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[旅の日記]

鹿児島の尚古集成館 

 鹿児島駅。九州新幹線が開通するまでは、ここが鹿児島の中心地でした。
そんなJR鹿児島駅の周りを、本日は散策します。

 JR鹿児島駅の北側の「南洲公園」の中に「西郷南洲顕彰館」があります。
石段を登り石鳥居を潜った先に、巨大な墓石が目に入ります。
西郷隆盛の墓で、周りの墓石に較べると明らかに大きく、隆盛の偉大さが感じられます。
そして高台になっている「南洲公園」からは、「桜島」が良く見えます。
一昨日に爆発を起こして噴火警戒レベルが引き上げられた「桜島」ですが、いまは平静を保っています。
噴煙が上がっている姿をちょぴり期待していたのですが、平静で何よりです。

 ここからはバスに乗り、鹿児島駅の北東に位置する「異人館」を訪ねます。
正式名称は「旧鹿児島紡績所技師館」です。
この後に訪れる薩摩藩の壮大な産業復興計画である「尚古集成館」が、大きく関係しています。
島津家第29代の忠義が日本初の洋式紡績所を造る際、イギリスから紡績機械を輸入し一緒に技術者も呼び寄せます。
イギリス人技師を受け入れるために造られたのが、ここ「旧鹿児島紡績所技師館」だったのです。
木造2階建てのモダンな西洋館で、日本における初期西洋建築物の代表例で貴重な存在です。

 この先「尚古集成館」までをバスで移動しようとしたのですが、「すぐそこだよ」と言われてしまいます。
見てみるとバス停に行くのと同じ距離に「尚古集成館」らしき建物が見えます。
早速そちらに向かって歩いて行きます。
まず最初に目に入るのが、真っ白な木造の建物があります。
これが「磯工芸館」で、薩摩切子の製造直売店です。
薩摩切子は集成館事業の一環で、薩摩の基幹産業として育てられました。
透き通る青や赤に着色されたガラス細工で、表面に入れられたカット部分から光が漏れ美しく光る芸術品です。
それだけあってグラスの1脚が数万円、壺になると数十万円、数百万円になる優れものです。
とても買うことができず、目を肥やしただけで店を出て来てしまいました。

 そしてその隣の「尚古集成館」の庭園である「千厳園」へ向かいます。
入口で入場券を買い中に入ると、正面にあるのが150ポンド砲の大砲です。
アヘン戦争をはじめとし西欧の国々はアジアの植民地化を進めてきました。
日本に対しても例外ではなく、幕末に続々と戦艦がやってきます。
薩摩藩もこれに対抗するのですが、戦艦から受けた正確で強力な砲撃には歯が立たず、薩摩の町は大打撃を受けます。
このことから、薩摩藩第28代当主 島津斉興は富国強兵の必要性を感じ、そのための集成館事業を興します。
薩摩に軍需産業を立上げ、自力で西洋並みの大砲を作ることを目指したのです。
大砲製造だけでなく、洋式帆船の建造や武器弾薬、ガラス製造、それにガス灯の実験など事業は多岐にわたります。
また大砲を造るためには製鉄技術が必要で、それに必要な光を集める反射炉の跡が残っています。

 ここで是非食べてみたいものがあるので、ちょっと脱線して団子屋に寄ります。
お目当ては「両棒餅(ぢゃんぼもち)」で、侍が大小2刀の刀を腰に差す様から、1つの餅に竹串が2本ずつ刺されて出てきます。
甘辛いたれのみたらし団子と同じ味で、小ぶりな餅なのでペロッとたいらげてしまいます。
餅と暖かいお茶でゆっくりすることができます。

 さて外には「御殿」が構えており、その前には「千厳園」の庭が広がります。
「借景庭園」と呼ばれる1658年に島津家19代光久が築造した別邸です。
大胆にも海の向こうに眺める「桜島」を築山にし、錦江湾を池に見立てた、大胆で壮大な庭園です。
「千厳園」と「桜島」がひとつになった、素晴らしい眺めです。
庭園内には、琉球国王から献上された桜閣「望嶽桜」や、自然岩で造られた巨大な「獅子乗大石灯籠」が庭園に一層の優雅さを加えています。

 庭園は、この「御殿」の周辺だけではありません。
山全体が「千厳園」となっており、少し山を登ってみます。
登り道に水力発電用のダムの跡があります。
戸井のような水路の先から、水が滴り落ちています。

     

 上部まで登るとそこは「曲水の庭」と呼ばれるところで、小高い庭園内には川が築かれ水が流れています。
さらに先を進むと、今度は竹林が広がります。
「江南竹林」で、ここが孟宗竹発祥の地と言われています。

 その先には「御庭神社」があり、ここは「仙巌園」内外にあった13の神社を1918年に合祀して1社にまとめたものです。
「観音岩」は、観音菩薩をあらわす梵字が彫られている大きな岩もあります。
苔生したこの奇妙な形の岩は、1703年に建てられた観音礼拝所跡です。

 それではここで「千厳園」を出て、隣接する「鶴嶺神社」に寄ってみます。
島津氏歴代の藩主を祀る神社として1869年に鶴丸城の一画に建立された「鶴嶺神社」ですが、1917年に島津家30代当主忠重が「磯集成館」の土地を神社に寄進し、ここに社殿を新築しました。
それがいま目にする「鶴嶺神社」なのです。

 いよいよ「尚古集成館」の建物の中に入ってみることにします。
機械工場の内部が再現ざれており、「反射炉」も模型で再現されています。
集成館に始まった近代化の動きもビデオで見ることができるのです。

 鹿児島繁栄の原動力である「尚古集成館」を見た後は、鹿児島駅にほど近い「石橋記念公園」へバスで向かいます。
以前は鹿児島市の中心を流れる甲突川には、肥後の名石工が手掛けた5つの石橋が残っていました。
しかし1993年の集中豪雨により、2橋が流失してしまいます。
残った「西田橋」「高麗橋」「玉江橋」を後世に残すために、ここに移設し復元したものです。
公園内には石橋の歴史や架橋方法を説明した「石橋記念館」や、海に向かって立っていた砲台の跡などがあります。

 さて鹿児島と言えば、ぼんたんや桜島だいこんなど特徴のある食べ物もたくさんあります。
町を歩いていて、これらに出くわすことができたのです。
大きくて帰れないので、「ボンタンアメ」を探します。
これなら軽くて激安のお土産になります。

     
     
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