にっぽんの旅 近畿 大阪 貝塚

[旅の日記]

貝塚と水間 

 本日のぶらり散策の舞台は、貝塚です。
「願泉寺」を中心に寺内町として発展してきたこの町を訪れてみます。

 貝塚市は南海本線で難波から和歌山に行く途中の町で、大阪の南側に位置します。
そして今も残る古い街並みは、主に駅の西側に広がっています。
まずは、南海本線の線路脇にある「感田神社」を訪れます。
神社の創建は不詳ですが、村の発展のため年寄衆が神様をまつろうと建てられたのが始まりです。
天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)が、祀られています。
実は貝塚は周囲に堀をめぐらせた環濠集落で、境内にはその名残の堀が残っています。

 「感田神社」の山門をくぐり、さらに西側の「願泉寺」に向かいます。
行基が建てたと伝えられる庵寺が起源で、16世紀後半には浄土真宗の本山である本願寺が置かれたこともある、古い由緒を持つ寺院です。
表門をくぐり境内に入ります。
貝塚の町の中心だけあって、正面には壮大な本殿が構えています。
本殿の中は一面に畳が敷き詰められ、所々に太い柱が立っている立派な構えです。
外には、これまた立派な太鼓堂もあります。

 さてその先には、戦火を逃れ今に残る貝塚の古い街並みが続きます。
旧の国道26号線に出る前に、「並河家住宅」はあります。
3代彦左衛門正文が老役を務め、6代琢磨正悟までは貝塚寺内の地頭であった願泉寺卜半(ぼくはん)家の内家来として代々その要職を務めてきました。
建物は1832年の木造平屋建瓦葺です。

 「山田家住宅」は、並河家同様、願泉寺卜半家の家来を務めた家柄です。
江戸時代末期から、古美術商を営んでいます。
玄関に設けられた摺上げ大戸が特徴的な建物です。

 「利齋家住宅」は、松尾寺(和泉市)に出家していた式部という人物が、1581年の織田信長の兵乱後に貝塚に来住しました。
代々「孫左衛門」を名乗り、薬種問屋を営んでいたのです。
北之町の町年寄役を務め、今日に残る住居は木造平屋建の主屋と離れ、土蔵から成ります。

 「帯谷家住宅」は、油絞り業で栄えたところです。

 「竹本家住宅」は紀州街道から西に1本入った筋にあります。
正面に出格子や与力窓を配し、願泉寺卜半家の家来の住居であったと言われています。

 「吉村家住宅」は、江戸時代中期から貝塚寺内に居住し、屋号を和泉屋泉久と名乗っていました。
油屋や両替商も営み、町年寄の格式を持ち、西之町の中老役を務めていたようです。

 「廣海家住宅」には、貝塚寺内の有力町人明瀬家の娘ひろが、摂津国鳴尾(現在の西宮市)の酒造家辰馬半右衛門家から養子を迎え、願泉寺卜半家から廣海姓を賜い住んでいました。
廻船問屋を営み、4隻の大型和船で北陸、東北、北海道産の米穀や肥料を扱っていました。
貝塚銀行などの設立に関わるなど、泉南地域の近代化にも深く貢献しました。

 「名加家住宅」は、大正まで貝塚名産であるつげ櫛の卸問屋業を営んでいました。
主屋と隠居屋から成り、正面の駒寄せと2階の虫籠窓の形が違うのが気になります。

 旧紀州街道脇には地蔵尊もあり、のどかな街並みが広がっています。
歩いていると、肉屋があります。
コロッケが美味しいということで、ひとつ食べてみます。
この日は特売日で、揚がるまで店内のソファに座って待ちます。
じゃがいもの甘味とミンチの混ざり具合が絶妙で、熱っつ熱つのコロッケをフーフー言いながらほおばります。
その先には、望遠鏡の製作で有名な「岩崎善兵衛誕生の地」の石碑があります。

 さて東側、道路沿いには大きな屋敷が構えています。
長く続く塀の南側には。階段の先に大きな木の門があります。
ここは「寺田家住宅」です。
岸和田を中心とした寺田財閥の一族である楠治が大正初年に分家した家で、「寺楠」の屋号で呼ばれました。
楠治は鉄工所を営み、建物は1936年に建築されたものです。

 貝塚駅前を歩き回ったので、今度は水間鉄道に乗ります。
大阪が誇るローカル線で、貝塚駅と水間観音駅との間5.5kmを結んでいます。
ガタンゴトンと電車に揺られて着いたのは、水間観音の玄関口「水間観音駅」です。
寺院と間違えるような、立派な三角屋根をもつ駅です。

 通称「水間観音」と呼ばれる「水間寺」は、聖武天皇の勅願により行基が開創したものです。
2つの川が合流する「水間」にやってきた行基は、ここで観音の化身である16人の童子に遭遇します。
童子に誘われて滝に向かうと、竜神が現れ聖観音像を授けられたということです。

 実はここ水間寺では正月には餅つきが行われ、その餅が参拝者に振舞われます。
1対の臼と杵ではなく、1つの臼の周りに何人ものつき手が並びます。
それぞれが棒状の杵を持ち、一斉に月始めるのです。
そしてつき終われば、杵で餅を高く上げるのです。
正月に訪れた時の写真も、載せておきます。

 貝塚と水間、泉南地域を巡る旅でした。
戦火を立派に生き抜いた住宅が宿る町でした。>

     
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