にっぽんの旅 近畿 大阪

[旅の日記]

池上曽根史跡と小栗街道 

 本日は泉州の信太山界隈を巡ります。
まず降り立ったのは「JR信太山駅」です。
鳳と和泉府中に挟まれた小さな駅です。

 駅からは海側に西に向かって歩き始めます。
この辺りには戦火を逃れ、古い家が残っています。
外壁に木の板を打ち付け、上部を白漆喰で固めた家が並びます。
昭和のにっぽんに逆戻りしたかのようです。


 さらに歩くと、交通量の激しい国道26号線に出ます。
道の向こうには、広場が広がっています。
ここが「池上曽根史跡公園」です。
それでは道を渡って、史跡公園に入っていきましょう。

 「池上曽根史跡公園」は、全国屈指の規模を誇る弥生時代の集落遺跡です。
60万平方メートルもの広さの遺跡は、1995年に発見されました。
公園内には、いくつかの建物が再現されています。
1番大きく目立つ建物は、80畳の大きさの高床建物で、祭りごとの場として利用されました。
地面に掘った穴に直接柱を立てた掘立柱建物と呼ばれるものです。
この建物を支える柱は全部で26本あり、太いものでは直径60cmの巨大なものでした。
その横には直径2.3mのクスノキをくり抜いて作った巨大な井戸があります。
その回りには驚くほどに丁寧に、石器や土器が並べて出土したということです。
そこから少し離れて、こじんまりとした建物が点在します。
こちらは鉄器、青銅器、石器を作るための工房があるのです。

 公園の脇にあるのが「和泉曽根城跡」です。
戦国時代に土豪 玉井源秀が築いたとされる平城ですが、今は何も残っていません。
 公園の西隣には「曽禰神社」があります。
物部氏の一族である曽禰氏が祖先を祀るために、675年に創建したものです。
「池上曽根史跡」の建設で使われたヒノキの柱は、この境内から伐採されたものといわれています。
また「和泉曽根城」もかつては「曽禰神社」の敷地内にあったことから、かなりの勢力を持っていたことは確かです。

 その神社の隣にはだんじり小屋があり、だんじりが外に顔を出しています。
秋まつりには時期的にはまだ早いので、よほど待ちきれなかったのかもしれません。
あるいは白木が眩しいだんじりなので、新調したてのお披露目だったのかもしれません。

 この辺りにも昭和の趣のある家々が並んでいます。
西側の家々を回って見ます。
ぐるりと散歩し再び国道26号線に戻ってきました。
そこにあるのが、「大阪府立弥生文化博物館」です。

 「弥生文化博物館」では、「池上曽根史跡」にちなんで弥生時代の生活や村の起こり、戦いや海外交流などが紹介されています。
米作りを覚え発展していった村の模型が飾られています。
また鉄や青銅器の鋳造技術も伝わり、これまでとは生活が劇的に変わったのもこの時期です。
朝鮮半島や中国との交流も始まり、その当時の鏡も貴重な品です。

これらが展示されています。  さてここからは「JR信太山駅」に戻り、駅の東側を巡ることにします。
駅から真直ぐ進み、10分ぐらい歩いたところに「伯太神社」があります。
河内国安宿部郡(今の柏原市)を本拠とする田辺氏の一部が、この地で祖神を祀ったと考えられています。
672年の壬申の乱の後、天智天皇系の皇子とされた藤原不比等がかくまい養育したのが田辺史大隅だということなので、由緒ある血筋です。
神社の創建は674年のことです。

 そこからは北信太の方向に、小栗街道(熊野街道の泉州での呼び方)を北に向かって歩きます。
放光池公園の入り口には、石灯籠があります。
小栗街道の放光池の堤防道にあったもので、300年前のものです。
住吉神社にある「住吉の高燈籠」とともに大阪湾を航行する船に対して灯台の役目を果たしていました。

 さらに歩いていきます。
その先にあるのが「平松王子跡」です。
平松王子とは誰なのと調べて判ったことですが、熊野信仰で熊野までの参詣道には数kmごとに熊野権現の末社がありました。
これらのことを王子と呼び、参詣者たちが祭祀をしたり休憩をとったりしたところです。
つまりここ平松の地での休憩地点です。
1201年の後鳥羽上皇の熊野御幸では、ここ平松王子において盛大に宴会が開かれたという地でもあるのです。
その近くには「八坂神社」もありました。

 その先にある「小栗の湯」は銭湯です。
銭湯がめっきり減った昨今で、銭湯が珍しくて写真に収めてしまいました。
そしてその裏手にあるのが「西教寺」です。
浄土真宗本願寺派の寺院で、1594年の書物では既にこの村に存在していたことが記されています。
1673年には本堂が建立されて、今に至ります。
1860年に起きた「桜田門外の変」では、事変に関わった脱藩水戸浪士を西教寺にかくまったこともある寺なのです。

 さて泉州の町巡りはここでおしまいです。
しかし信太山と言えば忘れてならないのが、遊郭街です。
実はここからJR阪和線沿いに向かったところに小栗新地があり、統治国家の今でも宿が並んでいるとのことです。
向かいから言う「人の集まるところに遊郭あり」の通りです。
街の風景を写真では撮れないので行くまではしませんが、飛田新地と肩を並べる大阪の5大新地のひとつなのです。

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