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[旅の日記]

竜馬も訪れた霧島温泉 

 今回の旅の舞台は、鹿児島県です。
なかでも霧島温泉郷を訪問してみます。

 飛行機が到着したのは、鹿児島空港です。
2週続けて週末は台風で、日本中が大変なことになっていました。
心配された天候ですが、この旅行日程を台風が避けるように夏の好天に恵まれました。
空港では西郷さんも出迎えてくれています。

 さてここからは霧島温泉郷へ足を運びます。
所要時間からすれば霧島温泉郷行きと鹿児島市内に向かうのとではさほど変わらないのですが 交通の便が良くありません。
そこで空港でレンタカーを借りることにします。

 最初に向かうのは、JR肥薩線の「嘉例川駅」です。
レトロな感じが漂います。
今回の旅行の計画を立てる際に、この駅舎の写真を見つけて目が釘付けになったのです。
是非訪れてみようと決めていました。
1903年に営業を開始した木造駅舎で、開業当時は妙見温泉への入口ということもあり、湯治客で賑わっていました。
十三塚原への肥料や作物の積み下ろしでも活況を呈していましたが、やがて乗降客も減り1984年には無人化されました。
木造の駅舎は待合室ひとつを取ってみても、味がある建物です。

 ここから車は北上します。
「塩浸温泉」は、坂本龍馬が新婚旅行で訪れた際、逗留したという温泉です。
日本で最初の新婚旅行と言われています。
「龍馬とお龍の縁結びの足湯」もあり、この一帯は「塩浸温泉竜馬公園」になっています。
ここに「龍馬資料館」がありますので、立ち寄ってみましょう。
小さな建物ですが、様々な竜馬の資料が展示されています。
竜馬は人並外れた巨大な脚でも有名ですが、彼が履いていた靴のレプリカも展示されています。

 さらにJR肥薩線に沿って北上します。
そこには「霧島温泉駅」があります。
貨物を取り扱う牧園駅として開業しましたが、1962年に霧島西口駅に駅名を改称しています。
国鉄からJRに会社が変わったこともあり、合理化のために無人駅となり駅名も霧島温泉駅に変わります。
ただここから霧島温泉まではさすがに距離があり、観光客で賑わうといったようには見受けられませんでした。

 車はさらに北に向かって走ります。
横川町に入ると、懐かしい信号に出会うことができます。
LED電球が一般的となったこの時代に、昔ながらの電球が灯る信号機を見つけました。
それも緑と白の縞模様の背面板がついています。

 そこから少し進むと、趣のある駅舎が現れます。
「大隅横川駅」で、「嘉例川駅」と同様に1903年に開業した駅舎です。
開業当時は「横川駅」と呼ばれていましたが、1920年に「大隅横川駅」に名称変更しています。
横川町の中心的な駅ですが、ここもまた無人駅です。
駅舎を眺めていると、ちょうどそこに列車がやってきました。
1〜2時間に1本しかない列車に出会えるなんて、運が良かったとしか言えません。

 駅の近くには「池田氏住宅」があります。
明治末期に建てられた建物で、2階部分が洋風の外観を持ちます。
中に入ることはできませんが、内部は和室で擬洋風のつくりをしています。
そして隣りには、石倉が残されています。
木骨石造の倉庫で、石積の土台の上の壁には漆喰で塗り固められています。

 さて再び「霧島温泉駅」辺りまで戻り、ここからは今日のホテルを目指します。
霧島温泉郷の硫黄谷温泉が、今晩の宿です。
温泉に近づいて来ると、山の斜面のあちらこちらから湯気が上がっているのが見えます。
それを目印に車を進めます。

 湯気が目の前のところまで来ると、この辺りが霧島温泉です。
車を降りると、周り一面硫黄のにおいが漂っています。
至ることろに泉源があり、地下の熱気と湯量の多さが判ります。
霧島連山の中の高千穂峰に広がる温泉地の総称が、「霧島温泉郷」なのです。
その高千穂峰は、日本神話の神様 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天より舞い降りたと伝えられる地です。

 硫黄谷温泉は霧島温泉の中心地からは、少し離れたところにあります。
宿舎まで続く道路は、川に交差します。
車を降りて川に架かる橋に立つと、ここでも強い硫黄の匂いがします。
そう、この川には温泉が流れているのです。

 この温泉を選んだには、理由があります。
1日1,400万リットルが注がれる広大な硫黄谷庭園大浴場があるからです。
水深1.4mの池のような湯舟を歩いて、数々の湯舟を巡ります。
硫黄泉、明礬泉、塩類泉、鉄泉と、様々な湯に順に入ることができます。
寝湯やうたせ湯など、飽きることはありません。
浴場にカメラを持ち込むことはできませんので、ホテルが提供している写真を載せておきます。

 ホテル内の大浴場へと続く通路には、新婚旅行でこの地を訪れた坂本龍馬の展示があります。
ちょっとした資料館のようです。
龍馬以外にも焼酎や太鼓などの展示もあり、見るだけでも飽きることがありません。
温泉にゆっくりと浸かった後は、お待ちかねの夕食です。
海の幸や鹿児島の黒豚、黒牛が並ぶ食卓に満足し、夜は更けていったのでした。

 翌朝は、まずはホテルの近くの「丸尾滝」からのスタートです。
この日もレンタカーで移動します。
「丸尾滝」は高さ23m、幅16mの壮大な滝です。
滝の影には柱状節理が広がっており、水の落ちる向きに対して斜めに石柱が走っています。
滝の水にも、温泉が混ざったものです。

 「丸尾滝」から車で15分足らずの場所に、「霧島神宮」があります。
ここは南九州一の大きさを誇ります。
6世紀に慶胤(けいいん)上人が、高千穂峰と火常峰の間の瀬多尾に社殿を造ったのが始まりとされます。
高千穂峰そのものを信仰の対象とする山岳信仰から始まった神社です。
ところが火山の噴火で、社殿はたびたび炎上してしまいます。
1484年に島津忠昌の命により兼慶(けんけい)上人が再興したのが、現在の「霧島神宮」です。
しかしこれも焼けてしまい、そのたびに再建が繰り返されてきました。
ちょうど訪れた時には噴火はなかったのですが、その代わりに味わったことのない土砂降りの大雨に会ったのです。
フロントガラスに打ち付ける雨で外が見えないほどです。
車の中で待つこと30分、雨が上がった拝殿は朱色が一層鮮やかに見えたのでした。

 ここからは、霧島の市街地に向かいます。
行先は「鹿児島神宮」で、車で30分程の場所です。
やがて車は市の中心に入っていきます。
さずが街中に出てきたなと感じる所で、これまでとは違い信号はあるし車の渋滞にも会います。
そんな中、かわいい西郷隆盛像があります。
ここを曲がると、いよいよ目的の「鹿児島神宮」です。

 天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を、神社としたのが「鹿児島神宮」です。
708年に現在の地に移り、もとあった社地には「摂社石体宮(石體神社)」が建立されました。
「鹿児島神宮」の方は、大鳥居を潜った先に駐車場があります。
駐車場の脇には小屋があり、そこには神馬である木馬が飾られています。
ここからは石階段を上って、拝殿に向かいます。
江戸時代には島津氏の尊崇を受け、1871年には明治政府により「鹿兒島神社」として国幣中社に列格しました。

 さて2日間にかけて霧島を回ってきました。
長年訪れてみたかったところを一挙に巡り少し消化不良気味です。
撮った写真を見て改めて確認してみることにします。

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