にっぽんの旅 近畿 京都 北野

[旅の日記]

雷電でいく金閣寺・龍安寺・仁和寺 

 本日は、「北野白梅町駅」から始まる、「京福電鉄」の旅です。
はじめにお腹を満たしましょう。
「北野天満宮」の鳥居の前に、面白いうどんを出してくれるところがあります。
「たわらや」のうどんは太さ1cmはある太目のもので、鉢の中には麺が1本しか入っていません。
聞けば、1時間もかけて茹で上げる代物だそうです。
しょうがを加えるだけで、何も特別な具を入れるわけでもないのですが、さっぱりした出汁とも合いおいしくいただけます。

 食事も終わり、まずは「北野天満宮」に参ります。
学問の神様である菅原道真を祀る神社で、福岡県の「太宰府天満宮」とともに天神信仰の中心地です。
無実の罪で配流された菅原道真が大宰府で没した後には、落雷などの災害が相次ぎます。
道真の祟りだとされ、都で恐れられていました。
そこで、朝廷は道真の左遷を撤回し官位を復します。
そして947年に、北野の地に道真を祀る社殿が造営されるのです。
後に藤原師輔が自分の屋敷の建物を寄贈して、いま見るような壮大な社殿に作り直されたと言われています。
「桜門」そしてその先の中門となる「天神宮」と書かれた「三光門」を潜って、中に入って行きます。
菅原道真を祀る本殿を有する「拝殿」は、その奥にあります。
今からでも少しでも頭がよくなりますように、と祈ったのでした。
境内のあちらこちらに天神様の神使である牛の像があります。
聞くところによると、太宰府で生涯を閉じられた菅公の御遺骸を運ぶ途中、車を引く牛が座り込んで動かなくなってしまいます。
仕方なく近くの安楽寺に埋葬するのですが、この故事に乗っ取って境内の神牛は横たわった牛の姿になっているということです。

 食べ過ぎたお腹を癒すために、ここから少し歩きましょう。
「金閣寺」は、正式名称を「鹿苑寺」という臨済宗相国寺派の寺です。
金の舎利殿があまりにも有名なため、「金閣寺」の方がピンとくるのではないでしょうか。
室町幕府3代将軍の足利義満により創建された寺で、北山文化を代表する建築です。
応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失しますが、その後主要な建物は再建され、舎利殿も1649年に修理さます。
1950年には不幸にも放火により舎利殿を失いますが、1955年には創建当時の姿に復元され、今の姿になっています。
金色が眩しい絢爛豪華な建物で、何度も訪れていますが、いつみても感動してしまいます。
御札のような拝観券も、興味を引くところです。

 普通ならここから西に歩いて次の寺を巡るのですが、今日の目的のひとつは「京福電鉄」の旅。
一旦「北野白梅町駅」に戻り、「京福電鉄」に乗り込みます。
人が立つレトロな改札の先に、ホームがあります。
平安遷都1200年を記念してペイントされた、これまたレトロな車体が出迎えてくれます。
またの名を「雷電」ともいう「京福電鉄」ですが、元々は京都と福井のそれぞれの地で鉄道事業を営んでおり、その名を取って「京福電鉄」と呼んでいます。
福井の鉄道事業は。経営の合理化によりえちぜん鉄道に譲渡し、いまでは京都ならびに滋賀に鉄道2路線とケーブルカー、ロープウェイを運営しています。
鉄道と言っても、チンチン電車に瓜二つの小さめの車体が、ガタゴト大きく左右に揺れながら走ります。

 2駅目の「龍安寺駅」で降ります。
石庭で有名な「龍安寺」には、駅から北に500mほど歩きます。
応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が1450年に創建した禅寺で、現在よりもはるかに広い敷地を有していました。
何気なく建っている山門を入ると、そこは寺の玄関です。
靴を脱ぎ奥にあがると、噂の石庭があります。
白い砂利を敷き詰め、波模様に凹凸をつけています。
水を感じるためにあえて水を抜いた庭は、日本のワビサビの心でしょうか。
無造作に置かれた15個の岩ですが、どこから見ても15個すべてを数えることができない配置になっています。
庭を眺めながら、この縁側で一休みといったところでしょうか。
立ち替わりやってくる観光客や修学旅行生の中で、ポカポカよ陽気に庭をぼんやり眺めていたのでした。

 「龍安寺」の境内には、大きな庭園もあります。
庭園の中央の鏡容池の周りを歩くことのできる回遊式庭園です。

 「龍安寺駅」からさらに2駅進んだところに、「御室仁和寺駅」があります。
駅を降りると、北側に「仁和寺」の「二王門」が見えます。
「仁和寺」は光孝天皇の勅願で、886年に建てられた古い寺です。
徒然草で詠われ教科書にも載っていた「仁和寺にある法師」で、何故か親しみのある寺です。
皇室とゆかりの深い寺ですが、明治維新以降は仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称されています。
そういえば、京福電鉄の駅舎に「御室駅」と書かれていたことに、納得をしたのでした。

 「仁王門」を越え右手に金剛華菩薩像を見ながら、赤い「中門」を潜ります。
正面奥には「金堂」が構えています。
「金堂」は、1613年に建立された旧皇居の正殿である「紫宸殿」を移築したものです。
当時は檜皮葺きの屋根でしたが、これを機会に瓦葺きに変えらたということです。

 「中門」から「金堂」に向かう途中に、右手に1644年に建立された「五重塔」が見えます。
各層の屋根の大きさがほぼ同じというという、江戸期の特徴を示している塔です。

 春の1日、「京福電鉄」に揺られて京都の世界遺産を巡ってきました。
過去に何度も訪れたことのある寺ですが、また来てしまいました。
沿線には、そのほかにも1駅ごとに訪れてみたくなる寺院が目白押しで、また近い将来この地を巡っていることでしょう。

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