にっぽんの旅 近畿 和歌山 学文路

[旅の日記]

高野街道の学文路から紀伊清水 

 神をも頼らざるえない身内の合格祈願が、今年はあります。
正月のとある日、今年の初詣先を探していたところ、南海高野線の「学文路(かむろ)」の文字が目に入ります。
文字の並びが良いため、南海電鉄が合格祈願の乗車券を販売しています。
駅を見るだけではと和歌山の地図を眺めていると、天満宮があることに気付きます。
調べてみると、やはり学業の神様 菅原道真を祀る神社のようです。
そんな学文路を、今回は訪れます。

 橋本駅から高野山方面には、真田幸村の六文銭を描いた電車に乗り込みます。
これから向かう学文路駅ですが、その1駅先には、幸村と父 昌幸村幸が徳川家康によって高野山行きを命じられて滞在することになった九度山があります。
幸村はここでの貧しいながら平和な暮らしを抜け出し、豊臣方に加勢するため大坂冬の陣、そして夏の陣と歴史的な戦に巻き込まれることになるのです。
その真田家の紋章である六文銭電車が、NHKの大河ドラマ「真田丸」が放映されたことを機に走り出したのです。
橋本駅から先は単線で走る電車が、山間を進んでいきます。

 学文路駅は、橋本駅から2駅の場所にあり5分程度で到着します。
単線ですので、上りと下りの電車がこの駅ですれ違います。
木造のこじんまりした駅舎は、壁板を白いペンキで塗られた小奇麗な駅です。
ここからは学文路の町を抜けて、「学文路天満宮」に向けてぼちぼちと歩いて行きます。
v  駅前を通る国道には家があるものの、ポツリポツリとしか並んでいません。
5分ほど歩いたところに、民家数軒がかたまって建っている場所があります。
紀ノ川沿いの学文路郵便局の周りのこの場所には、趣のある家々が数は少ないですが並んいます。
外壁に漆喰を塗った建物で、訪れたときは正月であったため店を閉めています。
古い建物を、大切に使い続けていることが判ります。
紀ノ川はちょうどこの場所で、大きくU字型に流れを変えています。

 駅から1km以上も歩いたでしょうか。
「学文路天満宮」に折れる角に、看板が建っています。
ここから先は、車が1台通れるかどうかの極端に細い道になります。
道は民家の間を縫うように走っています。
その先を進むと急な石段があり、その上に石鳥居が見えます。
石段を登りその鳥居から先が、天満宮に続く参道になっています。
参道の両側には天満宮ののぼりが立っており、それを辿っていくことで天満宮にたどり着くことができます。

 1124年に天満大自在天神(菅原道真)を主祭神として、馬場村であるこの地に創建されました。
1873年には旧学文路内五十五柱の神々を合祀し、村社として今に至っています。
拝殿を潜り、その先に現れる本殿は木造大社造りの建物です。
北野天満宮の分霊で、京の北野天満宮に向かって本殿が建てられています。
境内には「撫で牛」の石像があり、頭を撫でると合格祈願、学業上達が叶うとのことです。
身内に温かいご利益があるようにと、心をこめて撫でます。
また拝殿の授与所では、今回の目的である合格祈願のお守りを買って帰ります。
商売っけのない良心的な値段で、助かったのでした。

 お守り購入の目的を果たし、今度は橋本寄りの紀伊清水駅に向けて歩きます。
「学文路天満宮」が学文路駅と紀伊清水駅のちょうど中央辺りにありますので、帰りは別の景色を味わいます。
この辺りは柿やみかんが採れる場所で、いずれも収穫期を過ぎているのですが、まだ実を付けたままのみかんの木を所々に見かけます。
そんな様子を楽しみながら、歩き続きます。

 1〜2kmも歩いたでしょうか。
紀伊清水駅が見えてきます。
電車が来るまではまだ時間がありそうなので、駅の周辺をぶらぶらします。
実は紀伊清水駅近くには、昔の街並みが残っている所があるのです。
駅前の国道と紀ノ川との間に挟まれた細い路地が、昔の面影が残る場所なのです。
紀伊清水は高野山上まで続く高野街道の高野山領での最初の宿場町で、古くから栄えてきました。
路地の左右には木造瓦葺きの建物が並び、常夜灯の石灯篭も残っています。
懐かしさと趣のある街並みが、どこか心を落ち着かせてくれるのでした。

     
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