にっぽんの旅 近畿 奈良 奈良

[旅の日記]

ならまち 

 本日は、奈良の街をぶらり散策してみます。
近鉄奈良駅を降り、駅の南西を巡ります。

 奈良駅ビルの角には噴水があり、行基像が飾られています。
聖武天皇の命を受け、東大寺の大仏を作った行基です。
そしてその周りには、数名の僧が托鉢しています。
寺の多い奈良ならではの風景です。

 それでは最初に「興福寺」を訪れます。
向かう途中に、鹿が出迎えてくれます。
そうです。奈良公園の近くには、多くの鹿が放し飼いにされているのです。
669年に藤原鎌足が病気を患った際に、鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などを安置するために造営した「山階寺」が起源です。
その後の672年の壬申の乱の後、飛鳥に都が戻った時に「山階寺」も移建され、その地名を取って「厩坂寺」と呼ばれました。
さらに710年に平城遷都が行われた時には、藤原不比等によって奈良に移され、「興福寺」と名付けられたのです。

 その「興福寺」の中でも「南円堂」は八角形の珍しい形をした建物です。
813年に藤原冬嗣が父の内麻呂の冥福を願って建てた八角円堂で、地神を鎮めるために和同開珎や隆平永宝を撒きながら築いたということです。
この儀式には空海(弘法大師)も深く係わったとされています。
堂内には、本尊不空羂索観音菩薩像や四天王像が安置されます。

 「東金堂」は、726年に聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建てたものです。
寄棟造り本瓦葺きの建物で、隣の「中金堂」も現在復元中です。

 その隣は、釈迦の舎利を納める「五重塔」です。
730年に、興福寺の創建者藤原不比等の娘である光明皇后が建てたものです。
古都奈良を象徴する塔です。

 「興福寺」の南側、石段を下ったところに「猿沢池」があります。
池の南岸からは、先ほどの「五重塔」を臨むことができ、多くの人が池端のベンチに座り込み楽しく話をしています。

 池の脇には、春日大社の末社の「采女神社」があります。
采女とは、天皇や皇后に仕え、食事など、身の回りの雑事を行う女官のことで、その采女の悲しい伝説があります。
天皇の寵愛が薄れたことを嘆き悲しんだ采女が猿沢池に身を投げたため、その霊をなぐさめるために建てられたと伝えられています。

 ここから「ももいどの通り」を南に歩いて行きます。
「なら工藝館」では、漆器や赤膚焼などの伝統工芸品を展示しています。
 「奈良町資料館」は、旧元興寺の本堂跡地にある資料館です。
入口には、これから訪れる「庚申堂」で祀られている「身代わり申」の巨大な魔よけが飾られています。
懐かしい昔の看板、美術品や奈良町の艮俗資料が、展示されています。

 次に訪れた「庚申堂」は地元では「庚申さん」と呼ばれ、災いの身代わりを受けてくれる「身代わり申」のことで、青面金剛像が祀られています。
文武天皇の時代に疫病が流行し、元興寺の護命僧正が祈祷すると青面金剛が現われます。
その後間もなく悪病が治まることになります。
この日が庚申の日であったとされています。
言い伝えによると、人のお腹のなかには「三尸(さんし)の虫」という虫がいて、夜に人々が寝静まると身体からぬけだし、その人がしてきた悪事を天帝に告げにいくといわれています。
天帝が天の邪鬼に命じてその人に罰を与えるので、人々は三尸の虫がぬけださないように寝ずに過ごしたというわけです。
そしてこの地に青面金剛を祀り、三尸の虫を退治し息災に暮らすことを念じて人々が講を作って供養しました。
堂の前には「庚申さん」のお使いの猿が座っており、猿を模ったお守りは魔よけの「身代わり申」として、ならまちの軒下にぶら下がっています。

 さらに南に歩いて行きましょう。
西新屋町辺りは、吉祥町とも鍛冶町とも言われていました。
昔は吉祥天を祀る吉祥堂があり、鍛冶町にも数件の鍛冶屋がありました。
先ほどの「庚申堂」にも吉祥天が安置されています。
この辺りには、間口が狭く奥行きの深い町家が並んでいる所は、どことなく京都に似ています。

 その先には、格子が美しい砂糖屋があります。
砂糖だけで店がやっていけるのですから、やはり古都奈良です。
そしてその向かいには、「ならまち格子の家」が町屋の生活を公開しています。
ならまちの伝統的な町家を再現し、当時の町民の暮らしぶりを紹介する施設です。
室内から外を覗くと、格子の隙間から洩れる陽の光が眩しく感じる風情ある光景です。

 さすがに歩き回って喉が渇いていたところに、気になる看板が目に入ります。
「冷たい甘酒」と書かれた文字に、何故か引き寄せられてしまいました。
おまけに酒屋が造る甘酒です。妙に興味が湧くのです。
中に入ると一升瓶から、ドクドクと甘酒を注いでくれます。
喉に甘いものが通るのが判ります。
酒屋の甘酒だけあって、コクがあってこの上もなくうまいのです。
もう一杯と言いたいところを、今後の行程を考えて我慢したのでした。

 「御霊神社」は桓武天皇勅願所で、門の前の朱色の鳥居が目印です。
井上内親王、他戸親王、事代主命など八神が祀られています。
全国に同名の神社があるため、奈良の御霊神社のことを区別して「南都御霊神社」とも呼びます。

 またその先の「今西家書院」は、室町時代の様式をよく伝える書院造りの建物です。
庭では抹茶がいただけるそうですが、先を急ぎます。

 さてここから北に進路を変えます。
「旧大乗院庭園」は、奈良を代表する日本庭園です。
興福寺の門跡寺院である大乗院が、1087年に創建された時に同じく築造された庭園ですが、平重衡による南都焼討で被災します。
興福寺別院である定禅院跡地に移築されますが、15世紀の徳政一揆でこれまた荒廃してしまいます。
そこで銀閣寺庭園を作った善阿弥父子を尋尊が招き、池泉回遊式庭園を整備しいまの姿に残してきました。

 そして、この庭園を臨む高台に「奈良ホテル」があります。
1909年に営業開始した純和風のホテルです。
関西において国賓、皇族が宿泊する施設で、「西の迎賓館」とも呼ばれてきました。
東京駅駅舎を手がけた辰野金吾と片岡安のコンビが設計に当たりました。
かなり高価な感がしますが、いつかは泊まってみたい宿のひとつです。

 そして帰りは帰路のJRの奈良駅に向かいます。
鉄道は高架になり、駅自体は近代的な建物に様変わりしてしまいがっかりしていましたが、駅の脇に昔の駅舎が残っています。
駅としての役目は終わったのですが、奈良市総合観光案内所として現役で働いています。
奈良の景観に合致する寺院風の和風建築で、1934年の作品です。

 京都と較べると影が薄い奈良ですが、秋の町並みを散策してきました。
派手さはないが古都の風情を十分感じることができた、奈良の1日でした。

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