にっぽんの旅 近畿 京都 二条

[旅の日記]

京都御所から二条城 

 京の都、当時と今の京都を訪れてみます。
京阪電車で、出町柳駅に到着です。
 鴨川に架かる葵橋を渡って西側に出て、そこから1筋南の今出川通りを西へ進みます。
右手に同志社の中学・高校・女子大・大学が続きます。
この向かいが、目指す「京都御所」です。
南北朝時代以降、明治2年(1869年)の東京に移るまで、ここが皇居として定められていました。
「京都御所」を見学するには事前の連絡が必要で、はがきやインターネットで予約ができます。
今回は集合場所に指定された「清所門」に向かいます。
「清所門」は物々しい警備で、この先御所内ではどこに行くにも数名のSPに見守られることになります。
まずは休憩所で待ち、数十名のツアーとして御所内を案内されます。
もちろんツアーのかたまりの前後には、SPが付いて回ります。

 立派な「御車寄」を眺めて、その先の「建礼門」に進みます。
御所の正門に当たるところで、外からは黒光りする年季の入った門ですが、中から見ると金色の混じった立派な門です。
その反対側には朱色の廻廊があり、その奥に「紫宸殿」があります。
「紫宸殿」は天皇の国の重要な儀式を行うところで、大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われました。
入母屋桧皮葺きの高床式宮殿建築で、その手前には「左近の桜」と「右近の橘」が植えられています。

 「春興殿」を越え、木の扉を入ったところに「御池庭」があります。
自然の風趣を生かした日本庭園で、岸には玉石を敷き詰め、池の中央には3つの中島があり、橋で結ばれています。
この庭園を眺めるところにある「小御所」は、1868年に徳川慶喜の処置を決めるための「小御所会議」が開かれた場所としても有名です。
学問や遊興の場として使われる御学問所の先には、「御常御殿」があります。
ここは天皇が日頃居住する場所で、御所最大の建物です。
このように、「京都御所」の南半分を見学することができるのです。

 「京都御所」の周りには「京都御苑」が広がり、緑豊かな公園を砂利の敷かれた広い通路が走っています。
「京都御苑」は土塀で囲まれ、いくつかの門で御苑の外とつながっています。
そのひとつが「蛤御門」です。
幕末に長州軍と尊王攘夷を唱える薩摩・会津連合軍が御所で衝突したところで、「蛤御門の変」で知られる歴史的に有名な場所です。
滅多に開かなかったこの門が、1783年の天明の大火で御所が炎上した際にはさすがに開いたことから、「焼けて口あく蛤」に例えられついた名前です。

 「京都御所」の南東には、「新島旧邸」があります。
同志社の創設者である新島襄の私邸だったところです。
新島襄自らが設計し1878年に完成したと言われ、正面玄関からは想像もできないような木造二階建の洋風建築です。

 ここから、寺町通りを下って行きます。
「下御霊神社」では、下御霊祭りの準備の真っ盛り。
舞殿に、提灯の飾り付けをしています。
地元の造り酒屋であるキンシ正宗も奉納されていました。

 さらに南下すると、「京都市役所庁舎」があります。
1927年竣工の建物で、庁舎前の広場のベンチでは持参した昼食を広げている人の姿が見えます。
なにか親しみやすい市役所に思えたのでした。

 ここから地下鉄で、2駅先の二条城前駅に進みましょう。
二条城前駅そばの大宮通りには、昔ながらの菓子屋があります。
「どろぼう」は、黒砂糖で作った和菓子で、思わず1袋買ってしまいました。

 「神泉苑」は東寺真言宗の寺院で、平安京大内裏に接して造営された天皇のための庭園でした。
平安京遷都とほぼ同時期に造営され、池を有する大庭園です。
池には法成橋が架かり本来はたいそう綺麗なところなのですが、訪れた時は池の改修中で水が抜かれていました。
これから新しい「神泉苑」に生まれ変わることでしょう。

 その南手5分ほどの場所に、「小川家住宅」があります。
元の「二条陣屋」で、江戸時代には大名が宿泊しました。
武者隠しがあるなど、刺客に対する当時の備えが見られます。

 さていよいよ「二条城」への入城です。
堀を越えて城内に入ります。
多くの城が天守閣をもち高さのある城に対して、「二条城」は平城です。
白壁の白一色もしくは黒っぽい城とは違い、屋根に施された金色がまぶしく美しい城です。
その歴史は、室町時代の足利義輝や足利義昭が居住するために二条に構えた屋敷を「二条城」と呼んだことに始まります。
また織田信長が京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子に献上した「二条新御所」でもあります。
そして、徳川家康が京に滞在中の宿所として造った城こそが、今の「二条城」です。
日本を変えた歴史的一大行事である大政奉還が行われたのも、ここ「二条城」なのです。

