にっぽんの旅 近畿 滋賀 草津

[旅の日記]

草津宿 

 今回は滋賀県の草津です。
JR草津線の終着駅でもあります。
駅には緑色の電車が停まっています。

 草津は、東海道五十三次の52番目の宿場町です。
駅を出たところの陸橋のうえに、「草津宿」の碑が建っています。
さすが中山道と東海道が交わり、宿場町として栄えた草津です。
大阪から出ると、東海道本線は草津を通って米原まで行き関ヶ原を越えるので、昔の東海道もそうなのかと思われがちですが、実はここから東へ向かい亀山・四日市を通る、今の第2名神道路が走るところが昔の東海道があったところなのです。

 食事を取ろうと駅の隣のビルに入ります。
レストランを探し地下に潜ると、そこは昭和を模った町が再現されています。
ちょっとノスタルジックな気分にさせられます。
草津駅の改札口も、当時の姿を再現しています。

 江戸時代に宿場町だった草津ですが、2軒あったといわれる本陣のひとつがいまだ残っているということで、訪れてみます。
その途中、駅から南に10分ほど歩くと、商店街のアーケードが切れた辺りに小さなトンネルがあります。
トンネルは土手を突き抜けており、土手の上に登ってみるとそこには川が流れています。
これが、天井川の旧草津川です。
今は新たな草津川が造られたため普段は涸れた川ですが、一旦大雨が来ると息を吹き返したかのようにこの川が活躍するのです。

 そして、ちょうどこの辺りが東海道と中山道との分岐点で、「追分」と呼ばれていたところです。
ここから東に東海道、今歩いて来た北へ続く通りが中山道です。
通りをを灯す灯篭には、追分を示す標識が刻まれています。

 そんな先に、草津宿本陣はありました。
正式には田中七左衞門本陣といい、現存する本陣としては最大級のものです。
草津宿には、もうひとつ田中九蔵本陣もあり、合わせて2軒の本陣が存在していました。
2つの街道が交わる草津は交通の要で、時代によっても違いますが、脇本陣が2から4軒、旅籠は多い時には132軒を数えました。
それでは、今も残る田中七左衞門本陣に入ってみましょう。
本陣の内部は公開されおり、広い廊下の左右にいくつもの部屋が配置されています。
奥には上段の間があり、庭園を眺める渡り廊下の先には湯殿があります。
その他、多くの食事を作った台所土間なども見学することができます。

 本陣を見学し、すっかり当時にタイムスリップした後は、夢の覚めぬ間に草津の街を歩きます。
旧東海道沿いには、昔ながらの町屋も残されています。
街道の両脇に木造家屋が軒を並べ、情緒ある街並みです。
「草津夢本陣」は無料の休憩処として整備されています。
また。「草津宿街道交流館」はその賑わいを今に甦らせた街道と宿場の歴史館です。 「草津宿がわかる歴史館」と書かれた「草津宿街道交流館」などが、街道沿いに配備されています。

 さらに歩いた先に、「立木神社」があります。
767年に武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国の鹿島神宮から白鹿に乗って旅に出ました。
この地に到着したときに、手にしていた柿の鞭を社殿近くに刺し「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山に鎮まらん」と祈ります。
すると、柿の木には枝葉が茂り出し、村人はこの木を崇め神殿を建てて「立木神社」と呼んだと伝えられています。
境内には鹿の銅像もあり、鹿を祀る由緒ある神社なのです。

 草津駅から南の旧東海道沿いを歩いてきましたので、今度は旧中山道を歩いてみます。
「草津追分」まで戻り、さらに北上していきます。
最初に見えてきたのは、「光明寺」です。
1232年設立で、比叡山延暦寺の一道場として、天台宗の寺として開基されます。
当時は「號称寺」と呼ばれていました。
当時の草津は、比叡山延暦寺の荘園だったのです。
その後、親鸞聖人が当寺にしばしば逗留され法を説かれたことをきっかけに、浄土真宗に改宗します。
しかし比叡山の宗徒はこれを心良しとせず、1465年には親鸞聖人の大谷本願寺を襲う事件の発生しています。
1509年には細川高国と足利義澄との戦乱により「號称寺」も壊されてしまいますが、1574年に一堂を建立し、1592年には「妙心寺」として再建した本堂が今も残っています。

 さらに北に進むと「伊砂砂神社」があります。
旧社名を「渋川大将軍社」と称し、平安時代より鎮座すると伝えられています。
中山道沿いに鎮座する本殿は、1468年に建立されたものです。
主祭神の石長比売命は気立てが良く健康で長生きをされた神様として、多くの信仰を集めています。

 草津の食べ物で有名なものに、「うばがもち」があります。
江戸時代の旅は大変で、宿場に着きホッとしたときに空腹をいやすために食べられたのが、餅や団子です。
餅屋(うばもちや)はここ草津の餅「うばがもち」を商う茶屋のことで、このお菓子は今や草津を代表するものになってしまいました。
さらには、やはり近江牛でしょう。
商店街を歩くと近江牛を取扱う肉屋や、近江牛レストランがあります。
といっても結構な値段の肉であることには違いありませんので、牛すじや牛丼でいただきます。
牛すじと言えどもばかにすることなかれ、柔らかく味の付いた牛はその汁だけでもおかずになる代物でした。

   
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