にっぽんの旅 九州 福岡 門司港

[旅の日記]

レトロな雰囲気漂う門司港 

 門司港は、かつての九州の玄関口。
本日はそんな門司港を訪れてみます。

 門司港は本州への連絡船の発着駅として栄えてきました。
ところが1942年の関門トンネルが開通に伴いその役目は終わりますが、古い港町のレトロな雰囲気を残す観光地区として近年再び脚光を浴びています。
残念ながら歴史のある「門司港駅」の駅舎は現在改装中です。
駅舎の全貌を見ることはできませんが、歴史ある水道の蛇口が残されています。
本当は現在使用されている男女の洗面所入り口にある洗面台が気に入ったのですが、それだけは遠慮しました。
どう見ても便所の中を撮影しているようですから。

 駅を出ると、目の前に「旧門司三井倶楽部」があります。
1921年に建設された三井物産の社交クラブを復元したものです。
1階はレストランとソファが置かれた応接室、そしてピアノと客席が並んだ部屋など、洋風の造りになっています。
2階にはノーベル賞を取ったアインシュタインが、世界を講演旅行で回った時に日本で宿泊した部屋が残されています。
アインシュタインは日本の文化をひどく気に入ったようで、日記にその様子が描かれています。
2部屋続きのアインシュタインが泊まった部屋の隣には、女流作家林芙美子の資料室があります。

 その近くには「旧大阪商船」があります。
1917年に造られた大阪商船の門司支店です。
当時門司港からは中国、台湾、インド、そしてヨーロッパへの客船が出航していました。
ここはその業務を行うための場所で、1階は待合室、2階は事務所になっています。
大阪商船と三井船舶が合併した後は、商船三井として1991年まで使用されていました。

 「旧大阪商船」から見ると湾の向かい側にもいくつかの建物が見えます。
その中でもひときわ高いのが「門司港レトロ展望室」です。
建築家 黒川紀章氏が設計した高層マンションで、103mの高さから関門海峡や門司港の街並みを見下ろすことができます。
そちらにに行くためにはちょうど橋が架かっており、陸地を大きく遠回りしていかなくても良さそうです。
橋の名前を「ブルーウィングもじ」と言います。
橋を渡り終えた時に、何やら異変が起こりました。
これは「跳ね橋」で、船が通るために橋が中央で2つに折れて持ち上がるようです。
せっかくですのでその珍しい風景を眺めることにします。
持ち上がった橋の下を観光船が悠々と航行して行ってしまいました。
港町ならではの風景です。

 橋を渡ったところにある煉瓦造りの建物は、「旧門司税関」です。
ここにあるのは1912年に建てられた2代目の瓦葺2階建の建物で、1927年の3代目の合同庁舎が完成するまで使われていました。
中は喫茶店も入った休憩室となっており、ここで足を休めることができます。

 そしてその向かいにもとんがり屋根をもつ煉瓦造りの建物があります。
こちらは「国際友好記念図書館」で、帝政ロシアが中国の大連に1902年に建てた東清鉄道の事務所棟を複製したものです。
大連市はかつては門司港と国際航路で結ばれ、交流が盛んだったところです。
当時の門司市が大連市との友好都市締結15周年を記念して整備したもので、中華レストランや中国の図書、旧満州の資料が展示されています。

 また「旧門司税関」と「国際友好記念図書館」の間の海側には、道を挟んだところに「港ハウス」があります。
ここでは下関の海産物や特産品が並んでいます。

 それではその奥の人混みから離れたところを歩きましょう。
駐車場の脇に、路面電車が置かれています。
門司、小倉、八幡の市街地を走っていたかつての「西鉄北九州線」の車両です。
建物とは違った懐かし香りのするレトロ遺産です。

 ここでついにお腹も声をあげだしました。
食事を取るために栄町銀天街の商店街を目指します。
その途中「バナナの叩き売り発祥の地」の碑を見付けます。
明治時代にこの地で荷揚げされる台湾からのバナナのうち、熟れすぎてしまったものを早々に売りさばくために行われたのが叩き売りです。
叩き売りのルーツが門司港だったことは、初めて知ったのでした。

 そしてここでの食事は、門司港名物の「焼きカレー」です。
カレーを盛った皿に卵を落し、たっぷりのチーズをふりかけてオーブンで焼いたものです。
ドリアのように熱々のものが出てきます。
見た目以上にボリュームがあってそれにチーズの濃厚さも加わり、これだけでお腹いっぱいになります。
本場の「焼きカレー」を食べ、満足したのでした。

 先ほどの路面電車を見たこともあって、迷っていた「九州鉄道記念館」を訪れる決心がつきました。
JR九州の車両基地に接した記念館は、いま走って来たばかりの生の車両が目の前で見ることができます。
その他、展示車両としては懐かしいものばかりです。
その昔50年前に九州まで里帰りで使った車両を久々に目にし、懐かしさで涙が出そうなものばかりです。
ボンネット特急のにちりん、寝台特急の月光など、朝で目が覚めてもまだ目的地に到着せずうんざりした子供時代を思い出します。
実際に乗ったことはありませんが、前が円筒状にカーブを描く国鉄キハ07形気動車も、初めて見てひとり大人がはしゃいでいるのでした。
本館は1891年に建築された赤煉瓦造りの初代九州鉄道本社社屋で、なかではジオラマやかつて九州を走っていた列車の資料や画像が展示されています。

 さて鉄道に酔いしれた後は、最後に「三宜桜」に寄ります。
1927年の建築とされる数寄屋造りの屋敷で、門司港で賑わった政財界の社交場として利用されていた高級料亭です。
石垣の上には232坪の敷地をもち延べ面積1200m2の館内は、華やかだったころの造りを見て回ることができます。
しかし関門航路がトンネルの開通により衰退し、また海外航路も他の港に移る中、門司港は衰退を始めます。
それに伴い「三宜桜」も1980年に廃業を余儀なくされます。
その後は経営者家族が住居として利用していましたが、老朽化に伴う維持費がかかることもあって相続放棄の話が持ち上がり、2005年には建物の取り壊しが決まりました。
それを聞いた地元有志が保存会を結成し、北九州市に無償譲渡を取りつけます。
そしていまでは、料亭とはいかないまでもここで食事の取るまでになりました。
2階は「百畳間」と呼ばれる80畳の大広間では、これまで使っていた食器の販売が行われていました。

 港で繁栄し、その後の衰退と今また観光地として脚光を浴びる門司港。
そんな門司港を散策できた1日でした。

   
   
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