがあります。
海岸線を走るバスに乗ることにします。

 外を眺めていると、写真で見たことのある風景が目に飛び込んできました。
「御輿来海岸」で満潮時には沈んでいた砂浜が、干潮になるにしたがって三日月形の潮だまりが現れるところです。
残念ながらバスの反対側の席に座っていたので、綺麗な三日月形を写真に収めることはできませんでした。
しかし潮だまりと砂浜が交互に層をなすことを感じ取ってもらえたでしょうか。

 その先では、海の中から電柱が頭を出しています。
港の桟橋ですが、満潮になると桟橋自身が海に沈んでしまうのです。
訪れた時も手前は桟橋の上に電柱があるのに、その先は電柱だけが海に浮いているように見えます。
実に滑稽な姿です。

今回は石炭で栄えた三角旧港を巡ってきました。
幻想的な「御輿来海岸」といい海に沈む桟橋といい、途中の景色もゆっくと見に来たいものです。
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