にっぽんの旅 近畿 兵庫

[旅の日記]

灘五郎 

 本日は、兵庫県の灘を訪れます。
灘と言って思い出すのは日本のトップ学力を誇る名門灘高、そして灘の酒です。
灘高には縁がないのですが、灘の酒と聞くと触角がピクリと動きます。
それでは、灘五郎と呼ばれる灘の酒造工場を訪れてみます。

 阪神電車の魚崎駅から、住吉川沿いを海側に下って行きます。
9月末とはいえまだまだ暑い毎日で、川の水に足をつけて遊んでいる人を見かけます。

 国道43号線の下をくぐり歩いて行くと、何やら黒っぽい木造の建物が見えてきます。
ここが剣菱酒造の中倉です。
500年続く、歴史のある酒屋です。
主に葬儀の際に「剣菱」の酒が用いられることが多いことから「弔い酒」と思われがちです。
また正月に剣菱の酒桶が神社に奉納されることも多く、なじみのある酒です。

 「櫻正宗」は、その先にあります。
1625年創醸の「櫻正宗」は、約400年に渡ります。
江戸時代、「櫻正宗」は西宮郷と魚崎郷とで酒を造っていましたが、常に西宮郷の酒が優れていることに「櫻正宗」の6代目山邑太左衛門は疑問を持ち、その違いが仕込み水だということを突き止めます。
1840年には、西宮郷の梅の木蔵の井戸水を魚崎に輸送し、仕込みに用いるようになります。
江戸の市場でもこの酒が大好評であったため、灘はもとより各地の酒造家も競って西宮の井戸水を使用するようになります。
そうして梅の木井戸が宮水発祥の井戸と呼ばれ、山邑太左衛門が宮水の発見者とされます。
できたばかりの酒を試飲してみます。
米の香りが口いっぱいに広がり、癖のない飲みやすい酒です。

 さて、1筋東側に浜福鶴銘醸はあります。
「浜福鶴」の名の入った煙突が目印です。
入口には酒造りで使う桶が飾られています。
吟醸工房では、酒のできるまでのビデオと、工場のその様子を窓から覗くことができます。
ここでも試飲してみます。
先ほどよりは、少し辛めの酒です。

 ここから西に進みます。
1659年、廻船業を営んでいた嘉納治郎太夫宗徳が酒造業に手を広げ、菊正宗350年の歴史が始まります。
地元の水と六甲の冷風、それに丹波杜氏の職人技で醸した辛口を携え、幕府の御用商人とも言える立場を確立していきます。
テレビコマーシャルの「やっぱり俺は、キクマサムネ」でも一躍有名になりました。
酒造好適米の最高峰である「山田錦」ですが、その栽培は容易ではありません。
兵庫県三木市吉川地区は山田錦に適した気候風土であり、この地区の契約農家と丹波杜氏の努力に、銘酒山田錦は支えられているのです。
「菊正宗酒造記念館」では酒造りの道具が展示されており、また酒造りの工程を順路に沿って説明されています。
さて菊正宗の試飲は、クッと喉を通る先ほどよりさらに辛口のものにできあがっています。

 西に歩いて行くと、資料館で見る桶と釜とは違い清酒工場の縦長のタンクが目につきます。
その先に、白鶴酒造はあります。
工場の門を警備員が見守るなか入って行き、脇の「白鶴酒造資料館」に足を運びます。
1743年に材木屋治兵衛が酒造業を開始してから、今の白鶴に至ります。
資料館は、道具を展示している1階に対し、酒造りの流れが判る2階の構成になっています。
さてお目当ての利き酒ですが、生酒の机はあるのですが酒がなければ人も居ません。
昼休みの時間のせいなのでしょうか。
ちなみに梅酒は利き酒ができるように準備されていたのですが・・・

 さらに西に進みます。
石屋川に架かる磯之辺橋のたもとに石屋川公園があります。
そして公園には、昔を再現した井戸を見ることができます。
さらに進みましょう。
川を越えると、左手に木造の大きな三角屋根があります。
「灘泉」の看板のかかったここは、泉勇之介商店です。
訪れた時は閉まっていましたが、近くには広い工場・倉庫もあるのでした。

 ここで北に方向を変えます。
神戸酒心館では、「福寿」の酒を造っています。
中に入ると酒造のときに使う大きな大桶が飾られています。
昼時のせいか、館内のレストランは満員です。
早々に引き揚げて、次を急ぎます。

 神戸酒心館の北側に走る国道43号線を越えると、東明八幡宮があります。
既に阪神電車では魚崎駅から3駅を歩き、御影池の近くまで来ています。
神功皇后が朝鮮への船出の際に、武内宿禰大臣がその健勝を祈って植えた松があります。
後にこの地を訪れた武内宿禰大臣は、松の傍に祠を建て「正八幡宮」と称したとされています。
そして東明八幡宮の横には、4世紀前半に造られたと推定される処女塚古墳があります。
石屋川流域に存在した集落と考えられています。

 ここからほど近いところに、「こうべ甲南武庫の郷」があります。
嶋酒類食品といい、有名な甲南漬けの本店です。
甲南漬資料館では、甲南漬け(奈良漬け)の歴史と製造工程が紹介されています。
出土した木簡の記録によると、奈良時代は濁り酒のなかに塩漬した野菜を漬け込んだと考えられています。
そして平安・室町時代には、濁り酒を絞り酒を作るときに出た酒粕に、野菜を漬け込んだとされています。
そして江戸時代には今と同じ酒になり、それに伴い出る酒粕で粕漬作りが行われるようになりました。

 さてさらに西に進むと、都賀川を越えたところに「住吉神社」があります。
大石村の海中より出現した御神体を祀るために、この地に社殿を構えます。
この地方は、古くから神を祠る氏子が居住しており、生石と呼ばれていました。
現在この地を大石というのも、米18石を賜ったことで十と八とを合わせて大の字を使いだしたことから、生石から大石に名前を変えてきたのです。

 その「住吉神社」のすぐ隣に、「沢の鶴」はあります。
米屋平右ヱ門は1717年に※のマークを掲げて藩米を取扱いを行う傍ら、両替商を営んでいました。
大阪平野町で米屋を営みながら、副業で造り始めたのが、酒だったのです。
昔の酒蔵を再現した「沢の鶴資料館」では、酒造りの様子が再現されています。
そしてこの時は、搾りたての原酒の利き酒ができまたのです。
濃厚な味わい深い酒で、米の旨みがあってこれまでの酒とは趣が違います。
十分に味わいます。

 こうして利き酒三昧の酒蔵巡りでしたが、多数の酒造工場がひしめき合っており、有名どころだけでも以下のようなところがあります。
今津郷大関、扇正宗
西宮郷灘一、日本盛、喜一、白鹿、灘自慢、金鷹、白鷹、島美人、寶娘、徳若
魚崎郷櫻正宗、浜福鶴、道灌、松竹梅
御影郷菊正宗、剣菱、灘泉、福寿、大黒正宗、泉正宗、白鶴、戎面
西郷富久娘、沢の鶴、金杯

酒で有名な灘で、もうひとつ忘れてはならないものがあります。
ポールウィンナーで、関西でしか目に掛かることができないものです。
小腹がすいた時のおやつや、料理の具材、時にはおかずそのものになってしまう便利なウィンナーも、灘の名物です。

 大石駅の近くの「船寺神社」では、西郷の酒である沢の鶴、福徳長、福娘が供えられています。
神様までが酒に関係している灘の旅でした。
帰りは再び阪神電車に揺られたのですが、もちろん自分への土産は日本酒だったのでした。

   
 
       


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