にっぽんの旅 近畿 奈良 飛鳥

[旅の日記]

飛鳥の石造物 

 まだ肌寒さの残る奈良を歩くことにします。
出発は、古代の巨石 石舞台からです。
曽我馬子の墓といわれるこの石の横穴式の石室へは、自由に出入りすることができます。
もともとは地中に埋もれていた墓ですが、覆い被さっていた土砂が洗われ、今では巨大な石がむき出しになっています。
いまや飛鳥のシンボル的存在になっています。

 石舞台から600〜700m山側に入り込んだところに、岡寺はあります。
途中かなりの坂道を、息を切らしながら登っていくと赤い門が見えてきます。
西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所に位置する岡寺は、天武天皇の子である草壁皇子の岡宮を寺に改めたのが始まりだといわれています。
この時期、花はつけていませんが、しゃくなげの名所としても知られています。
帰りも急な坂を転がるように降りていくのですが、その脇に店を構えている坂乃茶屋に立ち寄ることにします。
ここは三輪が近いせいかそうめんが名物らしくて、そうめんをあしらった定食がメニューを飾っています。
しかし今はそうめんに代わってにゅうめんに衣替えし、五目御飯とにゅうめんの定食をいただくことにしました。
畳敷きの店内ですするにゅうめんは薄い上品な味で、見た目以上にお腹が膨れたのでした。

 次は少し歩いて飛鳥寺を目指します。
その途中に繰り広げられる奇石な数々を見て回ることにします。
竹の林の脇にデンと構えているのが、「酒船石」です。
平たい石の上に、明らかに人の手で掘られた溝が中心から四方に伸びています。
少し歩いたところには亀形石造物と呼ばれる亀の甲羅をくり抜いた形の石が並んでします。
祭礼のときに使ったなど色々な説が飛び交っていますが、いずれもはっきりした使い方が解明されていないのが現状です。

 目指す飛鳥寺は、田んぼの真ん中にひっそりとたたずんでいます。
本殿には、飛鳥大仏と呼ばれる釈迦如来坐像が安置されています。
そしてその裏には曽我入鹿の首塚である五輪塔がひっそりと建っていました。
それにしても周りはのどかな風景です。
火を放った田の枯れ草が発する煙が見える以外は、一面の田んぼ、そして遠くには盆地である奈良を囲む山々が見えるだけです。
大化の改新という激動の舞台でもあった当時の中心地が、こんなひっそりとしたところであることに戸惑いを隠さずにはいられませんでした。

 さて、北に向かっていた足を180度方向を変え、再び岡寺の麓である橘寺に向かい出しました。
ここは聖徳太子が創建の7つの寺のうちの1つで、境内には善悪を表す2つの人面を持った奇石 二面石が立っています。
小さな石なので見落としそうになります。

 橘寺からは西の飛鳥駅方面に歩いていきます。
裏道を歩いていくと、亀石と呼ばれる奇妙な岩に遭遇します。
甲羅から亀が顔を出しているような風貌で、今は南西を向いていますが、この石が西を向いたときには大洪水に見舞われるという伝説が残っています。

 さらに歩き、天武・持統天皇領を超えた辺りにあるのが、これまた奇妙な1対の石です。
1つは「鬼の俎」と呼ばれ、鬼が旅人を捕まえ料理をするために使ったマナイタとされています。
そしてもう1つが「鬼の雪隠」です。
旅人を食して満腹になれば、ここで用を足したと今に語り継がれてます。
いずれにしてもこれまた何かの目的で人の手のはいった不思議な石です。

 さらに西に行き、飛鳥駅近くには大きな欽明天皇稜があります。
そしてその裏手の吉備姫王墓内に、猿の形に掘られた「猿石」はこっけいな猿を模っています。
全部で4基ある奇妙な猿(いや人間かも)は、今まで見てきた他の石とは違い心を和ませてくれるのです。
まるで現代の誰かがいたずらで掘ったかのように、はっきりとした猿の顔なのです。

 さて最後は、高松塚古墳です。
整備された歴史公園の中に、この古墳はありました。
石棺内の壁画が発見されひときわ有名になった昭和47年の世紀の大発見が、この前のように思い出されます。
古墳自体は工事現場のように柱を立てホロで囲まれ、中には空調用のダクトが引かれており、古代ロマンのかけらも感じることができません。
しかし、隣接する高松塚壁画館で精密な模写を見ることができます。
7〜8世紀に描かれたものが、今日でもこんなに鮮やかに見ることができるのです。
1000年を超えた昔でも、今と同じような筆遣いで繊細な絵を描いていたということが、不思議でなりませんでした。

 使い道の判らないさまざまな石造など、謎が多いがために逆にロマンのある歴史ロマンの街。
そして古代の風貌を今も持ち続ける飛鳥の、ゆったりとした1日でした。

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