にっぽんの旅 近畿 和歌山 高野山

[旅の日記]

高野山 

 本日は、世界遺産にも登録されている高野山を訪れます。
弘法大師(空海)によって開かれた真言密教の修行道場である高野山は、和歌山県北部の紀伊山地の山上の盆地にお堂や塔が立ち並ぶ、一大仏都です。
816年に嵯峨天皇から高野山の地を賜り、今では全国に広がる高野山真言宗の総本山となっています。

 南海高野線でこの高野山を目指すことにします。
大阪から急行に乗ったのですが、河内長野駅を過ぎると次第に車窓の緑が増えてきます。
そして橋本駅からは、ついに単線になってしまいます。
線路は曲がりくねり急勾配の坂を、力強くそしてゆっくりと電車は走っていきます。
実は特急電車も走っているのですが、橋本から先は特急であろうが急行も普通も皆同じ。
1本の線路を抜き合いすることもなく、難所をじっくりと攻めていきます。
そして電車の終点、極楽橋駅に着きます。
ここから先はケーブルカーに乗り換えて、終点の高野山駅まで行きます。

 高野山駅に着くと、そこはバスだけが行き来できる小さなターミナル。
これまた山肌に沿って曲がりくねる道路を、バスに揺られて高野山の町まで向かいます。
先ずは大門を見に行こうと思っていたのですが、あいにくバスがなくすぐ来た奥の院へのバスに飛び乗りました。
計画変更!予定していた行程を逆方向に巡ることにします。

 バスで10分余り揺られると、終点の奥の院前のバス停に到着します。
ここから奥の院御廟までは、杉の木の生い茂る公園墓地を通って行きます。
残暑残る下界と違って、ここ高野山とりわけ奥の院の杉並木に中は、ひんやりと涼しい空気が立ち込めています。
周りの無数のお墓に囲まれているせいもあるのでしょうが・・・。
この日は秋のお彼岸ということもあって、参道は多くの人でごった返していました。

 15分ぐらい歩いたでしょうか、御供所が見えてきます。
水向地蔵ではお不動さんや大日如来など数多くの地蔵さんが、さまざまな形で鎮座しています。
玉川の清水を地蔵さんにかけて、先祖の供養を行います。
ここからは玉川に架かる御廟橋を渡り、その奥にある奥の院御廟まで進みます。
そしてこの先、帽子の脱帽、そして写真撮影が禁止になっています。
階段を上り奥の院御廟にお参りします。
裏手には参拝客が灯すろうそくが並んでおり、夜中でも訪れる参拝客によって24時間灯が絶えることがありません。
そして奥の院御廟の向かって右手には、燈籠堂があります。
中では無数の登録が天井から吊るされており、その数には圧倒されます。

 奥の院の帰りは、中ノ橋、一ノ橋とお墓の中の2kmに渡り敷き詰められた石畳の道を、周りのお墓を見ながら歩きます。
織田信長、豊臣秀吉と、誰もが知っている歴史上の人物のお墓が並んでいます。
誰がこのお墓の面倒を見ているのかと、つい要らぬ心配をしてしまいます。
さらに進んでいくと出口へ向かう中央辺りでしょうか、明智光秀、石田光成のお墓があります。
伊達正宗、徳川吉宗、武田信玄なども居ます。
それぞれの人物が、時代を越えて敵味方の区別なく同じ場所に葬られているのは、なんとなくほほえましい安堵の感を抱かせられます。
さらに策を進むと、一ノ橋の奥の院口に辿り着きます。

 ここからは土産物屋を物色して、お目当ての高野豆腐を手に入れてから、バスで千手院橋まで出ます。
金剛峯寺までは、ここ千手院橋で大門行きのバスに乗り換えて1駅なのですが、いつ来るかわからないバスを待つよりは歩いて先に進みます。
金剛峯寺は真言宗高野山派の総本山にあたるお寺です。
1131年に覺鑁上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立したのが始まりで、その後豊臣秀吉公が木食応其上人に命じて剃髪寺として建立しました。
明治元年には青巌寺を金剛峯寺へ改号し、さらには隣接する興山寺を合併し、現在に至っています。
主殿に参拝した後は、小玄関から奥を拝観します。
それぞれの部屋の襖絵を見たかったからです。
部屋毎にテーマが決められており、四季の木々を描いた部屋のほかに、面白いことに中国の長安の様子を描いた襖絵の部屋は他で見たことがないものでした。
また蟠龍庭の2340平方メートルの石庭は、庭に散りばめた花崗岩と、その間に帚目を付けて敷かれた白川砂は、壮大できれいなものです。
新別殿での茶菓子の接待を受けられ、高野山真言宗管長のお話を聞きながらのしばしの足休めです。

 さて金剛峯寺の次は、壇上伽藍に向かいます。
六時鐘をぬけて壇上伽藍までの土の道は、見覚えがあります。
しばらく考えた後の結論は、そうこれこそ小学校時代に来た林間学校で肝試しをした場所なのです。
夜に一人ずつこの道を歩き、途中のお化けに変装した教師がいる場所で記帳をしていかなければならないものでした。
そういうことを思い出しながら、肝試しの終着点でもある根本大塔に着きます。
東塔、愛染堂、不動堂などが立ち並んだ先に、朱塗りの根本大塔はあります。
高野山の観光写真で必ず掲載されている、1階が方形、2階が円形の二重の塔です。
空海入定1100年を記念して建てられたもので、中の柱には華やかな絵が描かれています。
また奥には、御影堂や孔雀堂、三王院などが西塔まで続きます。
そしてそれらの中央に位置するのが、入母屋造の金堂です。
中にある本尊阿如来像は高村光雲の作のものです。
山内の主な法要は、ここ金堂で執り行なわれているのです。

 本日の最終目的地は、ここからほどなく歩いたところにある大門です。
朱塗りの二階二層門で、25mの高さを誇ります。
本当はここに最初に訪れたかったのは、この門が高野山への入口だからです。
開創当時は九十九折谷に建てた鳥居を総門としていました。
高野山の他の寺院を同様に山火事や落雷の被害に合い、現在の門は1705年に再建されたものなのです。

 大門を見た後は再び千手院橋のバス停まで戻り、高野山行きのバスに乗り込んだのでした。
バス停までの歩いて来る間、見かける寺院(ほとんど全部の建物が寺院ですが)を覗き込み、頭の片隅にぼんやりとしたイメージで残っている林間学校として泊った宿坊を探し回ったのは、言うまでもありません。

   
   
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