 「東大手門」から入り「唐門」を潜って初めに現れるのが、「二の丸御殿」です。
車寄せの先には、大小の広間が続いており、中を見学することができます。
壁画や天井画を見るだけでも飽きが来ない、そして贅沢極まりない造りです。
順路に沿って、ひとつひとつ見て回ります。
一方外には、桃山様式の池泉回遊式庭園が広がり、水を湛えた池を中心に緑豊かな庭です。

 「本丸御殿」は、先ほど見てきた御所北側の「旧桂宮邸」を移築したもので、徳川家本来の「二条城」とは趣を異にしています。
外に出て天守閣跡の石垣が残る高台にあがります。
ここに伏見城の天守が移築されたのですが、1750年の落雷で焼失し天守台だけが今に残っています。
「二条城」の堀から外に出たところには、近年「清流園」と呼ばれる庭園が整備され、緑豊かな今の環境を維持しています。

 再び烏丸通りに戻ります。
「二条城」の東側には、豊臣秀吉の「妙顕寺城跡」があります。
日像が京都に初めて建立した日蓮宗の寺院で、1583年にここに二条新邸を造り京での政治の拠点としてきました。
通常は前田玄以が居住しますが、秀吉が上洛したときにはここを宿舎としていました。
1586年に聚楽第ができるまでは、ここが活躍していたのです。

 さて、ここで昼にしましょう。
この先に行列のできる喫茶店があるのです。
たまごサンドが売りの喫茶店ですが、実は前にも来たことがあります。
しかしその時は行列ができていた上にお目当てのたまごサンドは売り切れていて、しぶしぶ帰った思いがあります。
それに懲りて、今回はしっかりと予約を入れてきたのでした。
和食が似合う京都まで来たのになぜサンドイッチと思われるでしょうが、実は京都は全国一のパンの消費量を誇る都道府県なのです。
出てきたサンドイッチは、これでもかというほどの分厚い厚焼きたまごを挟んだものです。
サンドイッチなのに、スプーンとフォークができてくることが理解できます。
味はふんわりとしたたまご自体の甘さが口に広がり、絶品のサンドイッチです。
パンなのに、お腹はいっぱいになったのでした。
 「御金神社」は、金山毘古命は金乃神や金乃類を司る紙で、古くから民家で密かに祀られてきました。
1883年にこの神社の社殿を構え、「金色様」の愛称で親しまれています。
刀や鏡にはじまり、鋤や鍬の農耕器具、機械や家庭の金属製品、金銀銅の通貨など、すべてのお金や証券、不動産に至るまでを運用するための神として崇められてきました。
こじんまりとした境内は、金鳥居を潜った先には拝殿があります。
拝殿に向かって右手には絵馬が飾られ、銀杏の葉の形をし金色に光る絵馬が所狭しと飾られています。
お金に関する願掛けが絵馬に綴られており、読んでいて飽きがこないのです。

 ここから烏丸通を、京都駅方向に南下していきます。
三条通りに面した「中京郵便局」は、ネオルネサンス様式の建物です。
1902年に建てられた赤レンガの外観をもつ建物で、老朽化に伴い一旦は取壊しが決定しましたが、反対運動もあって外観はそのままで内部の改築だけが施されています。
現役の郵便局として使われており、中では通常の郵便業務が行われています。
また「中京郵便局」の先には、「京都文化博物館」もあり、京都の歴史的建築物や資料館がこの辺りには集まっていますす。

 そして少し南に移動すると、そこには「六角堂」があります。
聖徳太子が創建した寺で、太子ゆかりの寺院として六角堂に思いを寄せた親鸞が参籠したことでも知られています。
西国三十三所観音札所標石としても、有名です。
住職を務めるのは華道家元池坊で、いけばな発祥の地としても知られています。
いけばなは室町時代に仏前供花を起源として成立し、日本文化のひとつとして大きな成長を遂げてきました。
ここ「六角堂」からは、数々の花の名手を輩出してきたのです。

 その先には手洗水町の名前の由来である「御手洗井」があります。
ビルの合間の石鳥居の先にある、祇園祭の期間中だけ開放される井戸です。
かつての祇園御旅所があった場所で、牛頭天皇にこの井戸の水を霊水として供えていたという場所です。
土用の日にあんころもちと一緒にこの水を飲むと、一年間は病気をしないという伝えられているところなのです。

 「京都御所」と「二条城」という名所と、その周りにある知られざる京都を探訪したのでした。

   
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