にっぽんの旅 近畿 滋賀 大津

[旅の日記]

大津 

 本日の散策は、大津の地です。
京都からは、京阪京津線で向かいます。
地下鉄東西線に乗り入れている京津線は、御陵駅を過ぎると地上に出てきます。
追分駅辺りからは、路面電車のようにほぼ直角に曲がりくねった線路になります。
そして国道1号線に沿って、逢坂峠の急な坂道を越えていきます。
峠を登り切った後は、浜大津に向かって今度は転がり落ちて行きます。
今回は、浜大津駅の1つ前の上栄町駅で下車します。

 駅のすぐそば国道1号線沿いに、「大津宿本陣跡」があります。
北国海道と東海道の合流地点であった大津宿は、大いに賑わっていました。
多くの旅籠なども軒を連ね、旅行く人を迎えていました。
しかし今ではそれを知る建物は残っておらず、こうして標識によって跡地が示されるだけになってしまいました。
上京町には、東海道があった通りも残っていますが、お店やビルが立ち並びこちらも昔の面影はありません。

 とその時、道路の真ん中を電車が突っ走っている光景を目にしました。
先ほどまで乗ってきた京阪京津線の車両が、道路の真ん中を堂々と走って来ます。
まるで路面電車のように車の信号に従いながら、それでいておおきな車体で道の真ん中を我が物顔に走っているのです。
危なくないの?と、思わず眼を疑ってしまいました。
そういえば、京阪京津線と言えば、昔はこじんまりとしたチンチン電車のような車両だったのですものね。

 長等商店街を西へ歩いて行くと、アーケードが切れたところの先に「長等神社」が見えます。
朱塗の立派な楼門です。
667年に天智天皇が近江大津宮へ遷都された際、都の鎮護のため祀られたのが起源とされています。
1054年には、庶民もお詣り出来るようにと山の上から現在地に移されました。
境内には樹齢300年といわれる巨大のカツラの木があり、御神木となっています。

 さて、次はいよいよ「三井寺」です。
10〜20分で見て回るように日程は組んでいたのですが、行ってみるとその大きさにびっくりです。
まずは「仁王門」より入って行きます。
「仁王門」は1452年に建立されたもので、甲賀の常楽寺より徳川家康によって寄贈されたものです。
門の両脇の仁王像がにらみを利かせ、寺を守護しています。

 右手に釈迦堂を眺め進むと、その先には「金堂」があります。
この寺の総本堂で、ご本尊の弥勅仏は天智天皇が信仰されていた霊像です。
現在の建物は、豊臣秀吉の北政所として1599年に再建されたものです。

 「金堂」から奥に進んでいきます。
毛利輝元により山口県国清寺から寄贈された「一切経蔵」には、堂内に高麗版一切経を治める八角輪蔵があります。
その先には、三重塔、潅頂堂などがあり、潅頂堂に続く参道は両側に登録が並び趣のある風景です。

 寺院中を「観音堂」まで歩いて行きます。
村雲橋を渡って、先に進みます。
西国三十三箇所観音霊場の第14番札所でもある三井寺ですが、「観音堂」は1689年のものです。
ここからは大津の町を眼下に見渡すことができます。
この日も天気が良く、浜大津の建物の先に遠く琵琶湖を臨むことができました。

 三井寺を出ると、そこには「琵琶湖疏水」と呼ばれる琵琶湖の水を京都市へ流すために作られた水路があります。
そういえば、京都南禅寺の煉瓦造りの水路も、確か琵琶湖疏水だったはずです。
ここから流れていたんだと、考えさせられました。

 水路に沿って、琵琶湖まで歩きます。
京阪石山坂本線の石山寺駅を越え、琵琶湖に出たところが三保ヶ崎です。
春が来ることを待ち望んでいた人達が、まだ肌寒い湖面でヨットを操っています。
ヨットが行き交う様を見ながら大津港に向かっています。

 大津港では、琵琶湖クルーズのレトロな雰囲気のミシガンはいなかったのですが、代わりに優雅な姿をしたビアンカが停泊していました。
さて琵琶湖と言えば「鮒ずし」ですよね。
琵琶湖名産の食べ物です。
その臭いと味とで、好き嫌いは二分される食べ物ですが、物は試しとお土産に買って帰りました。
ちびりちびり突っつきながら、お酒のあてにします。

 そして感想は…
感じ方は人それぞれですので、ご自身で試してみれば、といったところでしょう。
聞いていたほど気嫌いすべきものでもないですし、かといって好んで食べることもしないのかな、ってところです。
あくまでも私個人の感想ですが。

   
旅の写真館