にっぽんの旅 九州 福岡 大宰府

[旅の日記]

学問の神様 大宰府 

 今日の散策の舞台は、福岡の大宰府です。
博多からは1時間足らずで行くことができます。
それでは西鉄電車で天神(西鉄福岡駅)から天神大牟田線に乗って、向かいましょう。
途中、西鉄二日市駅で太宰府線に乗換えます。
西鉄二日市駅には、運の良いことに天満宮詣りの観光電車「旅人」が停まっています。
早速、特急電車並みの座席を備えた「旅人」に乗り込みます。

 太宰府駅では、人でごったがえしています。
観光客と修学旅行生で、「太宰府天満宮」の参道は、朝のラッシュのようです。
人の波が途絶えるまで、駅前の店を見て回ります。
参道には奥まで3つの石鳥居が建っており、これを順に潜って行きます。

 やがて人の流れが途絶えてきたところを見計らって、参道を進むことにします。
参道の両側には、食べ物屋や土産物屋が並んでいます。
この空いたすきに一挙に「太宰府天満宮」まで行こうと思っていたのですが、店からする甘い臭いに勝つことはできません。
和菓子の名物「梅ヶ枝餅」を、ひとつ購入することにします。
といっても人気の店の前には長蛇の列ができています。
こればかりは待っても列が短くなることはないと判断し、列の後ろに並ぶことにします。
20分ほどかかりましたが、美味しいと言われる店の「梅ヶ枝餅」を手に入れることができました。
熱々の焼餅「梅ヶ枝餅」の中からは噛めば甘いあんこが出てき、絶妙の味です。
その餅を片手に、参道を進むのでした。

 「太宰府天満宮」までの最後の鳥居を越えたところで、参道は左に90度折れ曲がります。
直進した突き当りには、神牛が横たわっています。
中国人観光客が写真を取ろうと列を作っています。
中国に住んでいた時にコンビニのレジに並ばない人ばかりだった状況とは違っています。
さすが日本に来るだけあって、ある程度の収入があり比較的良識のある人が揃っているのでしょう。

 さて櫻門までは、心字池に架かる2連の太鼓橋を越えて行きます。
太鼓橋といっても上は階段になっていますので、苦労して上り下りするわけではありません。
その先の朱色の櫻門を潜ると、目の前に境内が開け、奥には勇壮な本殿が見えてきます。

 右大臣であった菅原道真は、左大臣藤原時平らの陰謀によって901年に筑前国の大宰府に左遷されてしまいます。
903年に死去したした道真の遺骸を安楽寺に葬ろうと葬送すると、牛車がこの寺の門前で動かなくなってしまいます。
ここに留まりたいという道真の遺志によるものと考え、905年にこの場所に廟を建立し天原山?院安楽寺と称しました。
このころ京の都では疫病や異常気象が続きます。
人々は「道真の祟り」と恐れその霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に向かいます。
そして道真の墓の上に社殿を造営し、後に社号を「天満宮」として、今の「太宰府天満宮」となります。
学問の神様である天満宮ですが、京都の北野天満宮とともに太宰府天満宮も全国の天満宮の総本社とされています。

 帰り道の神牛の場所を右折する参道から外れて、真っ直ぐ進んだところには「浮堂」があります。
そしてその奥には「光明禅寺」があります。
ここまで来ると「太宰府天満宮」の参道の賑やかさが嘘のようです。
苔寺の名で親しまれている苔で美しい庭がある寺ですが、それだけではありません。
門を入り右手に寺へと続く敷石があるのですが、その左側が寺院、そして右は白石を敷き詰めた石庭です。
石は波型に筋をつけて掃き固められており、これが水を意味しています。
つまり水に浮かぶ寺院を表しており、境内には静かな時間が漂っています。
なんとなく俗世間から離れた自分を見付けることができる空間なのです。

 しばらく寺にたたずんだ後、人混みの参道に戻って駅の方に歩いて行くことにします。
参道の店の並びを途中で右手に折れて、「太宰府館」に寄ります。
大宰府観光協会の休憩所で、1階では大宰府の歴史を紹介するビデオが流れています。
ちょっとした休憩に持って来いの場所なのです。

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