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[旅の日記]

秀吉の里 長浜 

 本日は、琵琶湖の湖北地方、長浜をブラブラしてみます。

 長浜と言えば、豊臣秀吉が造った町としても有名です。
JR長浜駅の駅前には、石田光成が秀吉と出会った時を描いた像が建っています。

ここが長浜のメインストリートです。
やがて、屋上に塔の建っている5階建ての建物が現れます。
「長浜タワー」で、1964年に、地元の資産家が長浜にも東京タワーのような名物をと造ったものです。
「Nagahama Towerbill」と表札が出ていますが、「bill」はスペルミスとか。
今まで放置されて、かえって名物になっ感があります。

 さて「長浜タワー」から南北に延びる通りが「北国街道」です。
長浜の風情のある建物が詰まった場所です。
それでは北に向かって歩いて行きましょう。

 「安藤家」は、1583年の賤ヶ岳合戦で秀吉に協力したことから、その後の長浜の自治を委ねる十人衆に秀吉に選ばれます。
明治時代に入ると、近江商人との婚姻関係から自らも商人となって呉服問屋を営み、福島県を拠点とする百貨店を開業していきます。
虫籠窓、紅殻格子などが施された和風の建物には、 北大路魯山人が手掛けた装飾がどこかしこに見え隠れし、離れの「小蘭亭」に残る天井絵、額や扉、襖、障子に至るまで、魯山人の精緻な芸術品が並んでします。
また庭園「古翠園」も見事で、巨石をあしらった池泉回遊式の庭園はみどころです。

 さてここから先は、黒い壁の家が並びます。
いわゆる「黒壁スクエア」と呼ばれるところです。
黒い装飾を施した壁の家が、通りの左右に並びます。
「黒壁ガラス館」は、1900年に銀行として建てられた木造洋館です。
グラスや小物などのガラス製品が、館内いっぱいに展示されています。
また入り口正面には大型のオルゴールもあり、今でも美しい音色を奏でています。

 先を進みましょう。
太閤瓢箪を軒先に吊るしたガラス屋があります。
秀吉が造った町だけあって、今も秀吉に対する信頼には絶大なものがあります。

 「知善院」は、天台真盛宗の寺です。
鳥居を潜って境内に入って行きます。
本堂はと観音堂は書院を挟んで渡り廊下でつながっています。
「知善院」はもとは小谷城下にありましたが、長浜城の築城と城下町整備に際して、秀吉は城の鬼門の方向である現在地に守護寺として移築します。
本堂には、大坂城落城の時に持ち出されたと言われる秀吉の木造が祀られています。

 さてここから東方向に、もうひとつの寺があります。
「大通寺」は、真宗大谷派の寺院です。
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、1602年に長浜城跡に創建され、1652年に現在の地に移転してきました。
立派な構えの本堂の阿弥陀堂は、伏見城の殿舎を徳川家康より東本願寺に贈られ、そこで御影堂として用いたものを移建したものです。
本堂と大広間は渡り廊下で結ばれており、大きな本殿がより大きく見えます。
山門は総欅造の二層門で、1841年に建立されたものです。
参道から寺院に向かって左手にも、もう一つの門があります。
台所門という脇門で、こちらは旧長浜城の大手門を移したものです。
通りで立派なはずです。
そして山門の前には参道が続き、いろいろな店で活気を呈しています。

 それではここから「黒壁ガラス館」に参道の店を覗きながら歩いて行きましょう。
「曳山博物館」では、毎年4月の長浜曳山祭に使われる山車を展示しています。
博物館の裏には、曳山小屋があります。
訪れた時には、NHKの大河ドラマでも有名な黒田官兵衛の博覧会が開催されており、この地が生んだ英雄を称えていました。

 「海洋堂ミュージアム」では、本物と区別がつかない程精巧にできたフィギュアが展示されています。
もともとは大阪の模型屋で、菓子のおまけを作っていたのですが、チョコエッグの巧妙にできたおまけで知名度を上げます。
館内には、鉄人28号からゲゲゲの鬼太郎、初音ミクから三国志に至るまで、あらゆるフィギュアがところ狭しと飾られています。
ファンならたまらない場所であることに間違いありません。

 「黒壁ガラス館」の西には、「豊国神社」があります。
秀吉の3回忌に当たる1600年に、その遺徳を偲んで町民自らが建立したものです。
秀吉の他にも、境内には加藤清正像もあります。
また同じ境内に出世稲荷もあり、秀吉にあやかろうと訪れる人が後を絶ちません。

 ここで、昼食を取ることにしましょう。
翼果楼という古風な店に入ります。
長浜の郷土料理はいくつかありますが、今回は「鯖そうめん」を頼むことにします。
昔から湖北地方には、農家に嫁いだ娘のもとへ農繁期になると実家から焼き鯖を届ける風習がありました。
忙しい中、その鯖と簡単にできるそうめんを合えて食卓に出す「鯖そうめん」が定番の料理だったのです。
そしてそれが後には、客人をもてなすご馳走へと進化していったのです。
そうめんには、焼き鯖を甘辛く煮たときの煮汁がしっかりと浸みていて、そうめんだけでも美味しい一品です。

 食後は駅前通りの南側を歩いてみます。
北国街道が駅前通りと交わる南の角に「開知学校」はあります。
木造3階建で白壁、八角塔屋を持つモダンな建物は、1874年に建てられた学校跡です。

 そして、明治ステーション通りに交わると西に進み、JRの踏切を越えます。
踏切を渡ったところに「長浜鉄道スクエア」はあります。
ここには現存する日本最古の駅舎が残されています。
敦賀線(今の北陸線)の起点駅として1882年の鉄道開通と同時に完成しました。
昔の改札や待合室の様子も、そのまま再現されています。
また入り口には、長浜駅で使われていたポイントも保存されています。
館内には北陸線の電化前後の、D51蒸気機関車とED70交流電気機関車が並んでいます。
貨物列車に混じって、ホームには長浜駅に到着する500系新幹線が停まっています?
ただし、これはジオラマの世界。
夕刻に電灯を燈した電車が長浜の駅を発車していき、電車大好き少年だったころの夢がよみがえってきます。
思わず見入ってしまったのでした。

 「長浜鉄道スクエア」の向かいには「慶雲館」があります。
豪商 浅見又蔵氏が、明治天皇行幸に合わせて私財を投じて建設した長浜の迎賓館です。
盆梅展の会場にもなっています。

 いよいよ秀吉の本拠に向かいます。
織田信長が浅井長政の居城である小谷城を攻めたとき、横山城を守る秀吉(当時の木下藤吉郎)は信長を助け大活躍します。
1573年、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられ、羽柴秀吉と名乗ります。
そして竹生島から材木を集め、長浜に城を築いていきます。
初代城主となった秀吉は、湖北各地から職人を集めて次第に理想の城下町を形作っていきます。
秀吉が最初に気付いた城が、この「長浜城」なのです。
天守閣は「長浜城歴史博物館」として生まれ変わり、長浜の歴史と文化の紹介と展示が行われています。

 そして外に出ると、琵琶湖畔に「太閤井戸」があります。
湖の中にあって、見付けにくいところです。
長浜城築城の時に秀吉が掘らせたと伝えられる井戸で、渇水時以外は湖の中から碑だけが覘いています。

 この町の人は不思議なくらいに秀吉にぞっこん惚れ込んでおり、秀吉の力を知らされたのでした。
関ヶ原の合戦の舞台にも近い長浜の町を巡る1日でした。

 
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