にっぽんの旅 近畿 大阪 今宮

[旅の日記]

えべっさんの今宮戎 

 大阪の正月は元旦だけではありません。
商人の町大坂だけあって、毎年1月9日から11日にかけて開催される十日戎こそがお宮参りなのです。
そんな十日戎に行ってみます。

 地下鉄なんば駅で降りて南海電鉄の今宮戎駅まで、沿線沿いを歩いていきます。
もうこの辺りから大変な混み具合で、今日ばかりは道路も車を締め出し歩行者天国になっています。
流れに乗って進むしかありません。
やがて道の両側に広がる露店が、食べ物屋から戎さんの縁起物に変わっていきます。
そろそろ神社が迫ってきたしるしでしょうか。

 600年に聖徳太子が四天王寺を建立する際に、その西方の守護神として今宮戎神社が建立されました。
1945年の大阪大空襲では火災により社殿が焼失しますが、その後に再建されています。
この十日戎は江戸時代中期に始まった風習とされており、七福神のひとりであるえびすさんによる商売繁盛のお祭りです。
普段はもの静かな今宮戎神社ですが、この時だけは身動きが取れないほどの賑わいです。

 境内では舞を舞っています。
社務所では千早と金烏帽子を着装した福娘が、縁起物である福笹に小判や鯛、俵などの飾りを付けています。
飾りが多いほどご利益が大きいとあって、参拝客は財布の中身をにらみながら飾りを頼んでいきます。
「商売繁盛で笹もってこい」の掛け声が、どこかしこから聞こえてきます。

 せっかくここまで来たのですから、周辺も散策してみます。
今宮戎神社から北に200メートルの離れていないところにあるのが、廣田神社です。
神社には次のような言い伝えがあります。
三韓征伐から戻ってきた神功皇后に対して、忍熊王が反旗を翻します。
神功皇后は忍熊王を避けて難波に上陸しようとするのですが、船が回って進めなくなってしまいます。
そこで 神のおつげにより、廣田の地に天照大神の荒魂を祀ることにします。
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀ことで、船は動き出したということです。
廣田神社は今宮戎神社とは別世界のように、普段の静けさを取り戻しています。

 ここから西に進みます。
立ち並ぶオフィスブルのひとつに、モリサワがあります。
この名に聞き覚えがあるのですが、そうPCのフォント名にもなっているモリサワです。
Windowsの初期で今のように日本語フォントが豊富でなかったときに、重宝しました。
森澤信夫が興した邦文写真植字の製版業を生業としていました。
ここでは、モリサワの商品が展示されています。

 次に見えてきた大きな建物は、木津卸売市場です。
朝市では新鮮な魚が並び、威勢の良い掛け声が響きます。
ですがこの時は陽が高く上り、既に朝市の時間帯とは大きくかけ離れています。
今度は朝から来ることを決めたのでした。

 ここからはさらに西に進み、地下鉄大国町駅近くにある敷津松之宮、大國主神社に行ってみることにします。
「木津の大国さん」と呼ばれ、大国町の駅名の由来となる神社です。
境内では正面に大國主神社、右手に敷津松之宮の2つの神社が並んでいます。
大國主神社は、縁結びの神として信仰されています。

 境内には木津勘助の銅像が立っています。
相模で生まれた勘助ですが、豊臣秀吉に仕え堤防工事や新田開発に尽くしました。
1639年の近畿一円が冷害に見舞われ大飢饉となった時には、私財を投げうって村人に米を分け与えました。
それも限度があり、ついにはお蔵破りを決行したことから、地元からは深く愛されています。
しかし勘助はお蔵破りの罪に問われ葦島(現在の大正区)に流され、ここで生涯を終えたのです。
次は対象を巡ってみたいものです。

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