にっぽんの旅 近畿 滋賀 永原

[旅の日記]

永原の菅浦集落 

 JR湖西線の永原駅にやってきました。
今回は現在に残る秘境 菅浦集落を訪れます。
スキー場で有名なマキノの1駅北に位置する、北琵琶湖の静かな駅です。
駅のホームから改札に続く地下道に入ると、そこは壁に水が浸み出てヒヤッとしています。
夏の熱い中にもホッとする一瞬です。
どおりで地下道にはベンチが並べられていたはずです。
そしてそのベンチには、先約のアマガエルが腰を掛けていたのでした。
改札を出ると、そこには今晩の宿の送迎の車が待っていました。

 菅浦集落へは、ここから車でさらに20分程進んだ琵琶湖畔にあります。
宿までの道は先日の大雨で道の斜面が壊れ、修復のための1方通行になった所が所々にありました。
自然の力を見せつけられたものです。

 宿に着き部屋から外を眺めると、目の前には琵琶湖が広がっています。
大津の方とは違い湖北の湖面は水が澄んでいて、湖底に敷かれた石まで覗くことができます。
またその先には、竹生島が手の届きそうなところに浮かんでいます。
神々が宿る島として知られているところです。
この竹生島まで船で10分で行けるということなので、宿に予約を入れて明日の船を頼んできます。

 それではということで、休む間もなく本日のお目当ての菅浦集落を散策することにします。
「隠れ里」と称される菅浦ですが、そう呼ばれるには訳があります。
琵琶湖の北端に突き出しす葛籠尾崎(つづらおざき)の入り江に存在する菅浦集落は、険しい山に囲まれ昔は船でしか行くことのできなかった秘境の地でした。
近江国を支配した京極氏や浅井氏に対しても、彼らの統治を嫌い村民自らが村を自治する惣村が形成されていました。
その面影を残す四足門が残されています。
集落の西の入口に建つ茅葺きの四足門で、よそ者が村に入るのを厳しく監視してきました。
一旦その門を潜ると、その先には懐かしい漁村の風景が広がっています。

 四足門の横の鳥居は、須賀神社です。
上り坂の参道の先には本殿まで続く石段がありますが、ここで靴を脱ぎ裸足で進まなければなりません。
神の前に出るには、清い姿でなければならないのです。
神社には淳仁天皇が祀られており、764年の藤原仲麻呂の乱の際に逃れたという隠棲伝説も伝わっています。
少し先には淳仁天皇の菩薩寺である菅浦山 長福寺がかつて存在していた寺跡を示す石碑があります。

 さら進むと、そこには安相寺があります。
北近江を支配していた浅井長政ですが、織田信長の進撃に耐え切れず1573年に小谷城の落城に追い込まれます。
その際、長政の子である万菊丸が菅浦の安相寺に逃れたという言い伝えがあるのです。
浅井長政と言えばお市との間に生まれた茶々、初、江の浅井三姉妹が有名ですが、実は二男三女の子供がいたのです。
前妻との間に生まれた長男万福丸と、その弟の万菊丸です。
万菊丸はお市との間に生まれた子、もしくは側室の子ではないかとも言われています。
城を脱出した2人の子ですが、残念にも万福丸は見つけ出され串刺しといった残虐な方法で殺されてしまいます。
一方の万菊丸は幸いにも安相寺にかくまわれて、この地で生き延びたとの言われています。

 さて村を歩いていると、細い通路に並ぶ家々の敷地内に小さなプレハブ小屋があることに気付きます。
1960年頃からヤンマーが作業場として作り上げた「ヤンマー菅浦農村家庭工場」です。
湖北の出身であったヤンマーの創業者 山岡孫吉は、貧窮村民の救済を目的として家庭工場を立ち上げ、ここでは主に部品加工を分担して行っていたのです。
それぞれに番号が打たれており、少なくとも第20作業場まで確認することができましたので、それ以上の家庭工場があったのでしょう。

 その先で道が少し広くなったところに「東の入舟跡」の標識が建っています。
標識の脇には小さな社があり、花が飾られています。
ここが昔の港の跡だったのでしょうか。
ほど近いところに現在の小さな港があり、数隻の船が停留しています。

 その先も路地沿いに民家は続きます。
2本の路地が湖辺に沿って走っていますが、湖側の民家との境にはどの家にも1mほどの石垣が積まれています。
どうやら湖が荒れたときの波を避けるためのもののようです。
静かな湖に見える琵琶湖も、冬には牙をむくことでしょう。
大きな湖であるがゆえに、石垣が必要なくらいの波が打ち寄せるということです。
石垣の上には梅干用の梅が干されており、のんびりとした田舎の風景を味わうことができます。

 さらに進むとその先には、東の四足門があります。
ここまでが惣村の菅浦集落なのです。

 さて宿に戻り、夕食にはこの地で採れた食材が机に並びます。
びわ鱒の造り、近江牛のキノコ和え、小鮎の甘露煮と、ふっくら炊きあがった近江米です。
もちろんそこに酒が加わり、楽しい一晩を過ごしたのでした。

   
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