にっぽんの旅 近畿 和歌山 有田

[旅の日記]

奇妙な島のあらぎ島 

 久々のお出かけです。
世間を騒がせたコロナウィルスで、会社も在宅勤務と化し8か月間の外出自粛をしていました。
そろそろウィルスも下火になってきましたので、自家用車を利用した移動で郊外に出ます。
そして選ばれた舞台は、和歌山県の有田川町です。

 有田インターで車は高速道路を下り、ここからは山側に40分走ります。
途中に「有田川鉄道公園」の看板が見えますが、ここは帰りに寄るものとして先を進みます。
道は有田川沿いに東の竜神温泉方向へ向かいます。
陽の光を受け、川は緑に透き通っています。
やがてあちらこちらでアユ釣りをしている風景に出会います。
腰まで水に浸かり竿を左右に振りながら、おとりの鮎でここを縄張りにしている鮎をおびき寄せます。

 川には所々に橋が架かっています。
生活通路の橋と言ったところで、いずれも人が通れる幅の吊り橋です。
真っ白の橋がありますので、車を停めてこの足で渡ってみます。
橋の中央まで来ると、これから向かう雄大な山々がはっきりと目の前に現れます。

 車はさらに山に向かって進みます。
その途中に、道の右手に大きな赤い橋が現れます。
ここは「蔵王橋」で、二川ダム湖に架かる橋です。
昔は自動車が通行していただけあって、これまでの橋と較べると幅が広いものです。
大きい橋とはいえこれも吊り橋、人が通れば橋自体が大きく揺れます。
網状の床からは、ダムの湖面が深くに見えます。
できるだけ下を覗かないように、前を見て渡ります。

 車は山道を走ります。
ここのところの豪雨のせいでしょうか、山肌が崩れ道が対面通行になっている場所が、何ヶ所かあります。
工事用の信号機の指示に従い、慌てずに対向車がすれ違うのを待ちます。
その先には道の駅となる「明恵ふるさと館」があり、ここで脇道に入って行きます。
しばらく行ったところには、本日の目的地である「あらぎ島」があります。
ちょうど山の下り坂で、右手が開けて下の景色が見渡せる場所があります。
「あらぎ島」の全景を眺めることができる展望所です。

 「あらぎ島」とは、蛇行する有田川で3方を囲まれ島のようになった土地が、こう呼ばれています。
島と言っても川で区切られた陸続きの場所で、中には棚田が広がっています。
わずか6件の農家で耕している棚田なのです。
訪れた季節は、緑色の苗に茶色の穂が付き始めたところです。
暖かな陽のもとで不思議な形をした島全体を見渡すことができ、幸せな気持ちになったのでした。

 観光客はここで引き返していくのですが、車はもう少し先に進み村の中に入って行きます。
「あらぎ島」を開拓した笠松左太夫の「笠松家住宅」があります。
笠松左太夫は、江戸時代の山保田組(現在の有田川町清水地区)の大庄屋で、私財を投げ打って公共事業を興します。
灌漑水路にも取組み、ここ「あらぎ島」をはじめ多くの新田開発に人生を捧げた偉人です。
現在は「笠松亭」として古民家を改築した宿泊施設になっています。
明治初期の造りと言われ、トタン張の屋根は古くは茅葺屋根であった形をそのまま残しています。
そして、その横には棟外れの蔵もあります。
ここで家屋の話を聞こうとした時、これまで晴れていた空が急に暴れ出しました。
大粒の雨が叩き付けます。
慌てて車に戻ったのでした。

 こうなると、元来た道を帰ります。
「あらぎ島」には数組の観光客がいましたが、あいにくの雨で視界も良くないようで、間一髪でした。
車は「明恵ふるさと館」まで戻り、ここで雨脚が治まるまでしばしの休憩を取ります。
この地方の名産である巨峰が並んでいます。
1房に成る実の粒はまちまちですが、そのせいで破格の安値で売られています。
これは買うしかありません。
帰ってから食べたのですが、思いっきりの糖度でみずみずしく甘いブドウでした。
そしてもうひとつの郷土料理は、「わさび寿司」です。
見た目は同じ和歌山の「めはり寿司」に似たものですが、こちらは清水で作ったワサビが特徴です。
ワサビの葉で包まれた寿司で、ワサビのすがすがしい香りがします。
中はワサビを混ぜたものや鯖、鮎、鮭を添えたものです。

 さて車は有田の町まで戻ってきました。
行きに見つけたもののお預けになっていた「有田川鉄道公園」に行ってみます。
1915年に海岸駅〜下津野駅間に鉄道を開業した有田鉄道が、その基となります。
翌1916年には下津野駅からここ金屋口駅間まで延伸開業しています。
ところが1944年には海岸駅〜藤並駅間が休業となり、1959年に廃止されます。
そして2003年に鉄道全路線が廃止となり、バス事業に転換してしまいました。
ここ「有田川鉄道公園」には「旧金屋口駅」が残され、400mの線路には往年の車両が動体保管されています。
その中には、樽見鉄道から譲渡を受け1994年から運行されていたレールバスがあります。
また紀州鉄道が北条鉄道から譲渡を受けたレールバスも展示されています。
その後ろには、国鉄色をした車両が見えます。
富士急行から譲渡を受けた国鉄キハ58のコピーで、この公園で余生を送っています。
また「鉄道交流館」ではNゲージのジオラマが展示されており、大人ながらに心が騒ぐのが判ります。

 自然と古い鉄道に思いを馳せ、久々の遠出に満足した1日でした。

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