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[旅の日記]

岸和田だんじり祭り 

 大阪の秋祭りが今日のテーマです。
南海岸和田駅に降りると、そこは並々ならぬピリピリした雰囲気が立ち込めています。
そうです。今日は岸和田だんじり祭りなのです。

 まずやってきたのは、南海電鉄の「蛸地蔵駅」です。
聞きなれない名前なので前から気にはなっていたのですが、やっとその意味が判る日がやってきました。
レトロな駅舎は1925年の大正時代の造りです。
天窓にはめ込まれたステンドグラスには、岸和田城攻城戦いわゆる「蛸地蔵伝説」が描れています。

 「蛸地蔵伝説」によると、1584年の岸和田城攻防戦にあります。
徳川家康、織田信雄連合軍を討つために、豊臣秀吉が尾張へ向けて大坂を出陣した翌日のことです。
家康と連携した紀伊国の根来衆、雑賀衆が岸和田城に挙兵します。
2万人にものぼる紀州勢に、城を守る中村一氏はわずか1万余名。
圧倒的に優勢な紀州勢に苦しんでいたところ、どこからか大きな法師が現れて鉄の錫杖を振り回してなぎ倒しきます。
さらに幾千幾万の蛸の大群が現れ、墨を吹き敵を追い払ってしまいます。
この大法師ははるか昔に大蛸に乗って海からやってきた岸和田の地蔵菩薩像で、城の堀に長い間沈んでいたものだったことが判り、城下の「天性寺」に移され祀られたということです。

 それではその「天性寺」を訪れてみます。
「蛸地蔵駅」から海側に10分ほど歩いたところに「天性寺」はあります。
通称「蛸地蔵」と呼ばれる浄土宗の寺院です。
「蛸地蔵」という駅の名前も、ここから来ていたのです。

 ここから岸和田の中心地の方向に歩いていきます。
「岸和田城」が有名ですが、海側に1筋のところにも昔の街並みが残っています。
ここは紀州街道として栄えた場所です。
「久住裕彦邸」もそのうちのひとつです。
久住氏は日露戦争のころにこの地に移住しました。
表屋造りの建物で、店棟と居宅棟を中庭を挟んで別棟で分けられた構造になっています。
典型的な町家の外観をもつ建物です。

 紀州街道の東側 旧国道26号線を挟んで、岸和田城のお堀が見えてきます。
このころには、どこからともなく祭りのお囃子が聞こえてきます。
はやる気持ちを抑えて、まずは「岸和田だんじり会館」に寄ってみます。
だんじり、鳴り物などが展示されています。
しかし外はまさにお祭りの真っ最中。
ここは早めに切り上げ、実際のだんじりを見に行きます。

 聞こえていたお囃子はだんじりのものでした。
「岸和田城」の入り口には、数体のだんじりが停っており、大変な賑わいです。
せっかく岸和田に来たのですから、「岸和田城」を見て帰らないわけにはいきません。
人の間をかき分け、「岸和田城」に入っていきます。
さすがにだんじりは城の中までは入って来れず、人ごみから解放された一瞬です。
小高い丘に建つ岸和田城からは、堀の向こうに岸和田の海側の街並みを見ることができます。

 1336年の湊川の戦いで楠木正成の部下として活躍した岸和田治氏という武将がおり、その一族によって岸和田が開拓されたとされています。
ここから約500m離れたところに山城が築城されますが、16世紀までは放棄されていました。
それを信濃泰義が現在地に移築されたされています。
その後は豊臣秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、1583年には「岸和田城」は中村一氏の配下となります。
さらに小出秀政が、5重天守をもつ本格的な構えとしました。
松平康重の時には城下が整備され、さらに岡部宣勝の頃に外堀が整備され寺町が整備されました。
天守は1827年に落雷のため焼失してしまい、いまある天守は1954年に再建されたものです。

 「岸和田城」の裏手には、「岸城神社」があります。
岸和田城主 小出秀政による牛頭天王と、築城以前から祀られていた天照大神、八幡神が祀られている神社です。
関西では珍しい備前焼の狛犬が出迎えてくれます。
岸和田祭発祥の宮としても有名です。

 ここからはだんじりを見るために町に出ます。
祭りというだけあって町の至る所に通行規制が行われています。
この時期は車よりもだんじりが最優先の岸和田です。
趣のある建物である「成協信用組合岸和田支店」にも、角には紅白の幕が張られています。

 町を歩けば、いとも簡単にだんじりに出会います。
威勢のいい掛け声が聞こえてきたかと思うと、何十人にもおよぶ引き手が並ぶその先からだんじりが現れます。
何億円もする町の宝で、芸術的な木彫りに見入ってしまいます。
それだけに町民の寄付も大変なものがあります。

 歩いて着いたのは「岸和田駅」です。
喧嘩だんじりで有名な岸和田だんじりでは、やりまわしが有名です。
駅前交差点を、わざと速度を出して回りきる芸当です。
それを証拠に、交差点前では一旦停まって休憩しています。
ところが合図を境に、急に走り出してカーブに差し掛かるのですから、その迫力は満点です。
毎年、だんじりが接触して民家の軒先が壊されることが、ニュースで報じられています。
しばらくは、やりまわしの醍醐味を味わうことにします。

 一通りやりまわしを見た後は、岸和田長交差点から駅前を囲むように行き来するだんじりを眺めることにします。
さすがだんじりの盛んな岸和田だけあって、次から次からだんじりはやってきます。
それぞれの地区のハッピを着た威勢のいい叫び声が聞こえてくれば、次のだんじりが来たことが判ります。
観光客も含めて、この期間は街全体がだんじり一色になっているのです。

 最後に、岸和田駅前の「岸和田天神宮」に寄ることにします。
1362年に、泉州沼村(現在の沼、筋海、並松)の村長の沼間将監が、長く病床に就いている父親に、手をつくし平癒を願ったがその効験がありませんでした。
そこで、かねてから信仰していた山城の国八坂神社に参り、病父の平癒を祈願すること三日、ついに霊感を得て歓喜して帰郷します。
すると父の病は全快してしまい、大いに喜んだ沼氏が社殿を造営して八坂神社の御分霊を勧請したのが始まりといわれています。
賑やかな岸和田の中にあって、心の温まるお話です。

 ということで、あっという間に1日は過ぎてしまいました。
これから毎週のように地区を代えて、しばらくは秋祭りが続くことでしょう。

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