にっぽんの旅 近畿 滋賀 彦根

[旅の日記]

彦根 

 本日は琵琶湖の東、彦根の探索です。
ここ彦根は、戦国時代には織田信長や豊臣秀吉の領土に、そして安土桃山時代では石田三成が治める佐和山城の城下町であったところです。
そして彦根が栄え全国に名をはせたのは、井伊直政が高崎から転入後のことで、直政が治める彦根藩の城下町、中山道の高宮宿や鳥居本宿の宿場町となりました。
彦根駅前には、井伊直政の銅像が立っています。

 駅を西に進んでいくと、丘の上にそびえ立つ彦根城が見えます。
護国神社からまっすぐ城に入ってもよいのですが、城の南に位置する夢京極キャッスルロードを目指します。
中堀の周囲を歩いていくと、旧鈴木屋敷長屋門があります。
鈴木家5代権十郎重用のものとされています。
彦根藩の藩校弘道館の物主(事務長)や、書物奉行、中屋敷留守居などを職務としていました。
今は長屋門だけが残っていますが、かつての屋敷地は間口10間半(約21m)、奥行27間半(約55m)もある、巨大なものだったようです。

 夢京極キャッスルロードは、本町通りに広がる城下町の商人街を再現した場所です。
江戸時代の商人屋敷の面影を今に残しています。
団子屋や近江牛を使ったコロッケの香ばしいに匂いに、足を止めてしまいます。
店頭で焼いていた鮎の塩焼きには、思わず唾を飲んでしまいます。
土産物屋はもちろんのこと、薬屋や銀行までが当時のたたずまいを忠実に模しています。

 そしてその先の四番街スクエアは、こちらは大正時代の建物を再現した一角です。
先ほどの江戸時代とは一転、通り全体が大正時代にタイムスリップしています。
大正ロマンが漂い、モダンな郵便局が目につきます。

 夢京極キャッスルロードの道沿いに、宗安寺というお寺があります。
井伊道政の正室東梅院の父母の菩提を弔うため建立された安国寺は、一時は佐和山山麓へ移されたこともありましたが、彦根城築城の際に宗安寺と名前を換えて現在の地へ移転してきました。
浄土宗のお寺で、立派な門は佐和山城の正門が移築されたものだと伝えられています。
また本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の時に淀君の念持仏と思われる仏像を持ち帰ったものです。
江戸時代には、徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮国から来朝した朝鮮通信使の彦根での宿泊所としても利用されました。

 さて、いよいよ本日のお目当てである彦根城です。
本町通りから中堀に架かる京橋を超え、二重に張り巡らされた内側の中堀べりを歩きます。
あえて佐和口近くの表門橋まで遠回りし、正面から入っていきます。
ここで天守閣に上がる切符を購入します。
目の前には表御殿である彦根城博物館があるのですが、博物館は次回来た時のために残して天守閣を目指します。
表門参道の階段を登りつめたところでは、右手に天守閣へ続く天秤櫓の石垣、左手には鐘の丸の石垣が高く連なり、両者を結ぶ廊下橋が目に入ります。
そのまま進んで橋をくぐり、鐘の丸への石段を登ります。
ここにきてようやく、天秤櫓の入り口が見えてきます。
先ほどくぐった廊下橋の上を渡り、城内に入っていきます。
天秤櫓は、中を見学することができます。
廊下橋を中心にして左右に天秤のような形をして建てられていることからこの名がついており、日本の城郭では彦根城だけのものです。

 さらに石段を駆け上がり最後の太鼓門櫓を超えると、ようやく本丸にたどり着くことができるのです。
三階三重の天守がそびえる彦根城は、京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、1607年に完成しました。
姫路、松本、犬山と並ぶ日本の国宝四城の一つと数えられています。

 その後、緑がまぶしい西の丸から坂を下り、黒門橋の先の玄宮園に向かいます。
中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模して作られた庭園です。
彦根藩4代藩主井伊直興が1677年に作られたこの庭園は、琵琶湖をかたどった池と4つの島からなり、これらの島をつなぐ9つの橋が架かっています。
池の畔には茶室があり、直興はここで庭園を眺めて楽しんでいたことでしょう。
映画「大奥」のロケ地ともなったところです。

 春の温かい一日。
かつては大津に続く近江の主要都市であった彦根を、ゆっくり回りました。
琵琶湖畔の長浜十分に満喫した1日でした。

   
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