にっぽんの旅 近畿 滋賀 醒井

[旅の日記]

中山道の醒井宿 

 今日は、醒井に来ています。
醒井は、米原から東海道本線で名古屋寄りに1駅のところにあります。
実は米原を目指して出てきたのですが、その隣の醒井に見所があることを電車の中で知り、やってきたのです。

 駅前には「醒井水の宿駅」があります。
中山道の宿場町として栄えてきた醒井ですが、同時に醒井は水の町。
豊富な湧き水で、町が潤ってきました。
ここ「醒井水の宿駅」にも苔生した器に清水が湧き出しおり、飲むことができます。

 醒ケ井駅から、中山道を目指して歩いて行きます。
途中左手に、2階建ての擬洋風建築が見えてきます。
ここは「旧醒井郵便局」で、1973年までは郵便局として使われていました。
今は「醒井宿資料館」として利用されています。
館内に醒井宿のビデオがあるので、ボタンを押して観ることにしましょう。
ところが、いくら待ってもビデオは始まりません。
とそこへ館長が現れ、画が出てこないのは装置が壊れていて修理を頼んでいるもののまだ来てくれないとのこと。
代わりに館長がこの辺りの話をしてくれます。
今日まで知らなかった醒井ですが、夏には観光バスで人がやってきて、日曜日の歩行者天国と間違えるほどに通りが混み合うとのことです。
それらの人々の目的は古い町並みではなく、川に咲く花だそうです。
思っても見なかった川に咲く花を知った収穫は、大きかったです。
あいにくこの時期はその花も見ごろを過ぎて観光客もほとんどおらず、ゆっくり観て回ることができます。
花は残っているから観てきたら、とのことだったので先に進むことにします。

 道は「地蔵川」に架かる「居醒橋」と「醒井大橋」のところで、中山道と交わります。
ここで左に折れると、その先は醒井宿の街並みが続きます。
そして「地蔵川」の橋の傍に、燈籠が建っています。
ここは「十王水」で、淨蔵法師が諸国遍歴の途中でここに十王を開いたところです。
近くに十王堂があったことから、「十王水」と名づけられました。

 それでは旅籠跡が残る古い街並みを、「地蔵川」に沿って歩いて行きます。
そんななかに「ヤマキ醤油店」が目に入ります。
ここは、醒井宿にある造り醤油屋です。
どこかで聞いたことのある名前ですが、あちらはヤマサ醤油です。
屋号を示すマークが、部首の「ひとやね」(会・今・傘などの冠)というのはヤマキもヤマサと同じなのですが、その下に付く文字はこちらは「キ」です。
そういえばヤマサの方には、右上に「上」の文字も付いていましたね。
引き戸のガラス戸には「味噌ができました」の張り紙があり、観光地とはいえ生活感いっぱいです。

 中山道沿いの左右には軒が並びますが、通りの右手はすぐ横が「地蔵川」です。
川向うの家には、玄関までのその家のための橋が架かっています。
また川には至る所に水面まで降りるための階段があり、そこで野菜を洗っている年寄りもいます。
みなさんざるに野菜を乗せてやってき、川で下ごしらえをするようです。
まさに生活のための川です。
澄んだ川の水ですが、緑鮮やかな藻が流れに合わせてゆらゆら揺れています。
キンポウゲ科の多年草で、「梅花藻」といいます。
可憐な白い花が咲いていますが、「梅花藻」には水温14度の清流でしか咲かない貴重な花なのです。

 「問屋場」では、中山道の宿場を通行する大名や役人に、人足や馬の提供、荷物の中継などを行っていました。
宿駅の大切な施設が、そのまま残されています。
なかにはトゲウオ科のイトヨ属の体長5cmほどの「ハリヨ」が水槽で飼われています。
「地蔵川」に生息している貴重な淡水魚で、絶滅危惧種に指定されています。
ここで川の水面近くに下り、水面に見え隠れする「梅花藻」の花をまじかに眺めてみます。
夏の訪れとともに一斉に咲きほこる花ですが、いまでもあちらこちらに花が残っています。
梅に似た白い花をつけることから「梅花藻」の名が付いたといわれます。

 通りを先に進みましょう。
右手の川向うに「延命地蔵堂」があります。
魚の供養のために川に据えられたお地蔵さんです。
「地蔵川」の中に座っていたことから、俗に「尻冷やし地蔵」と親しんで呼ばれています。

 817年に百日を越える干ばつのため、草木は枯れ川が干上がりることが起きました。
嵯峨天皇の命により、伝教大師(最澄)が比叡山の根本中堂に祭壇を設けて雨を祈ると、夢の中で薬師如来が現れ「東へ数十里行ったところに清浄な泉がある。そこへ行って雨を求めよ」とお告げがありました。
伝教大師が醒井を訪れると、白髪の老翁が忽然と現れ「寿福円満の地蔵尊の像を刻み安置せよ」と言います。
その言葉に従って石工を集め、一丈二尺(3.6m)の地蔵尊の座像を刻み祈念するとと、黒い雲がみるみる現れ大雨が三日間降り続いたということです。
1608年に霊験を感謝した濃州大垣の城主石川日向守が、佛恩に報いるために辻堂を建立したと伝えられています。

 その先には石鳥居があり、階段が続きます。
石段を登りきり醒井の町を見渡せる場所に「加茂神社」があります。
鳥居の横には、「居醒の清水」があり、ここから「地蔵川」の水が湧き出ています。
日本武尊が伊吹山の荒ぶる神と戦い征伐した際、傷ついた体の毒で高熱で意識もうろうとなりました。
ところがこの水で毒を洗い流し熱を醒ましたことから、霊水とも尊ばれ「居醒の清水」と名付けられます。
これが、醒井の地名の起源とされています。

 まだ道は続きますが、ここから少し進んだところが、醒井宿の終わりです。
「中山道醒井宿」の文字を刻んだ石碑が、反対側に向いて建っています。

 それでは、中山道を「醒井大橋」まで戻ってみましょう。
「梅花藻」が清水にたなびく様は、何度見ても飽きが来ません。
「醒井大橋」の先少し歩いたところに、「西行水」があります。
東国への旅の途中に西行法師が、ここの茶店に立ち寄りました。
法師が飲み残したお茶の泡を飲んだ茶店の娘が、不思議なことに懐妊し男の子を出産します。
帰路にこの話を聞いた西行法師は泡に返れと念じると、子は元の泡に戻ってしまいます。
西行法師はここに五輪塔を建て祀ったことから、「西行水」と呼ばれるようになったということです。

 さてここまで来ると、醒ケ井駅はすぐそばです。
民家の間を通り駅に向かう途中、大きく実った柿が出迎えてくれました。
突然決まった醒井行でしたが、こころが洗われた気がしたのでした。

旅の写真館