にっぽんの旅 近畿 奈良 室生

[旅の日記]

室生寺から長谷寺 

 本日は久々の車での移動です。
奈良の室生寺、長谷寺を訪れてみました。

 桜井から東に30分ほど走ったところに、「室生寺」はあります。
30分と言っても、山に向かってかなりの上り下りの繰り返した道を走ってのことです。
近鉄電車の「室生口大野」辺りからはさらに、室生川をさかのぼって行きます。
そんな先に、「室生寺」はあります。

 女人禁制だった高野山に対し、「室生寺」は女性の参詣が許されていたことから「女人高野」とも言われています。
真言宗室生寺派大本山の寺院です。
その昔、山部親王(後の桓武天皇)が病気平癒のため室生の地を訪れます。
病気は、竜神の力で見事に回復することができます。
そこで、興福寺の僧 賢憬(賢m)が朝廷の命でここに寺院を造ることになります。
これが「室生寺」なのです。

 室生川に架かる朱塗りの太鼓橋を渡り、入山料を払うと、仁王門があります。
ここから延びる鎧坂と呼ばれる石段を登ったところが、金堂です。
傾斜面に建てられた金堂は、懸造(かけづくり)という山岳地帯に多い建て方です。
堂内には向かって左から十一面観音立像、文殊菩薩立像、本尊釈迦如来立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像の5体が横一列に並んでいます。
木製の戸はもとは鮮やかな朱色だったかのように、表面に塗りの跡が残っています。

 金堂の前には、入母屋造、柿葺きの弥勒堂があります。
興福寺の伝法院を受け継いだ鎌倉時代の建築で、元は南向きであったものを室町時代に東向きとしています。
本尊弥勒菩薩立像を安置しています。

 金堂の先には、本堂の灌頂堂があります。
入母屋造、檜皮葺で、1308年の建立です。
鎌倉時代後期の密教としての室生寺にとって、灌頂という密教儀式を行うための堂です。

 その奥には、五重塔があります。
800年頃の建立で、朱塗りの塔です。
屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎ日本で2番目に古く、また木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小のものです。
高さは16メートル強で、興福寺五重塔の3分の1の大きさです。
5つの屋根の大きさがほとんど変わらないのも、特徴のひとつです。

 奥の院は、その先にあります。
原生林に囲まれた長い石段が、どこまでも続きます。
息を切らせながら登り着ると、そこには位牌堂が建っています。
絵本「地獄のそうべえ」に出てくる魔様の地獄絵の絵馬が懸けられています。
この舞台から下界の町を見張すことができます。
そして隣には奥の院の本堂となる御影堂が、物静かに構えています。
ここでは弘法大師がお祀りされています。

 登り切ってホッとすると、急にお腹が空いてきました。
室生寺を降りて、食事を取ることにします。
何軒ある飲食店を覗くと、どうやらこの辺りで採れる山菜料理が名物のようです。
山菜の釜めしをやっている店に入ることにします。
御釜にぜんまい、きのこ、たけのこがぎっしりと敷き詰められた釜めしは、予想以上に満足するものでした。

 ここから先の「室生龍穴神社」までは、歩いて向かいます。
というのも、神社には駐車場がないとの情報があったからです。
歩くこと10分余り、向かいの工場に人気がある位で、それ以外は周囲に何もないところに神社はあります。
春日造りの一間社の本殿は、室生寺よりも古い歴史があります。
奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、水の神「龍神」が祀られています。
先ほどの「室生寺」が、「室生龍穴神社」の神宮寺であった時代もあるほどです。
この上流には龍神が住むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があると言われています。

 さて再び室生寺の駐車場まで戻り、ここから車で「大野寺」に向かいます。
「大野寺」は、681年に役小角によって草創され、824年に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と名付けられます。
今では地名から「大野寺」と呼ばれています。
境内には1つだけ方向を逆に向いた建物があります。
遙拝所で宇陀川の川向いある弥勒磨崖仏である「石仏縁起」を拝むようになっています。
1207年興福寺の雅縁大僧正の発願で、後鳥羽上皇の勅願によって造られました。
高さ33mもある弥勒岩に、弥勒仏の立像が彫られています。
その高さは、11.5mにも及び大きさです。
何人もの宋の石匠によってわずか9日間で作られたということです。

 「大野寺」から桜井方向に、20km弱走ります。
そこに「長谷寺」はあります。
折しも秋祭りの真っ最中で、多くのみこしが町を練り歩いています。
車も思った通りに進めず、町の入り口で駐車場を探します。

 ここ初瀬の町は、昔ながらの町屋がいまでも残っています。
万葉集には「こもりくの里」として詠われており、自然に囲まれた静かな場所を意味します。
「長谷寺」への参道は、そんな年季があり人情豊かな初瀬の通りを歩いて行きます。
初瀬川に沿って、参道が左に曲がった先に「長谷寺」の山門があります。
686年、道明上人は天武天皇のために銅板法華説相図を西の岡に安置します。
そして727年には、徳道上人が聖武天皇の勅を奉じて、衆東の岡に十一面観世音菩薩を祀ります。
現在の「長谷寺」は、真言宗豊山派の総本山として、全国に末寺3000余寺を有するに至ります。

 まず目に入るのは、仁王門です。
長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門で、両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置しています。

 長谷寺の中でも特徴的なのが、長い登廊(のぼりろう)ではないでしょうか。
1039年に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、三九九段、上中下の三廊に分かれています。
西国三十三ヶ所観音霊場の第八番札所の長谷寺に相応しい、立派な登廊です。
風雅な長谷型の灯籠が吊るされています。

 長い登廊を渡りきると、いよいよ本堂です。
小初瀬山中腹の断崖絶壁に作られた大殿堂です。
本殿は、正堂と礼堂からな成り、正堂に本尊が祀られています。
礼堂は傾斜地に建てられた懸造りで、京都の清水寺を思わせるような外舞台を有しています。
ここからの眺めは絶景で、初瀬の町を見渡すことができます。
奈良時代の創建ですが、徳川家光によって1650年に再建されました。
塔の前には、長谷寺創建当時の三重塔の礎石が残っています。

 本堂から見える五重塔は、戦後日本に初めて建てられた五重塔です。
塔身の丹色と相輪の金色が眩しい、美しい建てものです。
戦没者を慰霊するために建てられたもので、大日如来(通常非公開)が安置されています。

 ここからは、坂を下り仁王門の方向に戻っていきます。
本坊には、講堂や書院などがあります。
1667年に徳川将軍の寄進で建立されましたが、火事に合い1924年に再建されたものです。
総檜造りの大殿堂は、どっしりと構えた優美な建物で、格式があります。
奈良県の指定有形文化財にの登録されています。

 さて再び初瀬の町まで戻ってきました。
あれだけ賑やかだった神輿も多くは帰ってしまい、最後のひとつが相変わらず気勢をあげています。
しかし町は元の静かさを取り戻しつつあり、昔ながらの家屋が並ぶ静かな田舎の町が見えてきました。
車を置いた町はずれの駐車場まで、町を眺めながら歩いて行きます。
こうして、「長谷寺」の門前町である初瀬の散策は終わりました。

 室生寺、室生龍穴神社、大野寺、長谷寺と寺や神社を巡る1日でした。
趣のある古都 奈良の一面を見ることができたのではないでしょうか。

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