[旅の日記]
百舌鳥八幡のふとん太鼓 
泉州には岸和田をはじめとしただんじりが有名ですが、それに負けず劣らずのものがあります。
それはふとん太鼓です。
中でも百舌鳥八幡のふとん太鼓は有名で、今日は1日かけて百舌鳥八幡周辺を歩き回ります。
降り立ったのは地下鉄や南海電鉄の駅が集まる中百舌鳥です。
地下鉄の駅名はひらがなで「なかもず」であるのに対し、南海電鉄では漢字の「中百舌鳥」を名乗ります。
ここから南海で1駅隣りの百舌鳥八幡駅まで、西高野街道をぶらりと歩いて行きます。
途中にある大きな屋敷が、筒井家です。
木地屋庄右衛門(筒井氏)は戦国武将の末裔で、江戸時代に新田開発に貢献した人物です。
茅葺の数寄屋風の建物が、大きく構えた長屋門の奥に見えます。
そしてその入口にあるのが、樹齢が1000年ともいわれる大きなクスノキです。
筒井家の向かいには小高い「御廟表塚古墳」もあります。
前方後円墳なのですが、残っているのは後円の部分だけです。
円形の丘には、盛り土に沿って埴輪列も見つかったということです。
筒井家と同様に貴重な建物が石田家です。
こちらにも立派な長屋門があります。
その奥に大きな屋敷が、いまに残されています。
西高野街道沿いには、もうひとつ高林家があります。
白漆喰の土塀の中には主屋と土蔵のほかに、不動堂や稲荷社が揃っています。
茅葺の母屋は切妻造で、大和棟と呼ばれる大阪や奈良で数多くみられる民家の姿をしています。
天正年間のもので、後の増改築で座敷と玄関が加わったことが判っています。
それにしても立派なお屋敷が、この辺りには点在しています。
さていよいよここからが、本日楽しみにしていた神輿の出番です。
町の中にはふとん太鼓が練り歩いています。
河内、泉州から播磨までの地域で担がれる神輿で、大きな布団が積み重ねられることからこう呼ばれています。
だんじり同様、この神輿にも豪華な彫刻が彫られています。
2トンにもなる重い神輿を、50人以上で担ぐのです。
そんなふとん太鼓を見ながら歩いていると、百舌鳥八幡宮にやってきました。
朝鮮出兵から帰還した神功皇后がこの地に寄り、天下泰平の御誓願を立てたとされています。
そして欽明天皇の時代にはこの地を万代(もず)と称して、八幡大神の宣託を受けた神社を創建しました。
現在の百舌鳥(もず)という地名は、ここからきています。
参道には屋台が並び、まさにお祭りムードが漂っています。
石段を登り境内まで来ると、そこにはさらに人が溢れかえっています。
各町のふとん太鼓も、いままさに出発するかのように出番を待っています。
そう、今日はこれから宮出行事が行われるのです。
その前に行われるのが、放生祭です。
着物を羽織った可愛らしい稚児行列が、石段を下りて市杵島社まで更新します。
市杵島社の放生池で、金魚を放つものです。
なんとも微笑ましいものです。
その後は再び百舌鳥八幡宮の境内でふとん太鼓を担ぎ、拝殿の前を行き来します。
神輿は大きく揺れ、ふとんの房が上下に飛び跳ねます。
勇壮な動きに、ついつい見入ってしまいます。
そしてその後の動きに目が釘付けになります。
拝殿から参道に下る石段を、重い神輿を担いで降りるのです。
足を滑らせないか見てる方が心配するくらいですが、上手に担いでいきます。
宮出の行事で、ここは見ごたえがあります。
そんな祭りを見た後は、JR百舌鳥駅に向かいます。
途中にある池の中で浮かんだ島ような古墳は、御廟山古墳です。
倭の5王のひとりである倭隋が葬られているともいわれています。
この辺りにはニサンザイ古墳、いたすけ古墳、そしてJR阪和線を超えた向こう側には履中天皇陵や仁徳天皇陵などの古墳が点在する場所です。
そちらの詳細は別のレポートに任せるとして、だんじりほどの荒々しさはないものの今回のふとん太鼓は勇壮で力強いもので、その存在を再認識したのでした。
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