にっぽんの旅 近畿 滋賀 竹生島

[旅の日記]

竹生島 

 本日は、琵琶湖に浮かぶ神の住む島 竹生島を訪れます。
長浜、彦根、マキノなどから船が出ていますが、今回は彦根からの船で出かけます。
高速艇で片道40分かかる竹生島までの行程ですが、今日は雲がかかりどんよりした琵琶湖は対岸はおそか、水面と空の境すら見分けがつきません。
船の進む方を信じて、グレイ色した進行方向を眺め続けたのでした。

 やがて湖西の山並みがうっすらと認識できた時に、目の前に竹生島が現れました。
周囲2kmの竹生島には針葉樹林で覆われ、港以外は寺、神社の建物とそこに続く階段が見えるのみです。
島の北側には湖底遺跡もあるというから、神秘的な場所には違いありません。

 船は竹生島に接岸し、いよいよ神の住む島の探索です。
港には4〜5件の土産物屋があるだけで、特に華やいだ店もありません。
甘酒やおでん、それに佃煮や乾物が並んでいます。
その先は、いきなり拝観料を払って先に進むことになります。
そして宝厳院本堂までの長い階段がまっているのです。

 本坊、月定院、護摩堂を左手に見ながら、階段を登ります。
巡礼のお年寄りもいるのですが、階段は意外と急で息を切らせながら登っていきます。
そして登り切ったところに、宝厳院本堂はあります。
ここは日本三大弁財天のひとつでもあります。
738年に行基が早速弁才天像を安置したのが始まりと言われていますから、ずいぶん前から開かれたところなのです。
その後は、天皇の行幸が続き、また弘法大師も来られた由緒正しきお寺です。
本堂には「弁天様の幸せ願いダルマ」と呼ばれる奉納された小さなダルマが、うず高く積まれています。
これは願い事を書いた紙をダルマの中に収め奉納することで、願いがかなうといういわれによるものです。

 本堂のそばには朱色をした三重の塔があります。
お釈迦様の遺灰を納めた仏舎利塔を形どったものです。
四本柱に32体の天部の神々を描き、四方の壁には真言宗の八人の高祖を配した塔は、内部の公開はされていないのが残念です。

 先ほど登ってきたところから少し海側の階段を下っていきます。
上から眺めると苔むした屋根が趣を感じさせる観音堂の唐門があります。
唐門とは唐破風をもつ門のことで、国宝にも指定されています。
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻がなされています。
また、二枚の大きな桟唐戸や壁には、牡丹唐草の彫刻が極彩色塗りとして飾られています。
京都東山の豊国廟にあった極楽門を、豊臣秀頼がこの地に移設させたのです。
またここは、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所に当たるところでもあります。
道理で、船の中から白い作務衣姿の1団がいたわけです。

 唐門の奥に足を踏み入れると、千手観世音菩薩の祀られている観音堂があります。
ここから都久夫須麻神社へは、船廊下と呼ばれる渡り廊下で結ばれています。
朝鮮出兵のおりに秀吉の日本丸の船櫓を利用して作られたところから、舟廊下と呼ばれています。
廊下を渡っているときは気付きませんが、外から見ると急な傾斜面に柱を渡して造られた建築物です。

 都久夫須麻神社は別名竹生島神社とも呼ばれ、関白豊臣秀吉が天皇をお迎えするためにその時代の粋を集めて造ったものです。
伏見桃山城の束力使殿を移転したもので、本殿内部は桃山時代を代表する優雅できらびやかな装飾が施されています。
また天井画は、狩野永徳光信の作です。

 都久夫須麻神社本殿の前には、拝殿があり多くのしゃもじが奉納されています。
ここでは、直径5cmほどの皿型をした土器に願い事を書く習わしがあります。
そして湖面に突き出た宮崎鳥居へ土器を投げ、鳥居の間を潜り抜ければ願いがかなうという「かわらけ投げ」が有名です。
多くの人がこの「かわらけ投げ」に挑戦するのですが、そう簡単にうまくいくものでもありません。
鳥居の周りには、まるで貝の殻をちりばめたように、白い土器でいっぱいになっていたのでした。

 湖底からの湧き水である「瑞祥水」を観ながらして、竹生島港まで戻ってき、あとは帰りの船を待つばかり。
竹生島での滞在も含めて、彦根からは往復で3時間程度。
ちょっとした小旅行の気分を、味わうことができたのでした。

   
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