にっぽんの旅 近畿 京都 八幡

[旅の日記]

上津屋橋と石清水八幡宮 

 近鉄京都線の久津川駅に来ています。
何の変哲もない小さな駅ですが、ここが今日の散策の始まりです。

 駅の前に「平井神社」があります。
児童公園を横目に、石畳の参道を本殿まで進みます。
割拝殿を潜った先には、真っ赤な社殿が目を引きます。
1645年の建造とされ、こに土地の人々の信仰を集めてきました。

 ここから西へ2.5kmぐらい歩いてみます。
静かな住宅地を進むと、やがて交通量の多い国道に交差します。
国道を突っ切り先に進むと、やがて周りが畑の農村の風景に変わります。
そんな中にお茶の畑が、やけに目につきます。
黒いシートを天井に備え、いつもで陽を遮ることのできるようにスタンバイされています。
と、目の前に木津川の土手が見えてきました。

 今日のお目当ては、木津川に架かる「上津屋橋(こうづやばし)」です。
この歩行者専用の橋は、俗に「流れ橋」とも言われ、川が増水すると橋ごと流される仕組みになっています。
全長365m、幅3.3mの木橋は、丸太の橋脚が橋の左右に張り出しています。
橋桁は橋脚に載せてあるだけで、固定されていないのです。
増水時には橋はいとも簡単に流されますが、橋にはロープが架けられ、流されても回収でき再利用するのです。
逆転の発想で実にユニークな造りの橋ですが、既に20回以上も流されています。
そのたびに組み立てられ再生されてきたのです。
橋桁を踏みしめながら、対岸まで渡ります。

 橋を渡り切ったところに、702年に鎮座したとされる「石田神社」があります。
そしてその横には、観光施設の四季彩館があり、休憩ができるようになっています。
ここから5分ほど歩くと、庄屋の「伊佐家住宅」があり、江戸中期の山城地方の代表的な民家として残っています。

 次の移動手段である時間があるので、市民体育館までぶらりと歩いて行きます。
突然現れた立派な体育館では、建物前のトラック、そして横のグランドで、多くの人が汗を流しています。
そしてここ体育館にも京阪バスの停留所があるのですが、この地域のコミュニティバスも同じ場所から発車するようです。
しかも京阪バスの10分前に来て、料金が200円均一とは儲けものです。

 小回りの利く小さめのバスですが、他の客は居らず冷房も効いて快適です。
さすが町のバスだけあって、細い曲がりくねった道を進んでこの地域の集落を順に回って行きます。
近代的な高速道路の高架下を越えたかと思うと、今度は昔ながらの木壁の家々の中を進み、まるで観光バスに乗っている気分です。
病院などに寄りながら、八幡小学校までやって来ました。
ここでバスを降ります。

 近くには、「淀屋辰五郎邸跡」があります。
淀屋は代々の商人で、米相場の基準となる米市を設立したり、中之島に自費で「淀屋橋」を架けたり、大坂の繁栄に大きく寄与してきました。
ところが儲けすぎが幕府の気に入らなかったのか、5代目淀屋廣當は幕府に全財産を没収されてしまいます。
一時は江戸に移り住みますが、帰ってきて最後に家を構えたのがこの地なのです。

 「安居橋(あんごばし)」は、放生川に架かる反り橋です。
橋を渡り、いよいよ「石清水八幡宮」への入り口です。
表参道から急な石段の続く裏参道方向へ進みます。
息を切らし汗だくで登って行くのですが、健康のために日ごろから歩いて登る人に会いました。
男山の山頂まで続く石段を、息を荒立てながらも速度を落とすことなく、先に登って行かれたのでした。
所々に竹が密集しており、たけのこの皮を剥ぎながらも成長していった様子が、節々に残る皮から読み取れます。 その中を道は突き切っていきます。
近くには「松花堂跡」もあり、幕の内弁当とともに有名な松花堂弁当もここが発祥なのです。

 坂を登り切ったところに「石清水八幡宮」があります。
男山の山頂に位置し、八幡の街を一望できます。
伊勢神宮、賀茂神社とともに、日本三社の一社に数えられる有名なところです。
陽の光を受けて、朱色の社殿が色鮮やかに光っています。

 そして境内には「エジソン記念碑」なるものもあります。
電気をはじめとして発明家トーマス・エジソンはあまりにも有名ですが、なぜ八幡なのでしょうか。
それは、ここ八幡の竹を使鵜ことによって白熱電球の長時間点灯に成功したということから、ここに立派な石碑が立っているのです。
なるほど、しんどい思いをして登ってきた竹林には、そういう謂れがあったのですね。

 さすがに帰りは男山ケーブルに乗って、山を下りてきたのでした。
京都市内があまりにも有名な京ですが、ちょっと変わった八幡の街の散策でした。

 
旅の写真館