[旅の日記]
暗がり峠と石像 
近鉄生駒線の南生駒駅に来ています。
今日はここから暗越奈良街道を大阪方向に歩いて行きます。
これから奈良と大阪の県境を超えて行きます。
生駒駅から王寺に向けて走る近鉄奈良線ですが、南生駒駅はその途中の小さな駅です。
駅のそばを走る道路は意外と交通量が多く、近くには住宅街もあります。
しかし今日はあえて、人気のない峠に続く暗越奈良街道を歩いて行きます。
国道でもある暗越奈良街道です。
緩やかな上り坂が続き、車がやっとすれ違えるような道幅です。
道の左右には、昔ながらの日本家屋が並びます。
気が付けば家もまばらで周りに田畑が開け、田舎ののどかな眺めに替わっていきます。
すると突然、道の傾斜が一段と急になってきました。
それを証拠に、アスファルトからコンクリートに替わり、滑り止めの凹凸の付いた道になってきました。
ここからは急な上り坂が、永遠に続くのです。
そんな中にあるのが、「石仏寺(石佛寺)」です。
花崗岩を用いた丸彫坐像の阿弥陀三尊石仏が本尊です。
1294年に石工の伊行氏(いのゆきうじ)によって彫られました。
他にも境内には様々な石碑や石像が並んでいます。
さらに上って行き、左側の脇道に逸れます。
そこには小さな祠があります。
「藤尾阿弥陀堂」です。
自然石に彫られた阿弥陀如来立像で、惜しいことに石像の上部が欠けています。
1270年造立であることを記した文字が刻まれています。
地元の人に親しまれているようで、真新しい花が供えられています。
さらに街道を進んでいきます。
すると右に折れる道のある三差路に出ます。
ここは寄り道をして、右(北)に曲がってみることにします。
しばらく歩いていると、綺麗な桜咲いているところがあります。
その手前の敷地には、大きな庭があります。
スリランカ料理店ということで、花見ができるとあって盛んに客を呼び込んでいます。
気にはなるのですが、先を急ぎます。
三差路からスリランカ料理店のまでの2倍の距離を歩いたところに、「鬼取山鶴林寺」はあります。
生駒山は日本最古の霊場で、修行の場とされていました。
この「鶴林寺」もそのひとつで、かつてはもう少し山側で今の「寳山寺」の場所にありました。
修験道の祖である役行者によって開山されたとされたのです。
「鬼取山」という山号は、役行者が儀学、儀賢の2鬼を捕らえたということからきています。

さて寄り道をしてしまいましたので、いま来た道を暗越奈良街道まで戻ります。
スリランカ料理店の辺りは、春の陽気もあって相変わらず賑やかです。
来た時には気づかず通り過ぎてしまったのですが、無料販売所があります。
採れたての野菜が並んでいます。
安くて気がひかれるのですが、これから続く坂道を考えるとダイコンを担いでいくわけにもいきません。
後ろ髪惹かれながら、そこは通り過ぎたのでした。
街道を上っていくと「くらがり峠」の石碑が見えてきます。
その先には万葉歌碑があります。
さらに進みます。
今度は、山肌を利用した棚田が広がります。
ここが「西畑の棚田」と呼ばれるところです。
一面に菜の花の黄色が、そしてピンクの満開の桜で、春を感じることができます。
街道沿いには多くのお地蔵さんが祀られています。
そして再び民家も増え、かなり標高の高い場所ですが集落が広がっています。
下を眺めると、南生駒の町を望むことができます。
棚田の至る所から、畑を焼いた煙が霞のように漂っています。
のどかな風景です。

さらに歩いたところに、4体の地蔵さんが並んで立っているところがあります。
屋根が付いていて雨を避けることができる場所で、赤いべべをまとったお地蔵さんです。
「西地蔵」と呼ばれる場所です。
ここまで来ると、目的の暗がり峠は目と鼻の先です。
信貴生駒スカイラインに交差し、道路の下の狭い通路を潜り抜けると、その先が暗がり峠です。
奈良と大阪の県境で、街道の頂点となるところです。
行く先には大阪府の標識が、そして振り返るといま歩いてきた奈良県です。

ちょうど県境の場所に茶屋があります。
坂を上り切ったここで一服、といったところでしょうか。
そばには「暗峠地蔵」もあります。
「峠の地蔵」と呼ばれる石像が祀られています。
ここまで来ると、あとは下るだけです。
その途中にあるのは、「弘法の水」です。
生駒の谷あいから湧き出るマグネシウムやカルシウムを多く含む水を汲むことができます。
ここには数体の石仏があり、笠を乗せた笠塔婆は1284年に作られたものです。
街道を通る旅人の安全を祈って建立されました。
「南無阿弥陀仏」の文字は刻まれています。
さらに歩いて行くと、今度は急なカーブを目にします。
この辺りが暗がり峠一番の難所で、最も急な坂になっています。
タイヤが擦れて、道に黒い筋が残っています。
横から見るとその高低差がよくわかります。
最大勾配は土木事務所の計測では31%、地図の昭文社では43.8%、ヤマハ発動機では道の内側の計測で48.8%といった驚異的な数字を出しています。
日本一急な国道を言われています。
今日は奈良から大阪に入ったので、ここが下り道で良かったと思います。
少し歩くと左手に赤い鳥居が見えます。
「お玉大神」で、灯篭の奥に大小さまざまな石像が並んでいます。
道の反対側には「不動明王石像」で、これまた石像が建っています。
さてもう少し先を進みましょう。
そこには「観音寺」「成願寺」と真言宗の寺院が並んでいます。
「成願寺」の通り沿いにある石には、「楔行場」と刻まれています。
随分坂を下りてきました。
そこにあるのが「桜公園」です。
ちょうど桜満開の時期、桜が咲き誇っています。
弁当を持って花見を人も多く見かけます。
この辺一帯が枚岡公園で、公園内を散策することでき子供の遊具も揃っています。
街道を下る際には山に覆われ大阪の町を見下ろせる所がなかったのですが、この場所からは遠く梅田の高層ビルまでが一望できます。
ここから「椋ヶ根橋」を渡って、公園内を「枚岡神社」まで歩いて行きます。
途中の「姥ヶ池」には悲しい話があります。
「枚岡神社」の御神灯の油がなくなり、毎夜毎夜火が消えていっていました。
最初は妖怪の仕業だと恐れられていましたが、生活に困った老婆が油を盗み売っていたことが分かります。
理由を知って老婆は釈放されますが、広まった噂にいたたまれず老婆は池に身を投げて自殺してしまいます。
その後は雨の夜になると白い炎が現れ、村人を悩ましたということです。
それを抑えるためなのか、池の周りの木々の陰に小さな祠がひっそりと建てられています。
さて本日の最終目的地である「枚岡神社」にやって来ました。
日本書紀にも出てくる天児屋根命(あめのこやねのみこと)が主祭神です。
中臣氏の祖とされる天児屋根命です。
藤原氏が中臣氏から分かれ氏神として春日大社を創建した際には、祭神4柱のうち2柱(天児屋根命、比売神)の分霊が「枚岡神社」から勧請されてました。
そのため「枚岡神社」を「元春日」とも称されることがあります。
春日大社よりも古く、たいそう歴史がある神社なのです。
本日の散策はこれで終了です。
帰りの枚岡駅でホームに入っていると、やって来たのは阪神電車の車両です。
なぜ近鉄なのに阪神電車が、って思いませんか。
実は大阪なんば駅で近鉄と阪神がつながってからは、両者の車両が互いに行き来しているのです。
奈良、大阪、兵庫を結ぶ大動脈として、利用されています。
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