にっぽんの旅 近畿 兵庫 三田

[旅の日記]

三田藩の城下町 

 兵庫県の三田に来ています。
神戸、大阪へのベッドタウンとして近年開発が盛んな三田ですが、三田城を中心に栄えた城下町の街並みは今も残っています。
今日は、神戸電鉄の三田本町駅から三田駅に向かって、寄り道をしながら歩いていきます。

 神戸高速線の新開地駅まで乗り入れている神戸電鉄ですが、隣の湊川駅からが神戸電鉄です。
車両は重々しく苦しそうなモータ音で走り始めます。
それもそのはず、最後の三田近くを除いてずっと急な上り下りを繰り返します。
六甲山を越えて山間部の三田までの1時間は、ほとんどが林の中をひた走ります。
そしてようやく着いた三田本町駅は意外と開けたところで、駅前から本町通りが伸びています。
古い建物が残るこの通りを歩いて行きます。

 「三田ほんまち交流館」は、古い町屋を改修したところです。
現在は市民に開放し、催し物などの場として再利用しています。

 法務局前の交差点まで来ると、交差点を渡りきった先に「九鬼家住宅資料館」があります。
和風の1階の造りに対して、2階は白壁でベランダを有する擬洋風建築の建物です。
三田藩の家老職を代々務めた九鬼家当主の九鬼隆範が、明治初期の1875年ごろに建てたものです。
純和風と洋風が入り混じった造りをし、今に残る珍しい建物です。

 道路はその先で右に曲がりながら坂を登って行きます。
三田御池を避けるように池の周りを通る道ですが、坂を登ったところには「三田城跡」の石碑が建っています。
今は三田小学校と有馬高等学校の敷地になっていますが、元々ここには城がありました。

 三田城の築城に関しては多くの説あり定かではありませんが、有馬村秀が前進の「車瀬城」を築いたとされています。
有馬国秀の時に、三田は荒木村重の支配下になります。
しかし不義の疑いをかけられた荒木村重は1575年に自刃してしまい、有馬氏の嫡流はここで絶えてしまいます。
そこで荒木平太夫が入城するものの、有岡城の戦いで荒木村重が織田信長に背いたことに対する羽柴秀吉、明智光秀の攻撃に合い、1578年に落城してしまいます。
その後は三好秀次らが三田城の城主となり、1582年には近江国から入封した山崎片家、そして息子の山崎家盛が城主となり城の改修を行います。
ところが1600年の関ヶ原の戦いで西軍についた山崎家盛は因幡国若桜鬼ヶ城へ転封され、代わって東軍で活躍した有馬重則が淡河城から三田城に入城してきます。
次に城主となるのは、出羽国上山城から松平重直が1626年(寛永3年)に入城しますが、1633年には豊後国龍王城へ入封されます。
入れ替わり立ち代わり城主が代わる三田城ですが、九鬼水軍で名を馳せ関ヶ原の戦いでは東軍についた九鬼守隆が目にかかり、その子 九鬼久隆が志摩国の鳥羽城から三田城に入ってきます。
そして九鬼一族の支配が、明治維新までの約260年間安定して続くことになります。
ただし新しい城を築くことは許されなかったために、「三田藩陣屋」として取り扱われました。

 三田御池を対岸の東端まで進み、住宅地を入った先に「心月院」があります。
近くまではたどり着いたものの、奥まった場所にあったためなかなか見つけることができませんでした。
ここは三田藩主 九鬼家の菩提寺として、元々この地にあった梅林寺を増築したうえで、寺号を心月院に改めます。
三田藩初代藩主九鬼久隆の父 守隆から第13代の隆義までの歴代藩主の墓が、ここにはあります。
山門は関ヶ原戦後にその時の領主であった有馬豊氏が、豊臣家から譲り受けた有馬温泉御殿です。
本殿前の植木と石を配置した庭も、きれいです。

 寺の外には、葉が落ちてしまい実だけが目立つ柿の木があります。
そんな三田の街並みを眺めながら、三田本町からの道を引き返します。
ちょうど半分の距離の「三田ほんまち交流館」の手前に、北に向かって「車瀬橋商店街」があります。
わずか50mほどの短い商店街で、アーケードの下には数件がひっそりと店を開いているだけです。

 その先の武庫川に架かる橋を渡り、中央町二番街、中央町一番街を越えて三田駅に到着します。
駅前は開けており、近代的なJRの駅ビルが建っています。
大きなロータリーの上には、駅に向かう歩道橋も整備されています。
そんな近代的なJR三田駅の脇に神戸電鉄の終点駅があり、先ほど乗ってきたクリーム色と赤の電車が停まっています。
でも今度はJRに乗って、移動します。

 着いた駅はJR相野駅駅です。
ここにはシイタケ園があるのです。
春にはいちご園ですが、この時期はシイタケが実っています。
自分で食べる分だけ採って焼くものです。

塩をまぶしてコンロで焼くだけで、採れたてのシイタケはひだに水が浮き出てきます。
これにたれをつけて食べるだけです。
肉や野菜といっしょの食事は、それはそれは美味しいものだったのでした。


     
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