にっぽんの旅 近畿 京都 福知山

[旅の日記]

光秀の町 福知山 

 今日はJR福知山駅に来ています。
明智光秀が支配した丹波地方の町を散策します。

 篠山口駅から単線の2両編成の電車で揺られること1時間弱、田舎の風景を楽しんできたのですが、ここ福知山は近代的な立派な駅舎です。
ゆったりと広い駅前ロータリーから「ゴムそば」の看板を見付けます。
お腹も減っていたので、早速訪れてみます。
昼時も過ぎた時間だったせいか、お店の中はがらんとしています。
と、カウンターの中から「すいません、もう時間が終わったんですよ」という声が。
扉の営業時間の掲示を見ると、確かに30分以上も過ぎています。
そこへ「簡単なものならいいですよ」という優しい言葉が。
そう、食べたかったのはこの地方特有のB級グルメの焼きそばだったのです。
無理を言って、作ってもらうことにしました。

 見た目は、少し古くて黒くなった輪ゴムが並んでいるような焼きそばです。
店主からはひつまぶしを食べる時のように「まずはそのままで食べてみてください。そのあとお好みでソースをつけてください」とのことです。
まずはそのまま口に入れてみます。
味がよく浸みていて、美味しいのです。
そして次には、焼きそばの上に乗っているドレッシング状のソースをからめて食べてみます。
何の味なのか、単なるソース焼きそばにアクセントがついて、面白い味になります。
もっちりめの麺で、これが「ゴムそば」と言われる所以なのです。

 食事を終え、「福知山城」を目指して西の方向に歩いて行きます。
途中の「丹後生活衣館」では、丹後ちりめんをはじめとする、この地方で古くから着られていた着物の展示がされています。
江戸時代には、世帯の1割以上が養蚕農家だったということもあって、数々の地絹のきものが各家で作られました。
その中には色鮮やかな反物もあります。
その布を使った雛人形もあり、豪華なものです。
館内には機織り機の展示もあります。

 ここまで来ると、小高い山に城が見えてきました。
道路脇の「福知山城公園」からは、城を見上げることができます。
そしてこの公園には城の櫓を模した「佐藤太清記念美術館」もあります。
佐藤太清は、福知山が生んだ日本画家なのです。

 「福知山城公園」からは太鼓橋である「昇龍橋」を渡り、城への坂を登って行きます。
1575年の長篠の戦いで武田勝頼を破った織田信長は、一番のお気に入りで明智光秀に丹波の平定を任せます。
光秀は、福知山の造り直しに着手します。
その際、丹波支配の拠点として新たに構築したのが、この福知山城なのです。
石垣は自然石をただ単に積み上げたかのように見える野面積(のづらづみ)という手法です。
これは、石垣の名人と言われた近江穴太(あのう)衆が得意としたもので、不揃いな様々な大きさの細長い石を奥で組み合わせて積み上げた後、隙間に小石をはめ込んで補強したものです。
大阪城や名古屋城の大きくてパズルのように組み合わされた石積と違い驚いたのですが、意外と丈夫な積み方だそうです。
三重四階建ての大天守は、白壁で身を守る城とは見た目が違い、木材がむき出しの壁が目につきます。
そして天守閣内は、福知山の歴史を展示する資料館となっています。

 城から通りまで下りてきて、北側に進むと「松村家住宅」があります。
建設会社の松村組の創始者である松村勇吉の社屋兼住宅だったところです。
和風の庭園には、茶室と洋館を備えています。
大正時代に造られた母屋は木造の大きな建物で、今では洋菓子屋になっています。
のれんをくぐり格子戸を開けて入ったところに洋菓子が並んでいる様は、最初は違和感があるものの、いかにも高級なお菓子のように見えてきます。

 さらに北に足を運びます。
右手に大きな土手が見えてきました。
由良川の土手です。
由良川は、三国岳の杉尾峠からここ福知山を通り、日本海の宮津で若狭湾に流れる一級水系の河川です。
かつての福知山は、由良川を利用した舟運の町としても賑わってきました。
今は悠然と流れる川ですが、度々起こる川の氾濫でこの地方の人々を苦しめていました。
その史料が残る場所を訪れてみます。

 「治水記念館」は、そんな由良川の洪水の歴史を物語る資料館です。
元は1880年に建築された町屋で、呉服屋を営んできました。
洪水時にはタカと呼ばれる吹き抜けの場所に滑車を垂らし、そこに通したロープで上の階に荷物を引き上げたものです。
2階まで水に浸かり、3階から屋根を破って逃げた話を聞くと、背中に悪寒が走ります。
係の方が、かつての洪水の様子を説明してくれます。
そして裏に通され裏口の扉を開けてみると、目の前が由良川の盛り土をした土手があるのです。
ここから水があふれ出すことを考えると、怖いものがあります。
そのたびに堤防の高さを積み上げた治水の歴史を、この建物は物語っています。

 ここから街の中心地へ向かいます。
広小路通りには、「ポッポランド」があります。
昔の福知山駅を再現しています。
そして「ポッポ2号館」では、蒸気機関車のC57が展示されています。

昔は川であった広小路通りですが、この町一番の通りです。
町で娯楽を提供する唯一の映画館「福知山シネマ」の前を通り、歩いて行きます。

 広小路通りを西に進みぶつかった「御霊公園」の先に、「御霊神社」があります。
1705年に創祀した宇賀御霊大神を祀る神社ですが、明智光秀の功績を認めた福知山城の後の城主 朽木氏が、明智光秀の合祀を許し「福智山」と命名します。
1953年の台風13号で町を襲った水の水位を記した看板が建てられています。

 神社の南側 中ノには、旅館が並んでします。
温泉地の旅館ではなく、こじんまりとした地方都市にある旅館です。
飲み屋の看板も見えます。
そうこうしているうちに福知山駅に戻ってき、今日の町探索は終了しました。

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