にっぽんの旅 近畿 奈良 桜井

[旅の日記]

山の辺の道 

 古代ロマンに包まれた奈良県山の辺の道が本日の散策路です。
桜井駅へは、JR関西線・桜井線を乗り継いで向かいます。

 物静かな桜井駅に降り立ち、ここからは「三輪明神」を目指して歩きます。
途中、所々に製麺工場があることに目が付きます。
そうです、三輪そうめんは三輪地方の特産品です。

 そうめん製造の始まりは、ここ大和三輪の里で作られたのが最初とされています。
紀元前91年に、大物主命の五世の孫である大田子根子命が大神神社の大神主に任じ、12世の孫である従五位上大神朝臣狭井久佐(あそんざいくさ)の次男穀主が初めて作ったとされています。
三輪そうめんは、小麦粉を極寒期に手延べ法により精製したもので、腰がしっかりし独特の歯ごたえと舌ざわりを特徴とします。

 やがて、「三輪明神」の鳥居が見えてきます。
正式名称を「大神神社(おおみわじんじゃ)」と言い、国のまほろばと称えられる大和の東南に位置します。
三輪山を御神体とし、大物主神を祀っています。
日本最古の神社で、三輪山そのものを神体としているため、本殿をもたず拝殿から三輪山を仰ぎ見る古神道の形態を残しています。

 「三輪明神」の裏山からは、大和三山を一望することができます。
天香久山(あまのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)の3つの山で、万葉集にも歌われているところです。
飛鳥時代の持統天皇の頃には、三山周辺に大規模な条坊制を取り入れた藤原京が整備されました。
そして、三山に囲まれた中心部には大極殿などの宮城が置かれていたと言われています。

 さて、ここから先はいよいよ山の辺の道らしくなってきました。
山の辺の道は日本最古の道で、その多くが万葉集にも詠まれています。
野山に通る道を、周りの景色を眺めながら歩くのです。
道中のいたるところに、万葉集を記した石碑が並んでいます。
古文にはめっぽう弱く、何を書いているのか正直言って判っていないのですが、自分なりの解釈で当時の詠み人の思いをなんとなく感じながら進みます。

 歩き進めると、「檜原神社」が見えます。
崇神天皇のとき、宮中より天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されて遷し、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立てて祀った「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」が、この地です。
大御神の遷幸後も、「檜原神社」として引き続いて祀り、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。
万葉集等にも「三輪の檜原」として詠まれ、山の辺の道の歌枕ともなっています。

 「檜原神社」より西に進んだところにある井寺池畔に、川端康成直筆の石碑があります。
   大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し
小中学生に万葉歌を覚えてほしいとの願いで、川端康成が万葉歌130首を選びます。
道のいたるところに万葉集を詠んだ石碑があったのは、このためです。
その際に川端康成作った歌が、ここには刻まれているのです。

 道は、まだまだ続きます。
道端には無人の野菜販売所があり、今朝採れたばかりの新鮮な野菜が並んでいます。
料金箱が無造作に置かれており、野菜を持っていく人がお金を払っていくしくみです。
平和な日本ならではです。
市価よりはるかに安い野菜ですが、これからの散策に邪魔にならない訳でもありません。
ここはひとまず、並んでいる野菜を眺めながら進みます。

 しかしどうしても抑えきれなかったのは、いちごの販売でした。
こちらは有人の売店でしたが、真っ赤に熟れたいちごを見ぬふりをして通り過ぎることはできませんでした。
甘味は見た目ほどでもなかったものの、冷たく冷やしたいちごは、歩いてきた疲れを一気に吹き飛ばしてくれるのでした。

 さらに進んでいくと、途中きれいなフジに出会いました。
フジの花が一斉に咲き誇り、そのしたをくぐって歩きます。
なんやら、すごく得した気分です。

 ここから「崇神天皇陵」、「景行天皇陵」と大きな古墳が続きます。
古墳の堀の脇を歩いて進みます。

 そして次に訪れたのは「長岳寺」です。
「長岳寺」は、824年に淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹です。
盛時には48もの塔頭が建ち並んでいました。
桜門は日本最古の鐘門で、かつては上層に鐘楼が吊られていたために鐘楼門と呼ばれています。
また、本堂は阿弥陀三尊像と多聞天・増長天立像を安置しており、1783年に再建されています。
ここから竜王山中腹の奥の院までは、八十八箇所道が巡らされており、途方もなく広い境内を持っています。
高野山真言宗の寺院で、山号は釜の口山(かまのくちさん)です。

 「長岳寺」の近くの「奈良市トレイルセンター」で、昼食とします。
芝生に腰掛け、暖かい日差しの下で持参してきた弁当を食べるのは、なんともおいしいものです。
食後は思わず芝生の上で寝転がってしまいました。

 休憩も終わり、再び歩き始めます。
途中の山道では、キジが出迎えてくれます。
都会ではまず見ることのできない野生のキジですが、ここでは当たり前のように歩いています。
残念ながら美しい羽根を広げることなく逃げていきましたが、驚きの瞬間でした。

 歩き進んで到着したのは、「竹内町環濠集落」です。
環濠集落とは、周囲に濠を巡らせた集落のことで、水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の形態とも、自衛のための防御機能だとも考えられています。
集落には 昔ながらの建物が今も残り、時代を戻ったような錯覚にとらわれます。

 さてここから先は、ちょっとした坂道が続きます。
今までの気楽な歩きとは違い、やがて口数も少なくなってきます。
もうすぐ最終目的地の天理と思い、馬力を入れて進みます。

 道の上り下りがおさまった辺りに、「石上神宮」があります。
物部氏の総氏神として信仰されてき、古事記、日本書紀にもその名が登場します。
御祭神は、第10代崇神天皇7年に、石上布留の高庭に祀らたのが始まりです。
中世に入ると、興福寺の荘園拡大や守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人と同寺はたびたび抗争を起こします。
戦国時代には、織田尾張勢の乱入により社頭は破され、1000石の神領も没収され衰微していきます。
しかしその後も氏人たちの力強い信仰に支えられ、さらには明治時代の神宮号復称が許されて、現在のような奈良を代表する神社になっていくのです。

 やがて、目の前に天理の街並みが開けてきます。
ここは天理教の総本部で、天理教の宿舎はもとより学校、病院などすべての施設が揃っている一大都市です。
JR天理駅までは、これら施設を抜けながら長い長い商店街を越えて行きます。
最後には、天理駅近くのちゃんこ鍋屋に寄ります。
営業時間前なのに無理を言って店を開けてもらい、一日の疲れをビールと鍋で洗い流します。
こうして、楽しい1日が宴会とともに終わったのでした。

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