にっぽんの旅 近畿 滋賀 石山

[旅の日記]

石山寺と瀬田の唐橋 

 滋賀県の石山寺に来ています。
浜大津から京阪石山坂本線で、15分のところです。
2両編成の石山坂本線は、浜大津の交差点を除き鉄道専用軌道こそ走っていますが、路面電車そのものです。
90度近いカーブを繰り返しながら、レールを車輪がきしむ音を聞きながら揺られていきます。
田舎の電車かなと思ったものの、それでいてしっかり複線ですから、大したものです。

 石山寺駅は終着駅で、石山寺参拝の最寄駅でもあります。
駅名が示すように駅の目の前が石山寺かと思いきや、お寺は1kmほど先のようです。
瀬田川を眺めながら、ゆっくりと散策を楽しみます。
瀬田川ではオールを漕ぐ息の揃ったレガッタが、練習をしています。
大学のボート部なのでしょう。

 道路沿いには数件のこじんまりとした旅館があります。
石山温泉です。
美味しそうな鯖寿司も飾られています。
しかし本日は他に食べたいものがあるので、ここは我慢しましょう。

 少し行くと右手に、朗澄大徳ゆかりの庭園があります。
朗澄律師は没後、石山寺経蔵の一切経ならびに聖教を守護し、鬼の姿となって多くの畜生類を連れて、法に従わない人を改めさせたと言われています。

 その隣が石山寺の東大門です。
その昔、東大寺大仏の造立にあたり、像の表面にメッキを施すために大量の黄金を必要としていました。
そこで聖武天皇は良弁に命じて、吉野の金峯山に祈らせます。
ところが良弁の夢に現れた吉野の金剛蔵王は、「近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」と言います。
お告げにしたがって石山の地を訪れた良弁が、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てます。
如意輪観音像を覆うように建てられたのが石山寺ということで、747年のことです。

 東大門は、1190年に源頼朝の寄進により建てられたもので、ここからまっすぐに参道は伸びます。
石段を登ると、右手に金毘羅堂、左手には蓮如堂があり、蓮如堂の脇に本堂に続く階段があります。
そして本堂は滋賀県最古の木造建築物で、内陣は平安時代中期の建築されたものです。
相の間には、紫式部が「源氏物語」を起筆したことにちなんだ「源氏の間」があります。

 蓮如堂の横からは、天然記念物の硅灰石が広がっています。
硅灰石とは、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したもので、石山寺のように雄大な硅灰石は非常に珍しいものです。
「石山」という名称も、この硅灰石に由来しているのです。

 それでは、硅灰石のなかを多宝塔まで登って行きましょう。
檜皮葺の入母屋造の鐘楼を越えて、登りきったところに、多宝塔があります。
源頼朝の寄進で1194 年に建立された日本最古の多宝塔です。
下重が大きく上重は搭身が細く華奢で軒の出が深い優美な姿で、日本三大多宝塔のひとつに数えられています。
そして、その横の月見亭からは石山の町を見ることができます。
帰りは大黒天堂まで、一気に降りてきます。

 石山寺を出て、本日の楽しみであるしじみご飯を出してくれる店を探します。
幸い東大門前の店には、しじみご飯の看板がちらほら見えます。
そのうちの1店に、入ってみることにします。
注文を受けてからご飯を炊くとあって、少し時間がかかるとのことでしたが、それはそれでよし、待つことにします。
これからどこを回ろうか地図をにらんでいるうちに、目的のしじみご飯はできあがってきました。
一人用の釜に入ったしじみご飯、てんぷら、お新香と赤みそのしじみ汁です。
瀬田川の流れを眺めながら、しじみを心行くまで味わい、いつの間にやら満腹になっていました。

 それでは来た道を戻り、石山寺駅を越えて瀬田川沿いを琵琶湖に向けて進みます。
瀬田川の架かるひときわ大きな橋が「瀬田の唐橋」です。
近江八景のひとつとして絶賛され、宇治橋、山崎橋とならび日本三名橋、日本三古橋とされるところです。
琵琶湖を渡る以外は、琵琶湖から流れる瀬田川にかかる唯一の橋であったことから、は京都防衛上の重要地でもありました。
古来より「唐橋を制する者は天下を制す」とも言われていました。

 また橋の麓には、木造のたたずまいをした商家があります。
「油」と文字の書かれた看板からしても、油屋さんということが判ります。

 「瀬田の唐橋」のさらに琵琶湖寄りに進むと、「なぎさ公園」があります。
先ほどの「瀬田の唐橋」が「瀬田の夕照」としての近江八景だとすれば、こちらは「粟津の晴嵐」として近江八景に称えられています。
浜大津までの間の琵琶湖畔に、この公園は広がっています。

 そしてここからJR膳所駅までは、あと少し。
こうして、石山から瀬田までの本日の散策は無事終わったのでした。

 
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