にっぽんの旅 近畿 京都 東山

[旅の日記]

東山の京懐石 

 今日は秋の京都、特に紅葉の東山界隈を散策してみます。
スタートは京阪三条駅、ここから地下鉄東西線で蹴上までの2駅を乗車します。

 蹴上駅から最初の目的地である「南禅寺」までは、歩いて5分ほどの距離です。
しかし今は秋の紅葉シーズン、そして今日は雲一つない快晴、ひとめ紅葉を見に来た人々で、思うように前に進むことができません。
「南禅寺」に向かうにつれて、人だけではなく観光バスが道を塞ぎます。
そうした中、「南禅寺」の巨大な三門が目に飛び込んできます。
石川五右衛門が「絶景かな絶景かな…」というくだりで有名ですが、実際の三門は五右衛門の死後30年経った1628年の建築なのです。
五間三戸(正面柱間が5間)の二重門(2階建)の巨大な門で、大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るために、藤堂高虎が寄進したものです。

 三門を潜った先に、「南禅寺」がどーんと構えています。
その昔、後嵯峨天皇が1264年に造営した離宮の禅林寺殿がこの地にはありました。
そして1289年、亀山上皇が落飾して法皇となり、1291年に無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて「禅林寺殿」を寺に改め開創したのが、「南禅寺」です。
1334年、後醍醐天皇は「南禅寺」を五山の第一としましたが、1385年には足利義満が自らの建立した「相国寺」を五山の第一とするがために京都五山と鎌倉五山に分割し、「南禅寺」は五山のさらに上に位置づけられました。
法堂前の中央では香の煙が立ち込めています。

 「南禅寺」の建物自体もよいのですが、私の好きなのはその先にある「琵琶湖疏水水路閣」です。
琵琶湖の湖水を、京都市へ通ずるために作られた水路で、1890年に完成しました。
煉瓦造りの橋の上を、滋賀県大津市三保ヶ崎で取水された水が流れ、今でもや平安神宮神苑や円山公園をはじめとする東山の庭園や、京都御所や東本願寺の防火用水として利用されています。

 そろそろ「南禅寺」を後にし、「知恩院」へと向かいます。
三条通りを賀茂川方向に進めば、煉瓦造りの蹴上発電所が目につきます。
さらに西に進み、白河町学校の角から神宮通りに入ります。
そして神宮通りを南へ進むと、ほどなく「知恩院」が見えてきます。
三門の大きな階段を登り切ったところに「知恩院」御影堂があります。
「知恩院」は浄土宗総本山の寺院で、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が営んだ草庵が起源とされています。
現存の三門、本堂(御影堂)をはじめとする壮大な伽藍は、自身が浄土宗徒であった徳川家康の1608年の寺地拡大に始まり、1621年の2代将軍秀忠の三門建設、そして火災による焼失後の3代将軍家光の基での再建によるものです。

 さて、紅葉の「円山公園」へと向かいましょう。
木々は色づき、ちょうど見ごろの時期になっています。
カメラ片手に公園に来て、紅葉の風景を写真に納めている人の姿も数多く見受けられます。
実は「円山公園」に来たのはこの紅葉を楽しむことなのですが、今日はもう一つ大きな目的があったのです。
公園の近くの料亭で、京料理を食べに来たのです。

 料亭には、普段お目にかかることのできない舞妓さんと芸妓さんが呼ばれています。
両者の違いは、舞妓さんが20歳前の修行中の身であるのに対して、芸妓さんは一人前です。
当然両者は、着るものから髪の結い方まで異なっています。
舞妓さんが修行中の身であるといっても、1〜2年の見習い期間を経たうえでのお座敷ですので、決して中途半端な芸を披露するわけでもありません。
一通りの踊りをした後に、お酌をしてもらい、お座敷遊びをするといった具合で、時間は過ぎていきます。
もちろん料理の方は京懐石で、上品な薄味の味付けで飽きが来ることはありません。
3時間という時間でしたが、長いと感じることなく舌と目を楽しむことができました。

 食事の後は、腹ごなしに円山公園界隈を歩いてみます。
まずは「高台寺掌美術館」を訪れます。
ここは、豊臣秀吉と北政所ねねの調度品が保管されています。

 そして「高台寺」では、ねねが尼として余生を暮したお寺です。
1598年の秀吉の没後、北政所ねねが1606年に開創したお寺です。
ねねは出家して「高台院湖月尼」と号して、この寺に身を置くことになります。
造営に際しては、当時の政治的配慮から徳川家康が多大なる財政的援助を行ないましたので、当時としては壮麗をきわめたといわれています。
瓦を使った石庭が、非常に印象的でした。

 そのあとは「高台寺」のすぐそばにある「高台寺圓徳院」を訪れます。
秀吉の没後も、高台院を慕って多くの大名、禅僧、文化人が訪れました。
「圓徳院」は秀吉の弟 木下利房によって、高台寺の三江和尚を開基に木下家の菩提寺として開かれました。
高台院の没後9年目のことでした。

 鎌倉・室町時代から安土桃山・江戸時代初期までを、京料理を交えながら秋の京都で過ごした1日でした。
帰りには、顔見世興行の看板が掛けかえられた四條南座を眺めながら、帰路に就いたのでした。

 
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