にっぽんの旅 近畿 大阪 泉北

[旅の日記]

泉北丘陵 

 泉ヶ丘から光明池に続き、堺市と和泉市にまたがる泉北丘陵を歩いてみます。
大阪万博の行われた時期、高度経済成長の波にのまれて住宅建設盛んに行われてできたのが、ここ泉北ニュータウンです。
泉北ニュータウンは、泉ヶ丘・栂・光明池の高台に沿った3つの地区で構成されています。
1967年の泉ヶ丘地区での入居開始以来、電車が通りデパートができます。
また、それに伴って栂地区が開発され、電車は栂・美木多まで延長します。
その後、さらに先の光明池地区まで電車は延長され、高速道路(阪和自動車道)まで通るような発展を続けてきた町です。

 日本一料金の高い乗り物として悪名高い「泉北高速鉄道」からは、線路の両端に通る高速道路のような高架道路の先に、あちらこちらに建つ高層マンションを見ることができます。
そして泉ヶ丘駅からは、商業施設「パンジョ」、そしてデパートの泉北高島屋を臨むことができます。
また駅前ロータリーの先には、宇宙船のような不思議な形をした大型児童館「ビッグバン」や障害者交流センター「ビッグアイ」もあり、住宅・商業施設・福祉施設が一体となった町です。

   まずは駅から5分ほど離れたところにある「泉北すえむら資料館」に向かいます。
「大蓮公園」の中にある資料館ですが、かつては1970年に大阪府が開館した「泉北考古資料館」が、堺市に移管されて名称を変えたものです。
この周辺は、国内最大の須恵器生産地である「陶邑古窯址群」で、500基を超える窯跡が発掘されています。
日本最古の窯と言われる大庭寺窯跡も、ここから遠くない場所にあります。
館内には、泉北ニュータウンの開発に伴って出土した須恵器などが、保管・展示されています。

 さらにはその東に10分ほど歩いたところに、「高倉寺」があります。
705年に、行基が38歳の時に開創した寺です。
高倉天皇が来られたことから、「大修恵山高倉寺」の称号を賜い寺の名前になっています。
正面には金堂、その奥には御影堂と宝起菩薩堂があります。

 泉ヶ丘駅が、北西から南東に細長く広がる泉ヶ丘地区の中心に当たるとすれば、次は一挙に北西の端にある「多治速比売(たじはやひめ)神社」に向かいます。
「荒山公園」の小高い丘の上にある「多治速比売神社」は、主祭神は女神の多治速比売命(たじはやひめのみこと)で、厄除・安産・縁結びの神です。
また本殿には素盞嗚尊(すさのおのみこと)や菅原道真も祀られ、学問の神としての信仰も厚い神社です。
周りの「荒山公園」は、春先には梅、春には桜が一面に咲きほこり、花見の場所としても有名です。

 さてここからは、泉ヶ丘地区の南西の端に向かって進みます。
今は病院の敷地となっていますが、小高い丘の上に「小谷城址」があります。
そしてその麓には、小谷家の邸宅の一部を公開している「小谷城郷土館」があるので寄ってみます。
鎌倉初期にこの若松荘に地頭として赴任したのが、始まりとされています。
南北朝時代には南朝方で、天野山金剛寺の行宮を守る城として任務を担っていました。
さらに大坂夏の陣では徳川方として参戦し、江戸時代には上神谷地域を治めていた伯太藩渡辺家に仕え、庄屋として務めています。

 泉北高速の上を越えて進み、泉ヶ丘地区と隣の栂地区との間にある古くからの地域に、「櫻井神社」があります。
朱色の拝殿は、中央に馬が通るための土間が備わった割拝殿で、鎌倉時代中期に建築されたものです。
堺市内で唯一の国宝に指定されている、貴重な建物です。
10月には無形文化財にも指定されている「上神谷のこおどり」と呼ばれるゆったりした踊りを見ることができます。

 所変わって、栂地区の南西部には農業公園「ハーベストの丘」が広がっています。
甲子園8個分の広さの敷地内では、羊の放し飼い、イチゴやサツマイモの収穫、ゴーカートコースや芝滑り、バーベキュー広場などがあり、1日中自然と触れ合える場所になっています。
ただ陽射しや風を遮るものはなく、夏は暑く冬は寒い自然にやさしい設備です。
訪れる時期を間違えないようにしなければ、痛い目にあいます。

 「ハーベストの丘」の近くには、鉢ケ峰の堺公園墓地もあります。
広い園内には多くの桜が植えてあり、ここも春にはきれいなところです。

 栂地区の中央には南区役所があり、泉北ニュータウンの行政がここに集中しています。
区役所の周りは、これまた桜がきれいな「西原公園」に囲まれており、緑豊かな場所です。
かつての国立泉北病院の跡地にある近大病院も、駅の近くに備わっています。

 さていよいよ、光明池地区に移ります。
光明池地区の中央北側には、「美多弥神社」があります。
南北朝時代には楠木正成の守護神とされ、(1577年)、織田信長の雑賀衆制圧の際には近くにある放光寺とともに焼かれますが、1592年には楠木一族の和田道讃により再建されます。
境内の鎮守の森には、、シリブカガシ、アラカシ、サカキ、クスなどが茂っています。

 「美多弥神社」から南へ1kmほど進んだところに、泉北高速鉄道の光明池駅があります。
鉄道の車両基地があるのはかつての終着駅であった証で、今ではさらに南に和泉中央駅ができ、泉北地域の第2のニュータウン「トリヴェール和泉」が広がっています。
駅の名にあるように、光明池駅から歩くこと20分で「光明池」に辿り着きます。
1936年に灌漑用ため池として整備された「光明池」は約36haの満水面積を誇り、大阪府内では久米田池、狭山池に次ぐ3番目の広さです。
周辺は自然の中に遊歩道が整備されており、「野鳥の森」として周辺住民からも慕われています。

 このほかには、さらに足を延ばし和泉中央駅まで行くと、住宅地外れに大学や「久保惣美術館」などもあります。
さてこの地方の食べ物に「かすうどん」なるものがあります。
カスと聞けば屑のようなものかと思ってしまいますが、そうではなくて細切りにした牛のホルモン(小腸)を油で揚げたものが入っているのです。
「油かす」から来た名称だったのです。
コラーゲンたっぷりの、お肌に良い!うどんなのです。

 のどかな住宅地のなかに土地の文化を活かす施設を巡る泉北丘陵の散策でした。



   


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