[旅の日記]
淡路島(洲本・西淡・南淡) 
本日の旅のスタートは、淡路島の洲本です。
まずは「洲本城」を訪れます。
「洲本城」は、淡路水軍を率いた三好氏の重臣である安宅(あたぎ)治興によって1526年に築かれた城です。
ところが1581年の淡路討伐の際に羽柴秀吉に破れ、城は仙石秀久のものになります。
1585年には、入城した脇坂安治によって今見る総石垣の城に改修されました。
しかし脇坂氏が伊予大洲に移った1609年以降に新たな城主が入ってくるものの、事実上の廃城となってしまいます。
現在ある模擬天守は、1928年に鉄筋コンクリート製で築造されたもので江戸時代にあった天守ではありませんが、模擬天守としては日本最古のものになります。
ここからは洲本市街のみならず大阪湾を見渡すことができます。

それではここから洲本の街に繰り出します。
所々に古い町並みがいまも残っています。
その洲本の街を散策することにします。
歩いて行くと、煉瓦造りの建物が見えます。
「淡路ごちそう館 御食国」で、大正時代の赤レンガ倉庫を修復してできたレストランです。
食事だけでなく、淡路島の特産品も揃っています。
広場は市民の憩いの場となっています。
緑が敷き詰められた公園で、元気な子供の声が響いています。
そんな公園の片隅にあるのが、「ドラゴンクエスト記念碑」です。
ドラクエ生みの親である堀井雄二は洲本市の出身です。
そこでここに、ドラゴンクエストの主人公であるロトの装備品のつるぎと盾が飾られています。
相棒のスライムも一緒です。
ドラクエ記念碑を見て和やかな心になったあとは、街散策を続けます。
石鳥居の奥に「洲本大明神」があります。
古くは海浜の洲に土を高くして諏訪明神を祀った洲本明神がありました。
諏訪の本ということから、ここの地名が洲本になったともいわれています。
仁井田の五社明神と呼ばれいることろです。
その先には「洲本城址」の石碑が建っています。
先ほど見てきた山上の城が「上の城」であるのに対し、こちらは「下の城」です。
堀で囲まれ石垣が築かれた城内に入っていきます。
そこには今は「淡路文化史料館」があり、淡路の船だんじりや淡路人形浄瑠璃の様子が展示されています。
そんな中、気を引いたものがありました。
鉄道がなく今回も車での移動を余儀なくされた淡路島ですが、かつて存在した「淡路鉄道」の資料が展示されています。
1922年に洲本口(のちの宇山)・市村間に蒸気機関車の運行が開始されました。
さらに1925年には福良までを延伸し、ここに洲本・福良間の全線が開通したのです。
1943年には全淡自動車との合併で社名も淡路交通となり、1948年には電化が進み電車が走るようになります。
しかし高度経済成長で自動車が普及し、1966年委惜しまれながらも鉄道の歴史に幕が閉じました。
文化史料館には、その時使っていた鉄道の行先表示板が展示されています。
文化史料館からほどなく歩いたところに、足湯があります。
「洲本温泉うるおいの湯」であう。
暖かい温泉に足を浸けると、気持ちの良いものです。
しばらくは疲れた足を休めることにします。
足湯の横には「洲本八幡神社」があります。
淳仁天皇による創祀ともいわれ、990年には国司藤原成家卿寄瑞も受けている古くからある神社です。
室町時代には三熊山に洲本城を築いた際に安宅秀一がこもり祈願しています。
江戸時代に神社の目の前に置かれた洲本城のため、淡路国における徳島藩の代参所となるとともに藩主蜂須賀氏の祈願所として崇敬を受けてきたのです。
さてここからは洲本を離れ、車で移動します。
次に訪れたのは「淡路人形浄瑠璃資料館」です。
江戸時代には徳島藩主の蜂須賀氏の保護もあって、人形浄瑠璃が盛んに行われていました。
享保・元文年間には、淡路島に40以上の人形座がありました。
人形浄瑠璃で使う人形は眉や口が自由に動き、まるで生きている人のように表情が豊かです。
特に淡路人形と呼ばれ、人形も競って作られました。
そんな淡路人形を、ここでは展示しています。
次に訪れた「自凝島神社(おのころ島神社)」も「伊弉諾神宮」と同様に、国生み神話に登場する伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする神社です。
国生み神話では、伊弉諾尊と伊弉冉尊が天上の「天の浮橋」に立って「天の沼矛」で青海原をかき回し、引き上げた矛の先から滴り落ちた潮が自ら固まってできた島が「おのころ島」とされています。
つまり今の淡路島です。
2神はその島に降りたち、夫婦の契りを結んだというお話です。
「自凝島神社」では、田舎道の中に突然現れる大きな鳥居がひときわ目を引きます。

車は島の西側まで、さらに進みます。
ここに「甍(いらか)公園」という小さな公園があります。
わざわざ来たには、意味があります。
かつてはどこの家にもあった屋根瓦ですが、近年は頭上に重いものを載せないとの地震対策から極端に需要が減ってしまいました。
そんな瓦を今でも造る数少ないところが、ここ淡路島なのです。
本格的な生産が始まるのは江戸時代のことです。
1613年に大名 池田忠雄が由良成山城を築城に際して、播州から播磨瓦の名工 清水理兵衛を呼び寄せて作らせたのがはじまりと言われています。
石見の石州瓦、三河の三州瓦とともに、ここの淡路瓦が日本三大瓦として重宝されています。
「甍公園」にはやがて亡くなる運命にある瓦のオブジェがあると聞いて、やって来たのです。
道路沿いには赤鬼の鬼瓦が飾られています。
そして公園内には瓦を重ねて作った巨大な展示物があります。
公園の入り口から続く通路にも、土手を覆う形で瓦が敷き詰められています。
もちろんトイレも瓦葺の屋根です。
日本の伝統がこうして残されていることに、安心したのでした。
随分寄り道をしてしまったので、ここからは最終目的地である島の南端に車を進めます。
目指すは「道の駅 うずしお」です。
福良の街辺りまでは、走りやすい田舎道を進みます。
それが福良を過ぎた辺りから道は上り下りを繰り返し、次第にカーブも多くなります。
島の先端に向かう道です。
ところがお目当ての道の駅までは行けず、途中の臨時駐車場で止められてしまいます。
この先の道の駅が満車のため。ここで車を置いてバスに乗り換えます。
駐車場からは四国の鳴門に抜ける「大鳴門橋」が見えます。
傍には淡路島が誇るタマネギのオブジェもあります。
道の駅までは無料のバスで移動します。
ピストン輸送しており、バスは次々とやって来ます。
島の先端までは半島の細い土地が続き、移動用の道を通すのが精一杯です。
道の駅の駐車場が狭いのもうなずけます。
「道の駅 うずしお」では、マスコットの「うず坊」が迎えてくれます。
ここでのお目当ては、今が旬のサクラマスです。
そのサクラマスがたっぷり入った丼を食べたかったのです。
脂がのってとろけるようなサクラマスを食べながら、レストランから目の前の「大鳴門橋」を眺めます。
車の流れを目で追いながら、楽しくそして美味しく食事ができたのでした。
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