にっぽんの旅 近畿 大阪 千早赤阪

[旅の日記]

棚田と金剛山の千早赤阪 

 本日は南河内のドライブです。
行き先は、南河内郡の千早赤阪村です。
大阪で唯一存在する「村」です。

 「道の駅かなん」では、大量の農産物が並んでします。
それも安い値のものばかりで、どれを選ぶべきなのかを迷ってしまいます。
結局、栗とポン菓子を購入してしまいました。

 次に訪れる「道の駅あかさか」は、本日の目的地の千早赤阪村です。
そしてここは、全国一小さな道の駅です。
辺りでは、稲刈りの真っ只中です。
そして、ここは千早赤阪村の武将「楠木正成」の生誕地でもあるのです。
ここ「道の駅あかさか」には、楠木正成生誕の碑が掲げられています。

 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将で、鎌倉幕府からは「悪党楠木兵衛尉」と呼ばれ名を知られています。
謎に包まれた楠木正成ですが、はっきり判っているのは、後醍醐天皇の挙兵を聞いた正成が下赤坂城にて挙兵し、湯浅宗藤と戦う赤坂城の戦いからです。
正成らの活躍に触発されて各地では倒幕の機運が広がり、1333年に足利高氏や新田義貞らが挙兵する元弘の乱で鎌倉幕府は滅びます。
後醍醐天皇の建武の新政で、正成は河内・和泉の守護となりますが、(1334年)冬、正成が北条氏残党を討つために京を離れた際に、護良親王が謀反の嫌疑で捕縛され、足利尊氏に引き渡されてしまいます。
その責任を取って、正成は建武政権の役職の多くを辞職してしまいます。
足利尊氏に反抗した正成は、南朝側の軍の一翼を担いますが、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害してしまいます。
この間の約6年間が、楠木正成としての記録が残っているに過ぎません。

 楠木正成生誕の碑の隣にある「千早赤阪村立郷土資料館」があります。
ここでは、この地方の歴史と楠木正成の資料が展示されています。

 車を先に進めましょう。
「建水分(たけみくまり)神社」では、翌週の秋祭りに備えてあちらこちらで笛の音がしています。
紀元前92年、諸国が飢饉となり各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのがこの神社の始まりです。
霊峰金剛山の総鎮守でですが、累代この地を本拠とした楠木氏の氏神でもあります。
中世には織田信長軍の河内国攻略の際には社領を没収され衰退しますが、豊臣秀吉が社領を寄進し再び勢いを取り戻したのです。

 さて、「建水分神社」から西側に南北に走る道に移ります。
千早赤阪村立中学校の前で車を降り、ここから歩いて中学校の校門を抜ける登り坂を上がって行きます。
校舎の間を抜けて高台に出たところに、楠木正成が造った下赤阪城址があります。
いまは石碑が建っているだけですが、本城としての上赤阪城を守るための前衛の城として、幕府軍と戦ってきました。

 そしてその場所から見えるのが「下赤坂の棚田」です。
日本の棚田百選にも選ばれたところで、あぜで囲まれた狭い田が斜面にへばりつくように並んでいます。
稲が刈られて茶色くなった田んぼですが、次は新緑の時期に訪れたいものです。

 さらに車を山深くに進めていきます。
途中、道路脇にやけに車が駐車している所があります。
マス釣りの釣り堀で、多くの釣り客が糸を垂れています。
ポカポカした陽射しの中で、気持ちよさそうです。
しかし今回は、さらに先に進みます。
 「金剛山」の登山口では、さらに人が多くなります。
登山姿をした人が、登頂回数を競うのは金剛登山です。
軟弱な私はそんな無謀な考えは抱かずに、この先のロープウェイ乗り場まで進みます。
でもその前に腹ごしらえです。
山菜うどんを注文したものの、店の前で焼いている鮎の塩焼きに我慢できず、鮎を頬張りながらのうどんとなりました。
みたらし団子にも食指が動いたのですが、なんとか我慢することができました。

 さて、いよいよロープウェイに搭乗です。
ところがロープウェイの千早駅までの上り坂が、ただものではありません。
汗を流しながら、なんとかトーテンポールが出迎える乗り場にたどり着くことができました。
休みの日とあって、ロープウェイは普段の倍の15分間隔で行き来しており、難なく乗車することができました。

 ロープウェイの勾配は最初が急で、途中水平に近くなる部分もあり、山頂に行までの間に何度かふわりと揺れ、そのたびに冷やりとさせられます。
山頂の金剛山駅からは、山道を20分も歩けば「金剛山展望台」に到着します。
展望台からは、周りの山々を見渡すことができます。
ここからは、山頂に整備された行楽施設を回ります。
「金剛山展望台」から程近いところに、広場が整備されていて子供たちの声が響いています。
そして、隣接する「ちはや星と自然のミュージーアム」では、金剛山の木々や動物の説明と展示がされています。
クイズに答えながら、建物内を進んでいくことができます。
天体観測も行われて星を眺めることができますが、訪れた時はちょうど昼間。
この時は、太陽を観測していました。

 天気の良い1日を、日ごろ気にしていなかったのどかな大阪を巡る旅でした。

 
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