にっぽんの旅 近畿 大阪 生野

[旅の日記]

生野コリアタウン 

 本日は、大阪のディープスポットの探索です。
降り立ったのは、JR桃谷駅。
ここから東西に延びる「駅前商店街」を歩きます。

いきなりたこ焼きの屋台が、そして一軒おいてまたたこ焼き屋台、右手の路地先にはお好み焼き屋さんが。
さすが粉もんの町 大阪ですね。
何を隠そう、ここは中学の時によく通ったお好み焼き屋さん。
40年近く経った今も同じお店が今も残っていることに、ひどく感激しました。
隣も同じくお好み焼き屋さんだったのですが、こちらはなくなっていました。
仕方ないですね。
その他にもイカ焼き屋とか、よくこれだけ粉もん屋が乱立してもやっていけるのですね。

 500mぐらい続く商店街を抜け、道路を越えたところに「鶴の橋跡」はあります。
元々、百済川(今の平野川)に架けられていたものですが、1940年の改修時に廃橋となりました。
日本書紀によれば「仁徳天皇猪甘津に橋をつくる、この処を小橋と名付く」とあって、日本最古の橋と言われています。
この辺りに鶴がよく飛んで来たところから、鶴橋と呼ばれるようになりました。

 ここで北上し、次の交差点にある「御幸森神社」に寄ります。
1600年前の猪甘津(今の猪飼野)は、「鶴の橋跡」にもあるように難波の入江の港であって、猪甘部(猪を飼育していた古代の官職)が住んでいました。
渡来した韓国人の先祖にあたる人達が、韓国料理で使う猪(豚のこと)を飼っていたためについた名前です。
難波に都を定められた仁徳天皇は鷹狩りの折り、渡来し東南方(今の東住吉区辺り)に住まいする百済の人達の様子をご見聞のため、度々当地の森にご休憩されました。
この由縁により、御幸の森と呼ばれるようになります。
天皇崩御の後406年に人々はこの森に社を建立し天皇のご神霊を奉祀したのが、御幸宮なのです。
そうとも知らずぶらり訪れたのですが、由緒ある神社であることに驚かされたのでした。

 さてここから東方向に、「御幸通中央」の文字が書かれた朝鮮風の門が見えます。
これから先が、コリアタウンです。
日本各地にあるコリアタウンですが、ここ生野のコリアタウンは日本最大のものです。
かつては百済郡という地名であったコリアタウンが、今でも猪飼野(この名前も今では地名からは消えましたが)に残っています。
門をくぐると、異郷の地と化します。
道端で焼き肉を焼く姿が目に入ります。
鉄板の上の大量の肉をへらで返し、真っ白い湯気があがって、肉の匂いが一面に漂っています。
そのそばでは、ホットクの香ばしいに香りで、静かだったおなかが鳴りだします。
韓国風ホットケーキと言ったところでしょうか。

 通りに、モアイ像のような石の像があります。
「トルハルバン」と呼ばれる済州島の守り神で、男性性器を模った帽子を被った石のお爺さんです。
子宝の言い伝えがあり、コリアタウンの守り神ともなっています。

 さてここらでお昼にしましょう。
入ったお店はもちろん韓国料理店です。
クッパ、ビビンバ、チゲ、ナムルなど、どれも食べたいものだらけ。
そんな中でも注文したスンドゥブ・チゲは、全品でした。
土鍋のなかにグツグツ煮立ち、アサリが入って海の風味がする出汁に、肉、野菜、卵、豆腐が入っています。
見た目はキムチ色のいかにも辛そうな赤っぽい出汁で、お茶碗によそわれたご飯にかけて食べます。
その味は見た目ほども辛くなく、適度な刺激が食欲をそそります。
次回来た時にも、多分このスンドゥブ・チゲを頼むではないかと思うほど、気に入ってしまいました。

 さて、おなかも満たしたというのに、外に出てもおいしそうなものばかりが並んでいます。
「チャンスン」と呼ばれる守護神像に囲まれた案内図で場所を確認して、再び歩き始めます。
さすがに多いキムチの店ですが、キムチと言っても日ごろ目にするような白菜と大根だけではありません。
レンコンも山芋も、挙句の果てはまるまる1匹のサンマを漬けたキムチまでもが売られています。
日本の醤油味、インドのカレー味のような感覚なのでしょう。
そんなお店の風景を眺めながらぶらぶら歩いていると、終点の百済門までやってきました。
この先には、平野川(当時の百済川)が流れています。

 ここでUターンして、道の反対側の店を見て回ります。
韓国風お好み焼きであるチジミを焼いている店は多いのですが、どの店も注文の品をひたすら焼き続けているようで、その場で食べられるところがなかなか見つかりません。
やっと見つけた店は、チジミの横でトッポギに赤いソースをからませています。
トッポギは棒状の餅のようなトックに、コチュジャンや砂糖を使って甘辛く炒めたものです。
どちらか迷った挙句、やはりチジミを選んでしまいました。
焼きたてのチジミはやはりおいしい、と先ほどチゲを腹いっぱい食べたことを忘れて口に頬張ってしましました。
でもチジミはおしかった!

 コリアタウンである御幸通中央通りを抜け、その先の「彌栄神社」に立ち寄り、その足で次は南北に伸びる「鶴橋商店街」に突入します。
この商店街は、アーケード通りが真っ直ぐでなくゆるく左右に曲がりくねっています。
ここでも韓国の食材や道具を備えた店がいっぱいです。
北に歩き鶴橋駅に近付くにつれて、商店街は東西にも枝葉を増していきます。
狭い通路で昼間だというのに暗い東西の通りにも、多くの店が並んでいます。

 そして本日の締めくくりは、JR鶴橋の西側の狭い路地にひしめく焼肉屋での晩飯です。
このころには陽もどっぷり暮れ、なにやら薄暗い通りにネオンの灯る店が並んでいかにも客引きが現れそうな場所ですが、飲み屋ではなく列記とした焼き肉店の通りです。
あちらこちょらから、肉の香ばしい匂いが立ち込めています。
そんな1店に居座り、ホルモンを含む肉を腹いっぱい食べることができたのでした。
それも手ごろな値段で。
さて、ちょっとディープな町、生野はいかがでしたか。

鶴橋と言えば、忘れてはならないものがあります。
近鉄電車である時間に駅に行くと、時刻表に載っていない貸し切り電車が入ってきます。
伊勢から魚の行商を乗せてくる専用電車で、魚の匂いがするので一般の人は乗ることができません。
小豆色の車体は昔の近鉄電車のペイントのままで、懐かしさが残るものです。

   
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